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by murkhasya-garva
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<惑星★Night>緑玉紳士

「緑玉紳士」(2004)
<惑星★Night>緑玉紳士_b0068787_20122023.jpg今回のオールナイト「惑星★Night」、第2作目は京都発のパペットアニメーションである「緑玉紳士」(りょくたましんし)。栗田安朗監督は京都精華大出身。以前京都シネマで上映していたのですが見逃していました。そういえば京都精華大は京都シネマで学生の上映会を催していたような…


上映後には栗田監督とミルクマン斉藤氏がトークショーがありました。待合のスペースに座っていたパジャマスタイルの兄ちゃんが監督だとはつゆ知らず、ミルクマン斉藤氏は相変わらず目の覚めるようなピンクのスーツで登場。

パペットアニメーション自体あまり観る機会がないので、今回はかなり新鮮な体験でした。「ウォレス&グルミット」がライバルの栗田監督、言うだけあって結構な面白さです。ジャズが響く小洒落た夜の街に、カラフルでコミカルなパペットが動き回るのは見ていて楽しくなります。言葉も「ウィー」とか「アー」しか言わない。
この世の裏側の異世界へ迷い込む魅力が詰まったファンタジーです。年齢を問わず、安心して観られる良い作品ではないでしょうか。

それに公式サイトには緑玉紳士の世界観が描かれています。緑玉紳士の設定が面白い。あれ、マメじゃなくて鳥なんですね!って分かるわけね~。名前がグリーンピースなのに、鳥だと気付くわけがない。設定が色々とありますが、公式サイトを開けてください。作品をより一層楽しめると思います。

パペットには実写やCGにはない魅力があるようです。実写よりもコミカルかつ寓話的で、CGほど無機質な感じがなく、むしろ手作りの温かみや親しみを感じます。またアニメとは違って立体感があり、高い技術をもった作品ほどリアリティを増し、観ることに抵抗が少なくなってくるのです。なるほどアナクロな作品の方が温かみがあるとはいいますが、まだまだパペットは試される余地がありそうです。従来の技法と最新の技術が上手くマッチした場合、また新しい感覚を与えてくれることだと思います。
「ベルヴィル・ランデブー」でも活用されたCGも、次回作では使ってほしいものです。

ただこの作品、上映時間が48分。DVD化されるんだろうか。そして第2作はいつ完成するんだろうか…。
# by murkhasya-garva | 2006-06-27 20:18 | 映画
「散歩する惑星」(2000)
<惑星★Night>散歩する惑星_b0068787_7375239.jpg
京都みなみ会館にて6月24日に催されたオールナイト「惑星★Night」に行ってきました。今回は普通の作品とは一風変わったカルト臭のするものばかり。こういう場でなきゃなかなか見ないような作品ばかりでした。
1本目はスウェーデン発、「散歩する惑星」。邦題はウルトラセブンの作品タイトルから付けたとか…。原題は「二階からの歌」(??)。2000年カンヌ国際映画祭で審査員特別賞受賞。





1本目からかなり不思議な作品です。CGは不使用、カメラは各シーンでアングルを固定。徹底したローテクによって「散歩する惑星」の住人をおそう不条理を見つめ続けたとき、その世界観は、かなりシュールで、こっけいで、温かくて、時にシビアなものになります。そこにリコーダーのような音でクラシックなメロディが流される、この作品独自の寓話っぽさが匂いたちます。
なぜか登場人物みんなの顔が白塗りだったり、周りの人々が合唱していたり、ものすごい人数を動員しているように見せたり…。一体住人たちはどこへ行こうとしているのか、かなり気になる。

懸命に生きる人々をめぐる不条理な出来事、この「なーんかうまくいかない」感とわけの分からない状況に観る側もいつの間にか引きずりこんでしまいますが、一方では数々の符合と象徴に満ちた側面も持っています。たとえば住人は何かに憑かれたかのように一斉に同じ方向へ殺到するのですが、世紀末的な状況においてのこの行動は、ヒステリックにさえ感じます。「ビルが動いた」と議会がパニックになるシーンは、次の年に起きる911事件を思わせます。また少女をいけにえにする場面なんて、人々の時代の逆行そのものであり、ある種のパニックとも取れます。

そして周囲の迷走に加わらず、病んでしまった人も現れます。実は彼らこそが、この世界に足りない精神的な価値を大切にする人なのでしょう。大勢の盲目的でドグマティックな考えに対して、冷静に自分自身の視点をもつということ。そしてこれが新しい世界を開くカギのようです。盲目的で、しかし必死な人々はそのカギにうすうす気付いているのかもしれません。しかしどうしようもなく追い詰められなければ、選択することすらできません。

