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by murkhasya-garva
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ダフト・パンク エレクトロマ

「ダフト・パンク エレクトロマ」(2007)
ダフト・パンク エレクトロマ_b0068787_18161152.jpg この予告篇、映画を観に行くたびに流されてたんです。たぶん知名度が低いだろうからと劇場側も考えたのかもしれません。ヘルメット姿の二人の男や、フラッシュバック的にちらつく炎の映像、グオングオングオン…という音響が何とも有機体と無機体の間をさまようような薄気味悪さを醸し出している。ぼくは好奇心をやたら掻き立てられ、ついに観にいってきたのです。


この作品はダフトパンクというハウスミュージックのユニットが作ったもの。彼らは、松本零士とコラボレートした「インターステラ5555」という映画や、またVAIOのCMで使用された「One More Time」という曲などで、日本でも話題になっています。現時点ではアルバムも6枚リリースされています。
そこで電子音楽のたぐいにあまり詳しくないため、さっそく「daft punk」というそのまんまのタイトルのアルバムを借りて聴いてみたのですが、これがけっこう耳にハマる。電子音と肉声が境界線を超えて交じり合うような音響と、繰り返し響く心臓の鼓動のようなビートが沁みこんできます。アッパーな曲ではないのに、つい何度も繰り返して聴いてしまう音楽です。他のアルバムはと言うと…「Human After All」くらいしか聴いてないな。あまり偉そうなことは言えません。

ではそんなダフトパンクが手がけた本作はというと…幻想的な映像に見惚れるもののどこから切り込めばいいのか分からず、面食らいました。ストーリーに起承転結みたいな流れがあるわけでもなく、刺激的な映像が映るわけでもない。かといって、どうしようもないナンセンスという訳でもなく、ただ、妙なことに全編を通してデジャヴ感がつきまとうのです。

ストーリーは、カリフォルニアの荒涼とした光景を貫く一本の道路から始まります。そこをフェラーリで走る2体のロボット。彼らが通る街には、人の代わりにロボットだけが生活を営んでいる。この世の終わり感を漂わす絵柄に、近未来的な印象を受けます。2体は人間になりたいと願い、ロボットの住む社会に背を向け、改造を受けます。

しかし、ストーリーを順次説明したところで話の流れ自体は単純なため、あまり要領を得ないのです。それに1回観ただけではよく分かりません。というのも本作は、繰り返して観ることで、味が出てきそうな感じがしてならないのです。例えて言えば、噛めば噛むほど味が出るスルメのような作品。これはぼくの電子音楽の聴き方にも通じます。1回、2回と重ねて聴いていくほどに段々とハマっていく。作品のディテールに至るまでの綿密なこだわりや、引用的な映像や音楽に込められた「裏」の意味に気付いていくことで、作品全体の世界観や意図を理解が深まっていくようです。

例えば2体のロボットとは、ダフトパンクのメンバーであるトーマ・バンガルテルとギ=マニュエルのことでしょう。実際に2人ともアンドロイドだと自称し、仮面をかぶり素顔を見せません。
世界観では、“遠い昔、人間が忘れ去った場所に、ロボットたちの世界が秘かに息づいている”、と考えると、デジャヴ感も人間の文明の名残のひとつとして役割を果たしているように思えてきます。BGMでは、例えばロボットの手が燃え出すときに流れる、ショパンの「24の前奏曲作品28 第4番ホ短調」。これはショパンの葬儀のときに演奏されたものなのだとか。ロボットの死の予感がショパンの曲によって、いっそう終末感を匂わせます。

本作で挙げられる「映画的引用=サンプリング」や音楽とは、ダフトパンクというアンドロイドユニットの世界観の一翼を担い、ひいては彼らの音楽が持つ背景や志向性としても理解できます。本作では、何とダフトパンク自身の楽曲は一切使われません。用いられているのは、全て他の作曲者の手によるものばかり。つまり、敢えてオリジナルを使わないことで、本作が引用と背景によって成立していることをより明確に示す、ということでしょうか。

どこかで観たシーン、どこかで聴いた音楽・・・でもその出所は皆目見当がつかない(単に映画の知識が足りないだけ、とも言いますが)。解説に『映画的引用<サンプリング>の豊かさとその音楽に共通するストーリーの深淵とを意識させる』とあるくらいなので、相当な量で引用がされているんでしょう。そういえばどこかで、ゴダールが「映画はもはや模倣に過ぎない」みたいなことを言っていたような気がしますが、「映画的引用」と言ってしまえば、模倣であることの嘆きは既に問題にすらなりません。そもそもオリジナルとは模倣の集積だと指摘した方がいました。ようやく映画も、模倣が作品に力を与えるだけの歴史を持つようになった。そう考えると、この作品は映画の新たな意義を明らかに打ち出した、新時代の作品の一つだと言うことだってできるでしょう。

映像は確かに幻想的で、それを追っていくだけでもそれなりに楽しいのですが、この作品の醍醐味は読み解きにあると思います。公式サイトにも読み解け、といわんばかりの音楽のリスト。
よーし、やったろうじゃねえかって気になってきませんか?
by murkhasya-garva | 2007-07-06 18:18 | 映画