ナイト・オブ・ザ・京都ゾンビ(2)
2005年 10月 27日
ゾンビ映画について考えてみようという半ば酔狂で無謀なことをやってみようと思います。
何しろジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」(原題「ドーン・オブ・ザ・デッド」)はこのジャンルの古典的作品というほどの有名な映画らしいのです。夢人塔の浅尾典彦氏やミルクマン斉藤氏の談によるとこの作品、1つの国にそれぞれ1本は違うバージョンが存在しているというくらい編集されまくっているとか。ある人物は各国の作品のカットを継ぎ合わせて何と156分の大作に仕上げてしまったそうです。いやいや全くどの国にも好き者はいるもんですな。
そこで今回鑑賞の機会にあずかったのはダリオ・アルジェント監修版とディレクターズ・カット完全版。ダリオ・アルジェントはこの作品のプロデューサーで、彼の監修版は主に欧州に向けて頒布されたそうです。ディレクターズ・カット版は監督のロメロが監修版を更に手直しして「完全版」としたもの。こちらはアメリカや北欧にて公開されたとか。日本ではまずダリオ版が公開され、後になってロメロ版がやってきたそうです。そこで談ずる二人は当時この2作品を観た時、あれ何か違う…と思ったそうで。
実際に違うんです。マスターテープは同じなのに、雰囲気が相当違う。編集した者の視点が感じられるようです。そりゃ各人のアングルが異なっているんだから、カットも必然的に変わるんですよね。では何が違うのか。気付いたところを下にいくつか挙げてみたいと思います。
まず何よりも気になったのはBGМの違い。ダリオはひたすらゾンビと共にする世界を緊張と不安、恐怖に彩ろうとします。ここでは「ゾンビ=ホラー」という構図を確実に守った作品という感じです。ゾンビは人間の形をした悪魔の化身、なんて台詞があっても納得するかも。けどロメロ版はそれと違って、ゾンビのいる環境から別のテーマを出そうとしているようです。対ゾンビのシーンであえて軽快な音楽を流せば、普通は違和感を持つでしょう。そこには明らかに「ホラー」とは違う設定が施されている、と気付くはずです。BGMは、ゾンビの遺骸処理シーンでも異なります。まるでダリオ版では悲しみのもとでの厳粛な葬儀の雰囲気でしたが、ロメロはここでも明るい音楽です。ただの店内清掃、楽しいお仕事、といった感じか。
他にも、残された強盗団に襲い掛かるゾンビのシーン。ロメロはあえて音楽を流しませんでした。すると、不吉な音楽を流すダリオ版よりも恐怖感が伝わってくるんですね。多分あそこが一番グロテスクなんですが、視覚オンリーのゴアシーンが恐怖感を増す、ということでしょうか。
他の編集部分でも、このBGMの違いと同じものがあります。ダリオが対ゾンビの戦闘シーンを徹底的に映し出したのに対し、ロメロはあっさりとカットします。その代わりに登場人物の表情や人間関係に焦点を当てようとする。また、彼は文脈上からわかるだろうというシーンを削っていきます。SWAT隊員のピーターの指示のあと、ステファンが実際に行動しているところを割愛するとか…。この方法で全体的にすっきりしたんですが、その分だけ重複による余韻が失われているような気も。
2つを比べて、個人的にはロメロのほうが面白かったです。別に純粋に怖いもの見たさで観ているわけでもないし、作品全体の一貫性や各シーンの意味づけがユニークなのが気に入ったんです。やはり監督を務めた者の強みというか、そのシーンの雰囲気だけで編集している感じがダリオ版にはありますし、逆にロメロはもっと大きい視点で編集していたのでしょうか、何故こんなシーンを撮ったのか、とか何故このキャラが出てくるのか、ということにまで答えてくれるようでした。だから分かりやすいのかも。
「ホラー」を観たければダリオ・アルジェント版が、「いい映画」を観たければディレクターズ・カット版がいい。といったところでしょうか。
次回は「ゾンビ」という作品自体の感想とか、他2本の作品についてとか。
by murkhasya-garva
| 2005-10-27 14:55
| 映画