樹の海
2005年 09月 10日
やっと「スターウォーズ エピソード3」を観てきました。けど「NANA」と合わせで観てきたのがあるのでそっちから。
「樹の海」
2004年に東京国際映画祭の日本映画・ある視点部門で作品賞・特別賞を受賞という鳴り物付きで現れたこの作品では、富士の樹海を舞台に「死」に向かい合う人々の話が4編綴られる。富士の樹海が自殺の名所だというのはあまりに有名。キャストに井川遥、萩原聖人、津田寛治、大杉漣、塩見三省などを迎える。
死が物語の中で織り込まれる作品は数限りなくありますが、これは死を主題にしたもの。人は間接的、直接的に死に向かい合うとき何を感じ、思うのか。もっぱら他者との語らい、関係を重視し、ひいては生について考えるものとなっています。
金融業者のタツヤ(池内博之)は、顧客の1人で全てを失い、樹海へ向かった今日子(小嶺麗奈)を追うが、その姿に自分を重ね合わせ、携帯電話に向かって語り続ける。/樹海へ捨てられた朝倉(萩原聖人)は死体となった田中(田村泰二郎)に話しかけ、死に行く者に思いをはせる。/三枝(塩見三省)は自殺者と生前関わりがあったと思しき山田(津田寛治)と、彼女の自殺の理由を、そして人の生き死にについて考えをめぐらす。
過去から逃れ静かに日々を送る映子(井川遥)はあるきっかけで過去の傷がよみがえり、樹海へ向かう。死を選んだ彼女は何を見るのか。
受賞作だけあって、この作品の抱える問題の深刻さは相当なものがあります。なぜ樹海へ向かうのか、生きるとはどういうことなのか。そして他者との関わりは人に何をもたらすのか。徹底的にそのあたりをいぶりだす点は圧巻でもあります。どんな人間にも死は訪れる。だからこそ誰もが必然的に何かを考えざるを得ないんでしょう。
また初め3編は「語る」ことに主眼が置かれています。死への思いを明るみに出すとき、人との語りは有効な方法となります。萩原聖人が死体にまで話しているとき、あんな環境では死体とも話したくなってしまうんだろうな、と思うと同時に、人はそうまでして語らなければいけないのか…とも感じてしまいました。それは人という存在の業(ごう)のようなものなんでしょうか。
ただ、この作品、どうも納得行かないところがある。逆に言うと映画なのになんでそんなに語ってるの?という疑問。池内博之のときもそうですが、延々と語られると、映像よりも台詞に意識が行ってしまう。しかも途中で聞こえづらくなるし。だめやん。それ以降2編もひたすら語られると思うと・・・ちょっとうんざりしますね。くどいというか。映画らしくないというか。また同じパターンかよ、なんて思うわけです。新感覚、新しい視点といえばそれまでなんでしょうが、ちょっとその構成に疑問を持ってしまいます。退屈。
またキャラ作りも何人か、??な人がいます。特に若い人。その場の環境(樹海のこと)だけでしか人柄が入ってないんでしょうか。個人のバックグラウンドがあんまり感じられないんです。特にチョイ役の小山田サユリなんて・・・もっと頑張れよ。ショートストーリーだからこそキャラ作りは際立ってくるんじゃ? 逆にベテランの人は堂に入ったもんです。塩見三省×津田寛治は良かった。
大杉漣も脇役だったのにいい味出してましたね~。井川遥もよかったな。
見ている最中はそっちに引っかかりっぱなしで、あ~あとか思ってアクビばっかりしてました。言ってしまえば、そもそも映画化する必要性のない映画だったと思うんですけど。舞台で十分じゃん。でも、ストーリーは相当特色あります。
生死を考えるにはヒントになるかも。興味があればどうぞ。強くオススメしないけど。
「樹の海」
2004年に東京国際映画祭の日本映画・ある視点部門で作品賞・特別賞を受賞という鳴り物付きで現れたこの作品では、富士の樹海を舞台に「死」に向かい合う人々の話が4編綴られる。富士の樹海が自殺の名所だというのはあまりに有名。キャストに井川遥、萩原聖人、津田寛治、大杉漣、塩見三省などを迎える。
死が物語の中で織り込まれる作品は数限りなくありますが、これは死を主題にしたもの。人は間接的、直接的に死に向かい合うとき何を感じ、思うのか。もっぱら他者との語らい、関係を重視し、ひいては生について考えるものとなっています。
金融業者のタツヤ(池内博之)は、顧客の1人で全てを失い、樹海へ向かった今日子(小嶺麗奈)を追うが、その姿に自分を重ね合わせ、携帯電話に向かって語り続ける。/樹海へ捨てられた朝倉(萩原聖人)は死体となった田中(田村泰二郎)に話しかけ、死に行く者に思いをはせる。/三枝(塩見三省)は自殺者と生前関わりがあったと思しき山田(津田寛治)と、彼女の自殺の理由を、そして人の生き死にについて考えをめぐらす。
過去から逃れ静かに日々を送る映子(井川遥)はあるきっかけで過去の傷がよみがえり、樹海へ向かう。死を選んだ彼女は何を見るのか。
受賞作だけあって、この作品の抱える問題の深刻さは相当なものがあります。なぜ樹海へ向かうのか、生きるとはどういうことなのか。そして他者との関わりは人に何をもたらすのか。徹底的にそのあたりをいぶりだす点は圧巻でもあります。どんな人間にも死は訪れる。だからこそ誰もが必然的に何かを考えざるを得ないんでしょう。
また初め3編は「語る」ことに主眼が置かれています。死への思いを明るみに出すとき、人との語りは有効な方法となります。萩原聖人が死体にまで話しているとき、あんな環境では死体とも話したくなってしまうんだろうな、と思うと同時に、人はそうまでして語らなければいけないのか…とも感じてしまいました。それは人という存在の業(ごう)のようなものなんでしょうか。
ただ、この作品、どうも納得行かないところがある。逆に言うと映画なのになんでそんなに語ってるの?という疑問。池内博之のときもそうですが、延々と語られると、映像よりも台詞に意識が行ってしまう。しかも途中で聞こえづらくなるし。だめやん。それ以降2編もひたすら語られると思うと・・・ちょっとうんざりしますね。くどいというか。映画らしくないというか。また同じパターンかよ、なんて思うわけです。新感覚、新しい視点といえばそれまでなんでしょうが、ちょっとその構成に疑問を持ってしまいます。退屈。
またキャラ作りも何人か、??な人がいます。特に若い人。その場の環境(樹海のこと)だけでしか人柄が入ってないんでしょうか。個人のバックグラウンドがあんまり感じられないんです。特にチョイ役の小山田サユリなんて・・・もっと頑張れよ。ショートストーリーだからこそキャラ作りは際立ってくるんじゃ? 逆にベテランの人は堂に入ったもんです。塩見三省×津田寛治は良かった。
大杉漣も脇役だったのにいい味出してましたね~。井川遥もよかったな。
見ている最中はそっちに引っかかりっぱなしで、あ~あとか思ってアクビばっかりしてました。言ってしまえば、そもそも映画化する必要性のない映画だったと思うんですけど。舞台で十分じゃん。でも、ストーリーは相当特色あります。
生死を考えるにはヒントになるかも。興味があればどうぞ。強くオススメしないけど。
by murkhasya-garva
| 2005-09-10 09:25
| 映画