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by murkhasya-garva
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昨日は「ATG Film Exhibition」の2日目でした。
ATG Film Exhibition 第2日目「新宿泥棒日記」_b0068787_12365679.jpg上映作品は大島渚の「新宿泥棒日記」(1969)。
一昨日の作品でもそうでしたが、監督が撮りたいものを自由に撮るという意志が響く、力強さを持った作品でした。
そして漫★画太郎の「このとおりです!」の原点らしきポーズも発見!!


監督が違うと作品の雰囲気は全く異なったものになります。
昨日上映された寺山修司監督の「書を捨てよ町へ出よう」では、様々なシーンがコラージュのように重なり、また主人公に合わせた視点で撮影されているように感じました。
しかし、今回の「新宿泥棒日記」は、監督の、ストーリーとして一本筋の入った一貫性のあるものにしようという意志みたいなものが感じられるのと同時に、絵画で言うキュビズムのように多角的な視点を重ねた作品のようでした。

また、今回はストーリーの中に「意図された」映像の工夫が散りばめられています。
例えば、モノクロとカラーが時々入れ替わること、積み重ねられた本が囁きだす夜の本屋、
時折挟まれる「新宿泥棒日記」のタイトル、日本標準時刻と外国の標準時刻を順に表示、
性科学者(高橋鐵)の面談の時にはカメラを揺らし、カメラの作動音を入れていることetc。。。
帰る途中でどこかの大学生が言っていました。
「所々に戦略的な意図が凝らしてあって・・・」
確かに、監督の言いたいことを様々な方法で表現しているんです。

アフタートークで葛井欣士郎さんは「ストーリーというよりも映像重視」、「各人の好きなように解釈してもらいたい。2日、3日と経つごとに色々と印象が変わってくるだろう。それを楽しんでほしい」といったことを仰っていました。

この作品がまず、動乱の渦中にある新宿を舞台にした、横尾忠則と横山リエの恋愛劇であるということ。
そしてそれは、社会と同様に混乱した2人のもどかしいまでの関係を描くものであり、2人の関係とその周りの出来事は、そのまま当時の時代を象徴したものとなるはずだと思います。
タイトルはジャン・ジュネの「泥棒日記」から付けられたものでしょう。多分これを踏まえた内容にもなっているはずです。

今日は14時より松本俊夫監督の「薔薇の葬列」が上映されます。
ちなみに「薔薇族」はここから付けられたそうです。
# by murkhasya-garva | 2006-06-10 12:18 | 映画
ATG Film Exhibition 第1日目「書を捨てよ町へ出よう」_b0068787_09123.jpg
京都造形芸術大学にて、「ATG Film Exhibition
なるものが開催されました。
今日6月8日から4日間にわたり超有名なATG作品を1本ずつ上映するそうです。

1日目となる今日は、「書を捨てよ町へ出よう」(1971)。
監督は寺山修司。製作、原作、脚本も手がけ、妻である九條映子(今日子)とともに手がけたそうです。
アフタートークには九條今日子さん、榎本了壱さんがご出席。


なぜか分からないけどATGのような少し昔の邦画は好きです。
最近の商業ベースに乗った作品のように、必ずしもエンターテインメント的な要素を盛り込まないところが好きなのか、わざわざテーマを分かりやすくしないところか、はたまたレトロな雰囲気に浸るのが好きなのか。ともかく、観ていてほっとした感じにさせられるんですね。

この作品もそうです。テーマがかなり見えづらい。話の大筋は、言われてみれば分かる(ような気がする)けど、映像をそのまま追っていたら多分混乱します。
実際にアフタートークの質疑応答でこんな質問が出ました。
「寺山作品は、『書を捨てよ町へ出よう』の後の『田園に死す』ではかなりテーマが分かりやすくなっていたが、それはどういう意図によるものだったのか?もしかして‘衰退’したということなのか?」