現代を生きる人々に、行き詰まった感を打ち破る視点を与えてくれる作品なのかも。一見、壮大で間の抜けた寓話のように見せていますが、温かな視線でこの困った世界を見つめ、一方で鋭い切り口を見せるという点で、底力を感じさせます。ぱっと見では訳の分からないシュールなところが好き。
# by murkhasya-garva | 2006-06-26 07:40 | 映画

ファザー、サン

「ファザー、サン」(2003)ファザー、サン_b0068787_9344783.jpg
去る6月18日に大阪のシネ・ヌーヴォにて「バッシング」と合わせで鑑賞。特集で「ソクーロフ リスペクト」を催していたのに結局1つも観にいけませんでした。
本作は2003年カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞など他多く受賞し、各地の映画祭では「ソクーロフの最高傑作」と絶賛されたそうです。

父と子の関係を濃密に描いた作品。母の姿は一度も出てこず、その代わりに父子の姿が母子、兄弟、果てには恋人のような関係にまで変化していきます。男性特有の肉体的な強靭さと、きわめて女性的な繊細さが同居し、お互いに愛を確認するというある種独特な空気があるのです。そこには性的な描写こそありませんが、2人の光景はとても肉感的であり、かなりエロティックです。
実際に隣の家の女性は、2人の仲の良さを見て「父子は兄弟じゃないのよ」とは言いますが、それまでのカラミを見ていると、じゃあ恋人同士?と聞きたくなるほどの親しささえ感じます。

息子は父親に対して、愛を試すかのように挑発的な態度を取るようになります。友人とあからさまに仲良くして見せるなど、容易に「父子」を「男女」と読み替えられそうなシーンがよく出ます。でも2人の関係はそう単純なものではない。ちょうど互いに子離れ、親離れをする時期に起こる、父子と恋人のはざまを揺れ動くような微妙な心理状態が現れているのだと思います。

母親不在、という状況はその関係をより純粋にするために設定したものでしょう。息子の「母さんはどこ?」という問いに父が答えないのは、“母は存在しない”という意思表示であると同時に、父親がまた「母親」でもあること、さらには父親の持つ母性愛を明らかにするのに役立っているのです。

また、町と父を比べるシーンでは、「父と子」の違いが明らかにされます。町について語るとき、それは同時に父を語ることであり、町の持つイメージは恐らく父にも当てはまるのでしょう。

暗喩に満ちたストーリーだからこそ引き立つ幻想的な映像。現実なのに、2人の姿は時々歪み、ぼやけて映ります。一体本当に現実なのか、もしかして初めから夢を見せられているのか。父子のある種異常なまでの関係は、私たちの意識下に滑り込むかのように形を変えながら目の前に現れるのです。

よくもまあここまで緻密に作りこんだものだ…と後になって感心するような作品です。もちろんその美しく、刺激的な映像も見ごたえがあります。ぜひ観てみて下さい。
# by murkhasya-garva | 2006-06-23 09:36 | 映画

乱れる

「乱れる」(1964)
乱れる_b0068787_22452033.jpg
去る6月13日に「浮雲」と合わせて、同志社は寒梅館内ハーディーホールにて鑑賞。今回も高峰秀子の熱演が素晴らしい。日の都合でなかなか成瀬巳喜男特集を観にいけないのが残念です。



スーパーマーケットの進出により、近くの商店街は経営が苦しくなっていた。礼子(高峰秀子)の店も例外ではない。彼女は18年前に夫を戦争で亡くして以来、ずっとこの酒屋を切り盛りしてきた。しかし、一方では夫の姉妹が再婚を勧め、義弟(加山雄三)は仕事をやめてフーテン生活を続け…

「成瀬後期の代表傑作」と称されるこの作品、素人目にも思わず身を乗り出してしまうような描写が随所に現れています。女性がメインキャラの大半を占め、それぞれの素晴らしい演出の中でとりわけ輝いているのが主人公の礼子。前半のほのぼのとしたホームドラマの中にさえ、表情や仕草、そして間という形をとって細やかな心情描写が描かれているのです。

