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by murkhasya-garva
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「湖の琴」(1966)
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本作は「うみのこと」と読む。10月28日、祇園会館にて鑑賞。佐久間良子主演の悲恋もの。田坂具隆監督は「五番町夕霧楼」に続き、水上勉の原作の映画化を再び行った。本作で佐久間良子は、NHK映画祭主演女優賞を受賞。



糸取り女として、若狭からはるばる賤ヶ岳の西山までやってきた栂尾さく。男衆の松宮宇吉に仕事を手取り足取り教えてもらううち、二人はいつしかお互いを慕いあうようになっていた。しかし突然舞い込む宇吉への徴兵の命。彼が兵役の間に、さくは長唄の師匠に見初められ、京都へ行ってしまう…。

「五番町夕霧楼」でも好演していた佐久間良子。もう魅力全開。彼女の魅力は眼にあると言っていいでしょう。不安や憂いを湛えながらも相手をひたむきに見つめるその眼は、まさに素朴な女性を演じるのに適役。自分の美しさゆえに周囲の人々の心を惑わせ、図らずして人間関係の渦中に身を置いてしまうなんて、罪な女…いやいや、不幸な人です。

ややもすれば平凡な悲恋ものに終わるところを、本作は色々な工夫を凝らすことで斬新な出来になっています。例えば中村雁治郎ふんする三味線の師匠が、彼女への執心を舞踊に置き換えて表現するシーン。また、恋人の宇吉から貰った三味線の糸を「一の糸…」「二の糸…」と一本ずつ張りながら、宇吉との関係をエピソード形式に挿入するなど、色彩の上でも鮮やかで見ごたえがある映像もあります。
一見飛躍したカットをつなぐことで、盛り上がりやおかしみを巧みに表現しているようです。

ラストに関しては、主人公の行動に飛躍が過ぎるような気がしますが、まああんなことをされては、涙もろい観客は泣くしかありません。決してハッピーエンドで終わるべき作品ではない、と言うのはうすうす気付いてはいましたが。
中村雁次郎の演技が、素晴らしくいい味を出しています。彼の表情一つ取っても笑えてくる。
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by murkhasya-garva | 2006-11-01 10:50 | 映画
「ファーラント」(2004)
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第五回京都映画祭、10月28日にMOVIX京都にて鑑賞した作品。一般上映はまだ日本では行われていないようです。それにしても観客の少ないこと。大体20人くらいかと思っていたのに、関西在住の方のHPやブログではけっこう掲載されている。なんちゅう空間だったんだ。


妹が交通事故で意識不明に陥っているとの連絡を受け、故郷ブランデンブルグに戻ったカルラ。一度は過去を振り払ってきた彼女は、意識のない妹に寄り添い、語りかける。隣には妹のボーイフレンドの父親アクセルが、長年ぶりに見た昏睡状態の息子の前で所在無さげにたたずむ…

BGMもほとんどなく、本当に淡々と続いていくストーリー。起伏のない、自然音にゆだねた映像の連続を見ていると、なんだか記録映画でも見ているような気分になってきます。この作品を観ながら思い出したのが、ガス・ヴァン・サント。最近(しか観ていない)は「エレファント」「ラストデイズ」などがありますが、彼の作品に似ているように思います。

とはいえ、ガス・ヴァン・サント作品は、作中で極力客観的な視線を保ち、濃厚な情景描写からテーマをにじませるのが目立ちます。一方で本作の監督であるミヒャエル・クリーアの場合は、それを限定された登場人物の中での直接的な心情描写によって表現するため、多少作話的な要素を感じさせます。技術の差といえばそれまでですが、彼の特徴は、本作の人間関係をより明確に表すことに成功しているとも言えるでしょう。

あくまで静謐な空間で、彼らが特に何かするわけでもない。でも登場人物は皆、自分たちの心の揺れに従って、少しずつ、しかし確実に内面の何かを変容させていきます。意図せずに、自分の失ったものを埋め合わせるかのように近づき、やがて来る別れをどこかで感じ取りながら、はかない瞬間を積み重ねていく…現代ドイツに息づく人々の来し方行く末を暗示しているのでしょうか。

目の開いた人間ではなく、物言えぬ者へ語りかけるカルラは、一体どこを目指すのでしょうか。恐らく彼女の行為は自分自身との対話でもあります。同じ境遇のアクセルが過去を取り戻すのと違って、彼女は「ここではないどこか」=“ファーラント”を常に見据えるのです。まだ見ぬ先に思いをはせる姿は、前向きさよりも、理想志向の人間の不安定さを強く映し出します。

静か過ぎて途中で気が遠くなりそうにはなりますが、なかなか考えさせられる作品です。
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by murkhasya-garva | 2006-11-01 02:20 | 映画