九條さん、榎本さんによれば、「田園に死す」は、商業ベースにのせ、より多くの人に観てもらいたかった。それは資金を集めるのが困難な状況で、観客を動員する必要があったからだし、「田園に死す」という高尚なタイトルから少し遠慮もしたのかも知れない、とのことでした。
ともかく、テーマが見えづらいのはわざとなんですね。挿入される巷のさまざまな人々のシーン、そして必然的に想像できない展開。これらを含めて見てみると、ATG映画が最近の主流である娯楽商品などではなく、まさしく芸術作品を志向して作られたものなんだということが何となく分かってきます。

そう、そして何よりもこのATG作品の魅力は、監督独自の姿勢で「生きる」ことに正面から感情で問いかけ、観客を挑発するようなテンションにあります。世界的に激動の時期であった60年代から70年代にかけて、「社会が氾濫していた」状況で作られた点に原因があるようです。

明日2日目は、大島渚監督のATG作品、「新宿泥棒日記」。
アフタートークには葛井欣士郎さん、毛利臣男さんが来られるそうです。
# by murkhasya-garva | 2006-06-08 23:56 | 映画

プロデューサーズ(1968)

「プロデューサーズ」(1968)
プロデューサーズ(1968)_b0068787_1845495.jpg
これがオリジナル。メル・ブルックス監督はこの作品でアカデミー賞を獲得し、2001年にはブロードウェイでミュージカル化し、トニー賞史上最多の12部門をも獲得。2005年のリメイク版もゴールデングローブ賞にノミネートされ、他いくつかの賞を獲得する。



良くも悪くもオリジナルとしての魅力、特徴の詰まった作品です。昔からの映画ファンならばオリジナル版を大絶賛する、その感覚は分かる気がします。歯切れの良い展開、シニカルな笑いの数々。映画としての体裁を考えると、恐らく2005年のリメイク版よりも出来のいいものではないでしょうか。

リメイク版ではほぼ完全にミュージカルであった「プロデューサーズ」でしたが、この作品はミュージカルを作るという過程を描くのに重心が置かれています。つまりミュージカルなのは公演の時と刑務所の中だけ。そのため、リメイク版に大満足してオリジナルを観ると、物足りない感じを受けるようです。実際にぼくも、いつ歌うのを今か今かと待っていたのにあまり期待通りではなく、少し残念に思いました。

とはいえリメイク版に健在のジョークは笑わせてもらいました。むしろユーモアのどぎつさで言えばオリジナルの方が余程面白いのです。美人秘書のウーラは、本当にアッパッパー(死語!)の尻軽オネーチャンで、いきなりワンピースを脱いだかと思うとゴーゴーを激しく踊りだす…マックスと老婦人との絡みは下ネタギリギリで繰り広げられる…ラリッた男が最低の舞台に見事な花を添える、と見所満載です。思わず噴き出します。抵抗できません。

でもさすがにこれだけでは客が引くだけです。程よく織り交ぜられるマックスとレオの温かな人間ドラマは、そんな中でひときわ存在感を放っています。特に噴水の前でのシーン。周りを踊るレオのバックで立ち上る噴水は壮観です。多分リメイク版よりも感動的。

一方で、そのテンポの良さから、多少話のつながりが悪くなっているようでもあります。ラリッた男(名前忘れた)の演技は仕様なのかアドリブなのか、とか、ドイツ移民のフランツがなぜ死のうとするのか、など他何点か。でも全体の流れを乱すほどでもないですね。

そして(ミュージカルは観ていないので、そこは勘弁願いたいのですが)これらの作品の長所を大いに生かし、短所と思われる点を改善したのが今回のリメイク版だといえるでしょう。各エピソードの話題を広げ、脇役の持ち味を十二分に生かし、テンションを最後の最後まで上げ続けた結果、オリジナルとは違う楽しさがあります。
制作者が観たかったことをすべて実現させたのでしょう。この徹底ぶりには頭が下がります。しかし、各エピソードを膨らませすぎて、映画としてのバランスをやや欠いているのが残念です。

