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by murkhasya-garva
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『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(2008)
バーダー・マインホフ 理想の果てに_b0068787_0524053.jpg

シネマライズにて8月第2週に鑑賞。その後、製作会社のムービーアイが倒産したという情報あり。関東では上映されるものの、関西ではきわめて難しいのだとか…今回も「関西では上映が遅れそう/なさそうな映画」で選んだのだけどドンピシャ。切ないね。



『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007)や他にもあったような気がするが、革命運動などが題材の作品が世界的にポツリポツリと上がってきているのは決して気のせいではないだろう。そのような機運が盛り上がってきている、とも言える。その前にはソクーロフ監督の『太陽』(2005)、李纓監督の『靖国』(2007)など、ドイツでも『善き人のためのソナタ』(2006)などじわじわと上がってきていたようだが…。

最近のホットな話題で言うと、民主党が政権取っちゃいますね。その内容はともかく、国民の怒りが政治に届いた!と一部の方は息巻いておられるようですが、その実どうなんでしょう。彼らは常に怒りを持って社会に問いかけることが真の目的であるようにも思われるのです。実際に、革命が全国的に波及し、政権転覆!という状態に今まで日本は至ったことがないし、今後そうなるのもまだまだ先のようでもある。つまり、個人的には革命、改革の真価のはその行為自体なのであって、“失敗”の連続でなければならない、という印象があるのです。

さて本作は、ドイツ赤軍と後に呼ばれる若者の過激な反体制活動を描いたものです。キャッチコピーは「世界は変えられると信じていた――」と何だか遠い目をしておられますが、この視点はあながち間違っていないのではないでしょうか。本作が『実録・連合赤軍』のごとくグループの壊滅までの足取りを描いているということからも、本作がこういった運動に対して回顧的で、批判的な見方を持っていると考えられます。

しかも原題がすごい。〈THE BAADER MEINHOF COMPLEX〉……“バーダー・マインホフ・コンプレックス”?心理学では「コンプレックス」とは何らかの感情によって統合された心的な内容の集まりのことなのだけど、つまりタイトルから、首謀者であったアンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフの存在をめぐって、何らかの感情的な動きが働いていた、と言っているのでしょうか?精神分析の創始者であるフロイトがドイツの人間だったことからも、製作者の思惑はきわめてシニカルに感じられます。

<バーダー・マインホフ>グループの動きは初めからやたら忙しいのです。ウルリケ・マインホフ(マルティナ・ゲデック)の旦那はメディアによる煽動者かと思っていたら浮気してウルリケに愛想尽かされるし、リーダーかと思われたルディ・ドゥチュケ(セバスティアン・ブロンベルグ)もあっさり撃たれて表舞台には出なくなる。あれよあれよという間にアタマが変わっていって、最終的に落ち着くのがウルリケ・マインホフとアンドレアス・バーダー(モーリッツ・ブライプトロイ)。理知的な女性と感情的な男性。しかも男の方にはグドルン・エンスリン(ヨハンナ・ヴォカレク)というこれまたリベラルで挑発的な女がついてくるのです。困ったものです。

この作品の面白さは、彼らの破滅の道を淡々と追っているという点、そして彼らの投獄を受けて第2世代、第3代が彼らの意図を離れてさらに過激へと突き進んでいく、という点にあります。ここには何か狂気めいたものがあります。もちろん、ウルリケ・バーダー・エンスリンが奇妙な感情的対立に陥るのだけでも十分に興味深いのだけど、第2,3世代のRAF(Red Army Faction)の異常さとそれに対する彼らの複雑な感情、それらがこき混ざって蠢いているのを見ていると、さもありなん、という思いと同時に何やら暗澹とした気分に襲われます。

本作には、若松監督が連合赤軍の姿を肉薄して描こうとした「誠実さ」とは異なるものがあります。それは、確かに現代への警鐘という意味で共通するのだろうけど、リーダーたちの迷走もメンバーたちの暴動も、もはや手のつけられない状況――狂気の中にあったことを浮き彫りにするこの作品からは、近親憎悪とも言えるようなものを感じます。現地では絶賛されたという本作は、恐らくその一方で心理学者だけでなく関心をもつ人たちの格好の分析対象になったのではないでしょうか。
# by murkhasya-garva | 2009-09-07 00:56 | 映画

