RCS:麻生久美子Beautiful☆Night
2009年 07月 03日
6/27日上映の『麻生久美子Beautiful☆Night』、日本の女優さんでトップクラスに好きな方です。最近では『インスタント沼』で主演。結局京都では見られずじまい。滋賀会館シネマホールでやってくれないかなあ。
『ハーフェズ ペルシャの詩』(2008)
麻生久美子は母方のペルシャから来た、大師の娘という役。非ネイティブというのも役どころに合っている。主人公シャムセディン(メヒディ・モラディ)はハフェズ;コーランの暗記者。ナバート(麻生久美子)の家庭教師を任されたものの、彼女の無邪気な問いとその声に心をかき乱されてしまう。(字幕では“ハーフェズ”ではなく、“ハフェズ”。誤記入ではないです)
とっぱじめはカットが結構早急な感じで、しかもコーランの朗読など現地の習慣をレポートするように見えたものだから、え、これ日本の監督が作ってるの?と思った。でもあとあとになって一切のナレーションなし、多重の含意にも思える風景の長回しなどが雰囲気を伝えてくれる。思えば特に日本のカルーい作品は、キャラ立ちさせるための気ぜわしい演出が多いものだ。しかしこの作品、日本から女優を招いたからと言って全然おもねっておらず、世界観と物言わぬ光景とが重なり合うエピソード、その中のやり取りが物語を一枚一枚めくっているようにも感じられて、いつの間にかその世界に引き込まれてしまっていることにあとで気づく。
朗々と暗唱されるコーラン。ハフェズの想いがコーランの引用と優れた詩の才能でつづられる。終りがどこか見当がつかなかったけど、聞いたことのない歌ってこんな感じである意味あっさりと終わるように聞こえるんだよな。余韻があっていいです。
『アイデン&ティティ』(2003)
みなみ会館で観たのは何度目だろう。多分最低3回は観た。まさに青春映画そのもの。ボブ・ディラン風ロックの神様のセリフがいちいちグッと来る。昔よりもなんかすごい来るんですけど。軽々しく言いたくないのだけど、傑作です、これ。
「どんな気がする?誰にも知られないってことは、転がる石のように・・・」
この作品、何度観ても涙は出ない。でも見る度になんか心にグサグサ突き刺さってくるんだ。何者でもない自分、世間やら将来やら周りの圧力をひしひしと感じる時期に、この映画はイタい。イタすぎる。自分がどうすればいいかなんてわからない。昔よりもその思いは強くなってきたような気がする。それをこの映画をみて痛感するわけだ。でもロックの神様はずっと前から答えを出してくれている。なぜ今まで気付かなかったんだろう。自分の思ったようにやればいいんだ、と。
そして主人公中島(峯田和伸)の彼女を演じる麻生久美子。こんな時からもう彼女はしっかりそこに“いる”。ゆっくり、棒読みのようだけどしっかりと中島に聞かせるようなセリフがとても印象的。
「わたしと君は毎日いちゃいちゃするような時期を過ぎて、いなきゃ絶対困る・・・なんだろう、親友より、もっと上の関係になれたって思うんだ。それを結婚って言うなら、わたしも同じ気持ちだよ」
初めて観た当時は、何だこのクッサいセリフは、と鼻についたけど、おそらく彼女の気持ちを中島に確かに伝えるためにはこの言葉じゃないとだめだったんだなあ、と今になってしみじみ思わされるのです。
『たみおのしあわせ』(2008)
オダギリジョー扮するサエナイ30男・民男が見合いで出会った人、瞳。考えてみれば美男美女というムカツク、もとい羨ましい取り合わせなんだけど、民男の存在感のショボいこと。いや、いい意味で言っているんです。
ちょっと手を加えたら確実に美男なのに新しく買うシャツはチェックでしかもインしてるし、家に帰ったら夜は確実にパジャマ。いわゆるオタク系・草食系男子というか。しかし草食系男子ってヒドイ言葉です。どの層が使うんだよ。
見合いを経て少しずつ結婚へと近付いていく二人とその周りの人々。丁寧な視点で彼らの一日一日が描かれてゆく。“しあわせってこういうものなんだなあ”とジワジワ沁みてくるのがとても好き。小さなことの積み重ねがあるからこそ、瞳の「バカなの、私。分かってるの自分で。凧みたいな女だって。ちゃんと下でヒモを引っぱってくれる人がいないと、どっか飛んでっちゃうの」なんていうセリフがものすごくググッと来る。
ここでの麻生久美子はみぞおちの奥あたりがくすぐられるような愛おしさと温かさがある。彼女は男の願望を形にしたさせたようなタイプで、しかも奥ゆかしい色気まで感じられるというものだから神々しさまで感じてしまいました。
ハッピーエンドだって大方の人が期待していたはず。あれやこれやの伏線なんておいといて、強引にまとめちゃっても全然OKくらいに思っていた。でも最後の最後で民男親子はとんでもない行動に出る。いったい、彼らはどこに行こうというのか。それってしあわせなのか?