オリジナル版とリメイク版、たしかに一長一短ですが、どちらも観て損はないくらいの楽しさがあります。観比べてみて下さい。
# by murkhasya-garva | 2006-06-05 18:46 | 映画

アンジェラ

ものすごいネタバレです。ご注意を。
「アンジェラ」(2005)
アンジェラ_b0068787_1291145.jpg
ギャングや殺し屋相手に多額の借金を作ってしまったアンドレ。48時間以内に借金を返さなければ命がないといわれ、絶望してセーヌ川に身を投げようとする。そのとき、突如現れた女が自分よりも先に川に飛び込む。彼女を助けるアンドレ。長身、ブロンドの美女の名は、アンジェラ。


リュック・ベッソンといえば、一時期「レオン」や「WASABI」で話題になりました。若い世代はかなりの人が見たんではないでしょうか。他の作品をほとんど見ていないので彼の作品群でどうこう言えませんが、結論から言わせてもらうと、「そりゃないだろう」。
リュック・ベッソンの願望が詰まった作品、そういわれても仕方ない。とても象徴的な意味合いをもった切り口を、彼の甘ーい願望でコテコテに仕上げた作品です。

主人公は、無能でチビの醜男。自分に嘘をつき続け、どうしようもなくなった男。そんなお先真っ暗の彼の中には、外見とは正反対の内面(アニマ)があると突然告げられるのです。劣等感に苛まれる人間にとって、これ以上のカタルシスはありません。恐らく、アンジェラ=アンドレという名前の類似もこれになぞらえたものでしょう。実際に彼女は言います。「私はあなたの半身、私はあなたの影」。

誰の中にも天使は宿る。そう言いたいがために監督は様々の設定をしたはずです。原題の「ANGEL-A」は、まさに彼女が作中の限定された存在ではなく、任務として遣わされた天使の中の1人にすぎないこと(匿名性)を示しています。だからこそ、鏡に向かって自分自身に「愛してる」と告げる姿が真に迫ります。もっとも、あまりにベタ過ぎて噴き出していましたが。

まさに、現代を舞台とした宗教的な物語。昔よりも物質主義的になった人間が信じるものは、目に見える証拠なのだそうですが、アンドレは驚くほどあっさり奇蹟を受け入れます。
いやいや、もっと疑えよ。
ともあれ、「自分を愛する」それ自体が神の愛=奇蹟を受け入れること、そんな勢いで彼は変化し続けます。また、古典的なパターンでこの作品を古臭くしないためにも、アンジェラにはより人間的であることが要求されます。しかし、同時にこれこそが問題でもあります。

ここで天使を人間臭くすることは様々なリスクを伴います。いわばアンドレの代弁者であったアンジェラが「自分」の言葉で語ること。それは、彼の内面が語るのか、彼女という個人が語るのかという点で混同が起こるのです。感情移入が難しくなるところです。
また彼と彼女が別の存在になることで、単なる異性間の恋愛にも成りさがるのです。初めに掲げた崇高なテーマが崩れるんですね。別のお決まりパターンに走ってしまうと、もう後が見えています。

クライマックスは救いようがないほど陳腐だし、突っ込みどころ満載です。地に堕ちた天使、というこれまた難しいネタをいとも簡単に処理する監督の単純さは、本当に脱力させてくれます。こんな作品を10年も温め続けてきたリュック・ベッソン監督の気が知れません。少なくとももう少しひねってほしかった。