気ままな生活を送る義弟の幸司を心配し、世話をする礼子。それは「浮雲」で惚れた男を追い続ける女としての顔ではなく、身内を親身になって案じる姉の顔です。控えめながらもしっかりと家を支える姿が、短いシーンからでもはっきりとうかがわれます。
的確な台詞と雄弁な演出。ただ、戸のそばにそっと立つ――。そこらの映画だったら、たまらず何か台詞で埋めてしまいそうな場面。でもたったそれだけで彼女が何を言おうとするか分かるし、何を思っているのかも伝わるのです。別に言い過ぎでも妄想でもなく、本当にそう感じられます。

後半では、幸司に想いを伝えられ、千々に思い乱れる彼女の姿が映し出されます。今まで忘れていた女としての感情に戸惑い、普段と同じ態度を取ることができず思い悩む礼子。彼女の家を出るという決断、そして彼女の帰途に幸司がついてくることで物語は混迷を極めます。ここまでだったら、さんざん他のドラマで紋切り型のハッピーエンドを見ているのですが…。ここからが成瀬作品の醍醐味なのだと思います。

列車の中で視線を交しながら、徐々に近づいてゆく礼子と幸司。まるで心の距離をも近づけようとするかのようで、彼女のふとした表情にも情感が溢れています。
しかし、注目すべきはラストです。公開当時にも話題となったという結末には、驚きすぎて鳥肌が立ちました。考えてみれば、これは、成瀬監督がテーマに基づいて煮詰めた結果なのでしょう。まさにタイトルどおりのストーリー、登場人物にも容赦のないラスト。そして放り出された観客は、この作品は一体なんだったのか、というところまで立ち返って問いかねません。

しかし、ぜひとも観ておきたい作品です。この作品を下敷きに多くの映像作品が試みられたと思うのですが、類似作品で少なくともこれを超えるものに出会ったことがありません。恋愛映画としても素晴らしい出来。最近の話題作なんて目じゃない。
# by murkhasya-garva | 2006-06-21 22:48 | 映画

バッシング

「バッシング」(2006)
バッシング_b0068787_8515122.jpg
2004年に起きたイラクでの日本人人質事件を題材に作られた作品。その内容から日本での公開が見送られていたが、第6回東京フィルメックスでグランプリを受賞したのをきっかけに公開が決定した。日本社会を痛烈に批判し、大きな問題を投げかける作品。


今回大阪まで足を伸ばし、シネ・ヌーヴォで初鑑賞。入会後1本目の作品となった記念的作品です。雰囲気は東京のイメージフォーラムに似ていて、内装がシンプルでシック。入り口に映画本ほか多数のグッズが並べられていて、映画好きを触発します。劇場内も「泡」をイメージしたようなデザインで、まさに夢うつつ、という感じ。

戦時下の中東でボランティア活動中、武装グループに人質に取られた有子。無事に解放されたものの国内では“自己責任”を問われ、激しいバッシングを受けていた。なぜ彼女がボランティアをする必要があるのか、日本中に迷惑をかけて何とも思わないのか、自分の身くらい責任を持って管理できないのか・・・

実話をもとにした作品。その心情描写はひたすら重く、押しつぶされるような感覚に陥ります。生身の人間が受ける数々の非難。彼女は英雄でもなく、むしろ国内で国辱扱いすらされた、ただの欠点だらけの人間。何の美化もなく、ただ苦悩する彼女の姿が淡々と描かれます。そんな彼女が何を思っていたのか、何を選択したのか。

恐ろしいほど生きることに不器用で、しかし中東の再訪に望みをつなぎ、必死に生きる有子。彼女の周りの、心ない者の純粋な悪意、無自覚な者の刺さるような言葉、良く思わない者の明らかな拒絶。カメラの視点はまるでドキュメンタリーを取るそれであり、突き刺さるように迫ってきます。

自分の部屋から光を浴び、海を臨む彼女の目は、濁ったガラス玉のように深い哀しみを秘め、真っ直ぐに、しかしうつろに遠くを見つめます。彼女が海岸に立つ姿も何度も映されますが、「ここではない、あの場所」を求める者の孤絶感、遊離感が、ひしひしと、伝わってきます。

時折(劇場内のエアコンの音か)、空ろな音が聞こえてきます。それは、有子の心の空洞の音のようであり、また、別の世界とのつながりを求める声であり、さらには、遠くの国とつながるあの海の音のようでもあります。

苦悩に何度も何度も歪む口元。たまに見せる、深い傷のような笑顔。矛盾だらけの彼女の言葉。決して、主人公に優しくはない日本。この作品を通じて自分たちが持っていた意識、そして「日本」という国に住む者としての性質を考え直させる出来になっています。観るべし。
# by murkhasya-garva | 2006-06-19 08:53 | 映画