※追記:民男の住んでいる家の居間の場所や使い方がイイ。陽の当たる場所に和式座卓(テーブル)を置き、そのすぐ傍に台所や洗面所、玄関を配置している。しかも奥側にはゆったりくつろげそうなソファ。ただ、天井から覗かれていたり、入口から入って奥に当たる空間は少し不安な感じがするんだけど。あの空間、2人は確かにちょっと足りない。もう一人、それこそ温かい存在が入るだけですごく充実するんだろうな・・・
『転々』(2007)
パチスロ狂いの借金まみれ大学生を演じるオダギリジョーのところに突然乗り込んできたヤクザの三浦友和。一緒に東京散歩したら100万円やるという提案で、二人は当てもなく東京散歩。
三木聡監督だし、ぜったいロードムービーにはならんだろう、むしろ小ネタ満載という得意技を炸裂させるのにいい題材だろうと思っていたら案の定というか。あまりにバカバカしいのでユルユルにして見ていたら、ちょうどアグラをかいていたために思わず尻から漏れた屁の音が響いてしまった。普通ならものすごい焦りようで映画どころじゃないんだろうけど、その音を聞いた前の席のお姉ちゃんやら周りの人がピクーッてすごい反応するのでそっちがやたら面白くて面白くて、一人でずっと笑い続けていたのでした。
ここで出ている役者さん、小泉今日子もいいのだけど吉高由里子が光っている。思ったまま行動して一人でキャハーみたいなおバカで無邪気な女の子を見事に演じていて、その突き抜けっぷりにノックアウトです。もう負けっす。ピョンピョン飛び跳ねるのでポップコーンがバラバラ飛び散っているのに、気にせず食べていたり。すごいキャラだなあ。
天涯孤独な主人公が家族の温かさ、人とのかかわりの大切さを知るというのもテーマにあるようだけど、こちらは何だか全然来なかった。無造作な終わり方もたぶんそれに通じているのだろう。軽いノリでシメられると、はじめこそ、えぇー?という感じなんだけどこれがあとでジワジワ来るのだ。
『ハーフェズ ペルシャの詩』(2008)
麻生久美子は母方のペルシャから来た、大師の娘という役。非ネイティブというのも役どころに合っている。主人公シャムセディン(メヒディ・モラディ)はハフェズ;コーランの暗記者。ナバート(麻生久美子)の家庭教師を任されたものの、彼女の無邪気な問いとその声に心をかき乱されてしまう。(字幕では“ハーフェズ”ではなく、“ハフェズ”。誤記入ではないです)
とっぱじめはカットが結構早急な感じで、しかもコーランの朗読など現地の習慣をレポートするように見えたものだから、え、これ日本の監督が作ってるの?と思った。でもあとあとになって一切のナレーションなし、多重の含意にも思える風景の長回しなどが雰囲気を伝えてくれる。思えば特に日本のカルーい作品は、キャラ立ちさせるための気ぜわしい演出が多いものだ。しかしこの作品、日本から女優を招いたからと言って全然おもねっておらず、世界観と物言わぬ光景とが重なり合うエピソード、その中のやり取りが物語を一枚一枚めくっているようにも感じられて、いつの間にかその世界に引き込まれてしまっていることにあとで気づく。
朗々と暗唱されるコーラン。ハフェズの想いがコーランの引用と優れた詩の才能でつづられる。終りがどこか見当がつかなかったけど、聞いたことのない歌ってこんな感じである意味あっさりと終わるように聞こえるんだよな。余韻があっていいです。
『アイデン&ティティ』(2003)
みなみ会館で観たのは何度目だろう。多分最低3回は観た。まさに青春映画そのもの。ボブ・ディラン風ロックの神様のセリフがいちいちグッと来る。昔よりもなんかすごい来るんですけど。軽々しく言いたくないのだけど、傑作です、これ。
「どんな気がする?誰にも知られないってことは、転がる石のように・・・」
この作品、何度観ても涙は出ない。でも見る度になんか心にグサグサ突き刺さってくるんだ。何者でもない自分、世間やら将来やら周りの圧力をひしひしと感じる時期に、この映画はイタい。イタすぎる。自分がどうすればいいかなんてわからない。昔よりもその思いは強くなってきたような気がする。それをこの映画をみて痛感するわけだ。でもロックの神様はずっと前から答えを出してくれている。なぜ今まで気付かなかったんだろう。自分の思ったようにやればいいんだ、と。