こんな甘ったるい映画観ていられない、そう言わずに観てほしいです。自分の願望を正直に出した結果、破綻してしまったという最たる例じゃないでしょうか。情景が美しければ美しいほど、彼がこの作品に本気だったことがうかがわれます。
しかし、先にも言いましたが、常々劣等感を意識する人には最良の作品となるかもしれません。こんなにも「自分」を直接に肯定する作品はそうそう見当たらないですよ。
# by murkhasya-garva | 2006-06-04 01:31 | 映画
「グッドナイト&グッドラック」(2005)
グッドナイト&グッドラック_b0068787_15281973.jpg
ジョージ・クルーニー監督の「コンフェッション」に続く第2作。半世紀前のアメリカの伝説的ニュースキャスターとその番組スタッフを描いた社会派作品。アカデミー賞主要6部門ノミネート、第62回ヴェネチア国際映画祭3部門受賞、他多数の映画賞受賞。



1953年、冷戦のまっただなか、アメリカでは共産主義者の排除活動、いわゆる「赤狩り」が猛威を振るっていた。少しでも疑わしい者がいれば標的にされる、その恐怖は一般市民、そしてマスコミすらにも広がっていた。そんな中、CBSのニュースキャスターのエド・マローは「赤狩り」の急先鋒であるマッカーシー議員を自らの番組で批判する…

“感想”を書くに当たって最もやりにくいタイプの映画です。基本的に当時の状況を知らないと、彼らの深刻さなど分かるはずもなく、まして政治問題に関わる話は興味ないという方々には「何これ」の一言で片付けられかねません。かく言うぼくもほとんど知識のないまま観にいったので少し苦労をしました。
あまり書きにくい書きにくい言うと「じゃあ書くな」ということになりますが、そこはご愛嬌。世間知らずの映画ファンが観るとどんな印象を受けるのか、ご覧ください。

まずこの作品の特色はモノクロで統一されていること。2000年カンヌ映画祭でグランプリを受賞した「鬼が来た!」でもモノクロを用いていましたが、過去の出来事を描写する上で当時をしのばせる効果的な方法だと思います。今回はそれがテレビ局内という限られた空間なのがまたいい。静かさを感じさせる白と黒の組み合わせは、シンプルで時には芸術的な印象すら受けます。

上院議員のマッカーシーと正面切って対決する番組のスタッフとマローの姿は、モノクロの映像を通して、観る者にさらに緊張感を与えます。特にエド・マローがカッコいい。彼はマッカーシーの言葉巧みに放つデマをきっぱりと否定し、彼の欺瞞を逆に告発します。マロー役を演じるデビッド・ストラザーンの眼光は鋭く、決意の揺るがないその男前ぶりが本当にしびれさせてくれる。シブい。
彼は番組の最後に決まってアップでこう言います。「Good night, and Good luck」 惚れます。

ただ、実際にはそうでもないのですが、見ようによっては単調で飽きてくるかも知れません。張り詰めた緊張感を解く意味でも、2,30分おきに、番組終了時の緩やかなジャズが挿まれます。女性歌手の情感たっぷりに歌い上げるジャズは、優雅でどこか懐かしさを感じさせるものです。その映像は他のシーンと違って動的で、特に歌手の大きく動く口がとてもエロティックです。オープニングでも流れるジャズは、この作品のムードを素晴らしく描き出しているといえるでしょう。

マローの強い意志を横目に揺れ動く人々。彼を信頼していながらも、やはりその権力の大きさに屈してしまいます。彼らの思わぬ行動はマローたちに影を落としますが、本来何をすべきかがはっきりと分かっている者にとって、立ち止まる理由にはならないようです。マスコミとして市民の自由を守るべく歩んだ姿は、誰よりも勇気があり、強い。

アル・パチーノ主演の「インサイダー」(2000)同様、血を流さない戦いが展開される秀作だと思います。舞台がCBSという点では共通していますが、本作はタバコ会社が応援していること、そして「インサイダー」ではタバコ会社を告発している点で、対照的な関係にあるようです。本作はみんなしてタバコモクモク吸ってます。それを考えると結構面白い。もちろんそれ抜きでも十分に楽しめると思います。秀作。
# by murkhasya-garva | 2006-06-02 15:31 | 映画