精神

『精神』(2008)
精神_b0068787_23304678.jpg



岡山県の精神科「こらーる」のドキュメンタリー。想田和弘監督の「選挙」に続く第2弾。イメージフォーラムで8月第2週に鑑賞。




「友達がいなくなったんです…」老齢の医師の前で切々と泣く女性。自分の病気のこともあって、付き合いがなくなっていってしまう、と訴える。また、至って真顔で最近の状態を伝える方。医師は小さなメモ用紙に何事か書きつけ、このように考えられたらいいんじゃないか、とアドバイスを伝えている。

「こらーる」を訪れる方は様々だ。最近私もこういった環境を体験する機会があり、その人たちの様子にあまり違和感を持たなくなっている。話してみれば真摯に応えてくれる方が多いことに気づく。自分が経てきた人生を、そして今おかれている境遇を冷静に捉えることのできる方はとても多い。

本作でも、待合室で冗談を飛ばす中年の方がいる。話に自分でオチを付けて、「・・・・・・!!」という感じで笑う様子がとても印象的。かと思えば写真を小さなアルバムに挿み、右側のページには俳句や詩を書きつけている。どれもが日々の出来事に感謝や達観を乗せている。

監督自身カメラを持ちながら、「精神科が自分たちとはベール一枚隔てたところにあるような気がする」と言う。まさにその通りなのだろう。5,6年前に見たホラー映画、何だったかは忘れたが、精神障害を負っていると思われる男が帽子を目深にかぶってブツブツと言い、ナイフを持って曲がり角の先にいる、というシーンがあった。ある種“人間とは違った危険な存在”が“野放し”になっているというようなイメージ。これはあまりにも偏っている、ということを本作で知らねばならない。いつのまにか無自覚に刷り込まれているのだ。注意が必要だ。

しかし、異様な雰囲気を持っている壮年男性を本作の最後に出したのは、想田監督がこういったイメージにまさに挑戦するかのような印象を受ける。住所不定、保険証も住民票もなく、住宅への申し込みをしようとしているのか延々と電話をし続けている。「こらーる」の電話で、閉店間際に。しかも信号を待たずに原チャリで飛ばしていく姿。これを見てどう考えるだろうか。間違っているのは社会か彼らか、なんていう二元的な問題ではない。どうしたものか。あのオッサンの誰も寄せ付けないようなムッツリとした顔が頭から離れない。
# by murkhasya-garva | 2009-09-06 23:34 | 映画
『イサム・カタヤマ=アルチザナル・ライフ』(2009)
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久しぶりに東京で映画を鑑賞。最新作か関西圏では上映されなさそうな作品をと思い、今回まず挙げたいのはこの作品。レザーブランドBACKLASHのデザイナー・片山勇のドキュメンタリー。





何の理由もなくこの映画を選んだつもりだったけど、少なくとも僕にこの映画を見る理由はいくつかあった。
・見る直前に気付いたこと。弟がアパレルに勤め、抽象的ながら気骨のあるコメントをするようになった。店の先輩から学んだものがいったいどんなものかは関心があった。
・見ている途中に気付いたこと。せめて自分の好きな映画では、世界を閉じてはいけないということ。関心は常に開かれたものでありたい。
・ラストで気付いたこと。それは、自分のやっていることが本当に実を結ぶのか、という迷いをいつも抱えている自分にとって、これは一人の男の姿から生き方を教えてくれる作品だった。

おそらく、この作品は僕にとって忘れてはならない作品なのだ。その決意めいた思いは僕の胸に突き刺さるようだった。上の3つの理由だけで本作の感想は言い切ったようなものだけど、以下ではあらためて本作を振り返りたい。

精神的なことを語る場面が非常に多い片山勇氏。一番はじめに、彼が次々と口にするキーワードは、僕が想像していたのもあって「決意」、それも“悲壮”な「決意」をしてきた者の言葉のように思われた。それに「孤高のサムライ」と呼ばれ、職人気質をもったデザイナーというと、なんだか無口で気難しい男を想像してしまう。
しかし、本作で登場するのはいつも笑顔でよくしゃべる、顔だけ見るとヒッピー風の男。