そして主人公中島(峯田和伸)の彼女を演じる麻生久美子。こんな時からもう彼女はしっかりそこに“いる”。ゆっくり、棒読みのようだけどしっかりと中島に聞かせるようなセリフがとても印象的。
「わたしと君は毎日いちゃいちゃするような時期を過ぎて、いなきゃ絶対困る・・・なんだろう、親友より、もっと上の関係になれたって思うんだ。それを結婚って言うなら、わたしも同じ気持ちだよ」
初めて観た当時は、何だこのクッサいセリフは、と鼻についたけど、おそらく彼女の気持ちを中島に確かに伝えるためにはこの言葉じゃないとだめだったんだなあ、と今になってしみじみ思わされるのです。
『たみおのしあわせ』(2008)
オダギリジョー扮するサエナイ30男・民男が見合いで出会った人、瞳。考えてみれば美男美女というムカツク、もとい羨ましい取り合わせなんだけど、民男の存在感のショボいこと。いや、いい意味で言っているんです。
ちょっと手を加えたら確実に美男なのに新しく買うシャツはチェックでしかもインしてるし、家に帰ったら夜は確実にパジャマ。いわゆるオタク系・草食系男子というか。しかし草食系男子ってヒドイ言葉です。どの層が使うんだよ。
見合いを経て少しずつ結婚へと近付いていく二人とその周りの人々。丁寧な視点で彼らの一日一日が描かれてゆく。“しあわせってこういうものなんだなあ”とジワジワ沁みてくるのがとても好き。小さなことの積み重ねがあるからこそ、瞳の「バカなの、私。分かってるの自分で。凧みたいな女だって。ちゃんと下でヒモを引っぱってくれる人がいないと、どっか飛んでっちゃうの」なんていうセリフがものすごくググッと来る。
ここでの麻生久美子はみぞおちの奥あたりがくすぐられるような愛おしさと温かさがある。彼女は男の願望を形にしたさせたようなタイプで、しかも奥ゆかしい色気まで感じられるというものだから神々しさまで感じてしまいました。
ハッピーエンドだって大方の人が期待していたはず。あれやこれやの伏線なんておいといて、強引にまとめちゃっても全然OKくらいに思っていた。でも最後の最後で民男親子はとんでもない行動に出る。いったい、彼らはどこに行こうというのか。それってしあわせなのか?
※追記:民男の住んでいる家の居間の場所や使い方がイイ。陽の当たる場所に和式座卓(テーブル)を置き、そのすぐ傍に台所や洗面所、玄関を配置している。しかも奥側にはゆったりくつろげそうなソファ。ただ、天井から覗かれていたり、入口から入って奥に当たる空間は少し不安な感じがするんだけど。あの空間、2人は確かにちょっと足りない。もう一人、それこそ温かい存在が入るだけですごく充実するんだろうな・・・
『転々』(2007)
パチスロ狂いの借金まみれ大学生を演じるオダギリジョーのところに突然乗り込んできたヤクザの三浦友和。一緒に東京散歩したら100万円やるという提案で、二人は当てもなく東京散歩。
三木聡監督だし、ぜったいロードムービーにはならんだろう、むしろ小ネタ満載という得意技を炸裂させるのにいい題材だろうと思っていたら案の定というか。あまりにバカバカしいのでユルユルにして見ていたら、ちょうどアグラをかいていたために思わず尻から漏れた屁の音が響いてしまった。普通ならものすごい焦りようで映画どころじゃないんだろうけど、その音を聞いた前の席のお姉ちゃんやら周りの人がピクーッてすごい反応するのでそっちがやたら面白くて面白くて、一人でずっと笑い続けていたのでした。
ここで出ている役者さん、小泉今日子もいいのだけど吉高由里子が光っている。思ったまま行動して一人でキャハーみたいなおバカで無邪気な女の子を見事に演じていて、その突き抜けっぷりにノックアウトです。もう負けっす。ピョンピョン飛び跳ねるのでポップコーンがバラバラ飛び散っているのに、気にせず食べていたり。すごいキャラだなあ。
天涯孤独な主人公が家族の温かさ、人とのかかわりの大切さを知るというのもテーマにあるようだけど、こちらは何だか全然来なかった。無造作な終わり方もたぶんそれに通じているのだろう。軽いノリでシメられると、はじめこそ、えぇー?という感じなんだけどこれがあとでジワジワ来るのだ。
by murkhasya-garva
| 2009-07-03 03:56
| 映画