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by murkhasya-garva
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ジャンクフィルムス 釣崎清隆残酷短編集

「ジャンクフィルムス 釣崎清隆残酷短編集」
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先日8月19日、「ジャンクフィルムス 釣崎清隆残酷短編集」を、四条烏丸の京都シネマのそばにあるワークショップ空間、shin-biにて鑑賞。今回はDVD発売記念イベントだそうです。釣崎氏と、芥川賞受賞作家モブ・ノリオ氏との対談もありました。




映画を見る動機は、第一に好奇心。本作を制作した釣崎清隆氏は死体カメラマンである。死体をナマで見る機会なんてない、「残酷短編集」ならばスナッフみたいなものか?そんな思いで見に行ったのだった。
このフィルムも世界各地の死体をスチールではなくビデオに収め、その生々しい映像に一切のコメントを添えずに作られている。カメラは淡々と目の前の光景をとらえる。音響なども殆ど編集されていないのだろう、周囲の雑音までが入り込み、そして群衆の中の、静寂とは違う独特のざわついた沈黙、というべき空間が支配する。その場の熱気を伝えるような、物言わぬ映像。その中心を死体が陣取る。道路の脇で血だまりにうつぶせになる者、無数の傷を残して倒れる者。たしかにそこには、人の形をした塊が映されていた。

夜の帳の中に飛び散った内臓、また、プーケットのベジタリアン・フェスティバルの様子も加えて収まっている。一瞬、奇をてらったグロ映像の羅列か?という思いが頭をよぎるが、しかしこの短編映像集はあまりにストイックである。「そこにあるもの」をただ見つめる。これだけのことが、僕には想像できなかった。少なくとも釣崎氏は、死体や内臓や改造された人体を嬉々として撮っているようには思えない。レスキュー隊が死体を梱包する過程まで止めることなくカメラを回し続ける彼の視点には、今の日本では到底受け容れがたい、死を含めた人の有り様、民族の姿への賛嘆の想いが込められているように感じる。ある人々は自分の生活のために死体を取り扱い、ある人は自身の信仰のために己の肉体を傷つける。だれもが倒錯的嗜好で死体に群がるわけではないのだ。死と共存して生きていく人々の強さが、数々の死体とともに描き出される。

同時に、この作品が死の異様さを雄弁に語っているのをぼくは忘れることができない。ロシアで撮られた「母」と名付けられた短編には、ベッドに横たわった女性の死体が映し出される。それと判別できるかどうか、というくらいの薄暗がりの中で、天井を仰いで虚ろに口を開け両手を宙に浮かせた状態の、性別すらはっきりしない白い死体。何度も確認するかのようにカメラは断片的に彼女をなぞる。それは死者の眠るような墓場のような静謐さや、生者が息づく家に満ちる生気のような、安定した存在とは決定的に異なる。彼女の姿は生と死の境目を見失わせる。ゾンビ映画のように彼女が起き上がるわけでもないのに、何故か不安を掻きたてられる。何かが中途で止められてしまったような、その居心地の悪さがおぞましさとなって感じられる。
突然、幼い少年の姿がドアの側に映った。母の子供なのだろう。涙の代りに違和感がいっそう際立つ。

でもこうやって死体を人の目に触れさせる行為、より身近な場所に置く行為を非難する人も必ずいる。釣崎氏は、YouTubeに載せた、タイで行われた墓場整理で洗浄され並べられた頭骨をケイタイで撮っている現地の女性の映像を予告篇に載せたところ「人でなし」というコメントが付いたと言う。死と共に生きる人々を知らず、不自然に生を前面に押し出された国の人間が見るとそれは不謹慎と見えるのだ。一体どちらが歪んだ思考をしているというのか。文明を一面的にしか見ることのできない、いやそれ以上に己の片割れと正面切って向きあうことを避けた(それはしばしば“似非モラリスト”となる)人間は、恐らく多い。

釣崎氏がリトル・モア社から出版した本のタイトルを「世界残酷紀行 死体に目が眩んで」という。帯には本文からの抜粋が挙げられている。
「初めて死体を撮ったときから/終わりのない旅に乗り出したような気がしている。/あるはずのない答えを求めて/孤独に彷徨っているような気がする」
ぼくたち生きる者にとって、死は全く異質な存在として映る。出来れば避けて通りたい存在、しかし誰にでも等しくやってくるもの。死は生の対義としてさまざまにネガティブなイメージを貼り付けられる。人間の文化が発展すれば、しぜん生者の世界は台頭し、死は呪わしいものであるかのように世界の端へと追いやられる。釣崎氏は、世界の端を目の当たりにしてしまった一人だ。恐らく若い頃のキワモノへの好奇心を圧倒するかのように、死の深淵は大きく口を広げていたのではないか。人間という生の存在が決して体験し得ない「死」を見つめんとする行為は、しかしあまりにも魅惑的で、豊かな世界であるかのように思われる。

願わくは、この異色の作品がこの世にさらに知られんことを。今まで目をそらし続けてきた存在の後姿、そしてそれに取り憑かれた人の眼が、私たちにこの世の作りを再認識させてくれる。
by murkhasya-garva | 2007-08-31 12:33 | 映画