片山氏を表現するに、重要なワードは「直観」「笑顔」「自信」だろうか。彼の言葉は抽象的で断片的なために初めは特に何を言っているのかあまり分らないが、言葉が重ねられるごとに片山氏の信念は、鮮やかで透き通った水晶のように顕れてくる。そして彼を映し出すのは、彼を慕う仕事仲間。彼らはスーパーブランドのプロデザイナーとしてではなく、彼の人柄そのものの魅力を慕っているようだ。

誰とも対等に、自信を持って相手に向き合い、しかしいつも笑顔で核心を突いてくる片山氏。「仲間」「人を信じる」、そんな言葉と同時に、「くやしい」「情けねんだよ」「愛されたい。この年になっても」と切れ切れに吐露される身をよじるような切ない思い。若い頃には迷ったであろう彼の根底には、激しく揺るぎない熱意といつまでも自分の夢、ロマンを追い続けられる強さ、そして他の人間への深い信頼がある。「おれのこと好きだろ?」相手のことをまっすぐに見つめ、そう言える人がこの世にどれだけいるだろうか。

では、ぼくはどうだろう。やりたいことがあるのに形にならないもどかしさ、自分の経験の少なさ、自信のなさが、歩みを遅くする。もしかして同じことを誰かが既に言っているのでは――と考えると、書くスピードが途端に鈍ってしまう。
彼のようになりたい。自信を持って、相手に自分のことを示せるように。ラストあたりのカットで、片山氏の妻と息子とで砂浜に立つ姿が映ったとき、思わずグッとなってしまった。

この映画は、単なる内輪受けの作品なんかではない。20~30代の男性は特にご覧になってほしい。渋谷のライズXで上映中。ソフト化されないかもしれないから、この機にぜひ!!
# by murkhasya-garva | 2009-08-13 17:04 | 映画
『サスペリア・テルザ-最後の魔女-』(2007)
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ダリオ・アルジェントの魔女三部作、ついに完結。『インフェルノ』という珍作以来、ゆうに30年近くの時を経て本作は発表された。アルジェント監督、67歳の作品。ワールド・プレミアでは絶賛されたという。






イタリア中部、ヴィテルボの町で発見されたオスカー・デ・ラ・バレーと銘された棺。その遺品入れがローマの美術館に送られてくる。サラ(アーシア・アルジェント)は、ジゼル(コラリーナ・カタルディ・タッソーニ)とともに、その遺品入れを館長のマイケル(アダム・ジェームズ)不在時に開ける。魔女「涙の母」はよみがえった。手始めに惨殺されたのはジゼル。その光景をサラは目の当たりにする・・・。

3部作の最終作というだけあって、アルジェント監督はそれにふさわしいものを作り出してくれたようだ。「ため息の母」の顛末、「三母神」の存在など前2作品で語られたエピソードが再び現れる。3人の散らばった物語を取りまとめるようでもある。それと同時に、魔女の姿に最も肉薄した描写、魔女の再来による影響、魔術などオカルトの領域にある分野の存在をもその語り口に乗せ、濃厚な魔術的世界が描き出されている。

しかし、前2作品に見受けられたような観客をぶん投げるがごときプロットの運び方はそこまで変わっていない。思いだしてみてほしい。たとえば『サスペリア』では、過剰なまでに異様さや恐怖感をあおったあげく、それがなぜ起きたのかはっきり説明されることがなかった。たとえば『インフェルノ』では、・・・もう言うまい。観ていただければ分かるだろうし、前回の感想を繰り返しつづけるのは冗長すぎる。また、大きく変わったのは、回収できないエピソードがかなり少なくなり、安心して観ていられる部分が多くなった点だろう。また、この作品ほどCGなど映像技術の向上に感謝してしまったものも珍しい。

3作品は一貫して、ナレーションがとても少ない。魔女という古典的な存在を扱っているのに、だ。これによって、何をやっているのかが輪をかけて分からなくさせられる。ほとんど純粋な(つまり頭カラッポの)ホラーがいかにもゴシック・ホラーの顔をしてまかり通るということが起きてしまう(どんだけ『インフェルノ』に恨みもってんだか)。もちろん沈黙は金、さらに隠喩的な語りが必然的に増えもする。今回はこの隠喩的が後に行くに従って増えていく。最後の、魔女の対決からラストシーンに至るまで、ここははっきりいって何が起きているんだか分からない。しかし、適当に思いついたまま絵にしただけ、と切り捨てるには強い違和感がある。

たしかに正直ギャグかと思える程の唐突なストーリー展開は数多く、たとえばサラの母親の霊の出現など爆笑ものだ。サラの母親、その魔術師はイルカそっくりなのだ。笑わずにいられるか。「戦うのよ!」ってガッツポーズされた時には履いている靴を投げようかと思ったものだ。しかし、それと並行して語られる錬金術師であるとか、どうも本気くさいところも散見される。これは、何か違う。

それをうまく言い表すことはできない。ただ、アルジェント監督はホラーとして3部作を締めくくろうとしたのと同時に、その物語をある種のリアリティをもって語ろうとしていたのではないだろうか。もちろん一映画好きのたわ言なので気にしないでほしい。前2部作をそれこそアルジェント監督の「たわ言」と切り捨ててもそれはそれなのだけど、一つだけ思いだしたことを添えてこの文章を終えることにしよう。

数年前、有名(だという)占い師のもとにつれて行かれた私は、彼女が「マトリックス・レボリューションズ」が三部作の中で唯一非常に霊性の高い作品だと絶賛していたのを聞いたことがある。このことをどう思う?
# by murkhasya-garva | 2009-07-15 01:03 | 映画

スクワーム

『スクワーム』(1976)
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“ひどい、ひどい、ひどい、ひどい、もう一度言う。ひどい”と知人が畳みかけたクリーチャー・ホラー。B級以下と思われるホラーは人を集めて観ることにしているのだけど、今回は一緒に観てくれた彼らに謝っておかねばならない。こんな映画観せてごめんなさい。そしてこの文章を読む人にも、あらかじめごめんなさい。







ひとことで言うと、「恐怖・人喰いゴカイの真実!」。さびれた観光村に養殖用のゴカイが放たれて、村人がその餌食になる。だいたい想像がつくように、白骨死体が突然出てきたり、シャワー口からゴカイが出てきたり、内臓をゴカイに喰い尽されていたりするのだけど、一番の見どころは、実はソフトのパッケージに載っています。つまり、ナイスガイ村人のロジャーの顔に何匹ものゴカイが喰いつくところ。あれはなかなか面白かった。

しかしストーリーはびっくりするほど拙い。本題になかなか入らず、やれ都会者の青年ミックだかマックだかが田舎娘のヒロイン・ジョリーといちゃいちゃしたりうろうろしたり、ゴカイの仕業と思われる伏線をチョロッと張っていたりするんだけど、あまりに冗長すぎる。期待してご覧になった方々ならば冒頭から深い失望感に襲われること請け合い。

そうすると、ヒロインの無駄なサービスカットを出したり、微妙にサスペンスものを匂わそうとしていたりと明らかにムダだと思えることをやっているのがやたらムカついてくるし、大量のゴカイが部屋からあふれ出てくるシーンはむしろ爆笑必至の場面となる。もう、何とかして面白い所を見つけようと必死になっている自分が悲しくなってくる。

そしていつの間にか勝手にハッピーエンドでまとめられるのだが・・・張られた伏線はまともに回収されず、全てゴカイのせいだ!ってことでまとめられている。だから言っただろ、回収できないようなシーンを出すのはやめろって!結局、一時間半観せられた僕たちの気持ちはどうなるの?と恨めしげに睨まれてケツを蹴られるし、これが「観ても何にも残らない」ってこういうことか、と自分はため息をつく羽目になった。チクショー!

ある意味、ヒドイ映画とはどんなものかを学ぶいい機会だったかもしれない。

※この映画で学んだこと・・・皆でZ級映画を見るときは、ちゃんと宣言してから見ましょう。タイトルから判断できなかったら、まず自分ひとりで鑑賞してからにしましょう。友人関係を損なうおそれがあります。
# by murkhasya-garva | 2009-07-13 02:57 | 映画