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by murkhasya-garva
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オーメン

「オーメン」(2006)
オーメン_b0068787_940038.jpg
1976年に作られたオリジナル作品をリメイクしたもの。内容を観ずともタイトルは知っているくらい有名な作品です。
今回は2006年6月6日に公開されるなど話題作りには事欠きません。




ホラー作品好きなら多分大半がオリジナルを観ているであろうというほどの名作。首吊り、串刺し、首切りのシーンは、ものすごい迫力があります。30年経った今、高度な映像技術によって再現された本作品は、オリジナルのインパクトを継承すべく衝撃的な映像を見せ付けてくれました。

オリジナルをリメイクの後に観ると、リメイクが監督の意図を明らかに反映していることが分かります。現代という不安な社会情勢だからこそ、「オーメン」という不吉な作品が際立つと考えて作られた作品。確かに今回は全編を通して何とも不気味な雰囲気に包まれていて、衝撃的な映像も息を呑むほどになっています。しかし、逆にその意図を目いっぱい込めすぎて、かえって作品自体のバランスを欠いているような気もするのです。

聖書を預言書としてゴリゴリにこじつけて終末的なムードを高めたり、悪魔の子といわれるダミアンにはじめから邪悪なふんいきを持たせたりとホラーの要素が満載なのですが、はっきり言ってやり過ぎです。緩急の付かない作品があまり面白くないというのは、まさにこのことでしょう。オリジナル作品がかえって面白いのは、映像技術が追いつかずとも見せ場の勘所を十分に押さえていたからです。
要はダミアンが初めから怖そうだったらいかんのです。

話の整合性から言っても、信仰に関心を持たないソーン大使がすらすらと聖書を暗記する(しかも教えられていないはずの部分も)のはおかしい。ついでにいうとソーン夫妻を演じた、リーヴ・シュレイバーやジュリア・スタイルズの顔も気に入らん(笑)。各シーンを強調しすぎて、逆に嘘くさくなっているようです。

また、なまじ話題性があるから日本ではお祭り騒ぎになっていて、怖さを半減させているのもどうかと思います。猫ひろしの「だみにゃーん」なんてやらんほうがまし。
予告編の陳腐さにもうんざりします。広報関係の方は分かっているのでしょうか。温度差のある人が宣伝やっても全然そそられません。まあ本作も期待以上のものではなかったのでいいですけど…。

とはいえオリジナル当時から話題になっていた恐怖シーンや悪魔的な映像に関しては、さすがに素晴らしく改善されたものになっています。それだけでもこの作品を観る価値はあると言えるでしょう。
それでもやはりDVDで観れば十分かと。
# by murkhasya-garva | 2006-07-03 09:43 | 映画

7月の鑑賞予定

他の方々のブログにならって、今後の予定みたいなのを記しておきます。

7月の鑑賞予定_b0068787_2305357.jpg
○マシュー・バーニー『クレマスター・サイクル』ノンストップ上映
 7月16日(日) 大阪市立鶴見区民センター






●観たい作品
 ・ウルトラヴァイオレット(MOVIX京都)
 ・タイヨウのうた(MOVIX京都)
 ・インサイド・マン(TOHOシネマズ二条)
 ・嫌われ松子の一生(新京極シネラリーベ、TOHOシネマズ二条)
 ・アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶 (~7/7 京都シネマ)
 ・隠された記憶(~7/14 京都シネマ)
 ・ゆれる(7/15~ 京都シネマ)
 ・ジャスミンの花開く(7/15~ 京都シネマ)
 ・玲玲の電影日記(7/15~ 京都シネマ)
 ・ハチミツとクローバー(7/22~ 京都シネマ、MOVIX京都)
 ・闇打つ心臓(7/4~7/7 京都みなみ会館)
 ・<市川雷蔵映画祭2006>雷蔵忌リクエスト・セレクション
   (7/15~24 京都みなみ会館)
 ・ohana (7/2,3,6,7 京都みなみ会館)
 ・やわらかい生活(~7/14 京都みなみ会館)
 ・≒天明屋尚(~7/13 シネ・ヌーヴォ)

●もう1回観たい作品
 ・死者の書(7/8~ 京都みなみ会館。1回目は東京は神保町の岩波ホール)
 ・ルー・サロメ 善悪の彼岸(ノーカット版)
   (~7/7 第七藝術劇場。1回目は新宿K's cinema)

●観れたらいいなあ
 ・ベルベット・レイン(~7/7 トビタシネマ)
 ・ベルリン・僕らの革命(7/5~ 新世界国際劇場)

書いていてつくづく思うのですが、こんなに観てたらそりゃ時間も金もなくなるわ!
  
 
# by murkhasya-garva | 2006-07-02 02:31 | ほぼ日記

花よりもなほ

「花よりもなほ」(2006)
花よりもなほ_b0068787_1892698.jpg考えてみれば、メジャー作品の感想をほとんど書いていないことに気付く。いやさね、多少は観ているんですよ。でもいざ書く段階になったら、インパクトあったし後回しでも覚えてるだろう、とか思っていてそのままお蔵入り、という最悪のパターン(+書いても悪文)になるわけです。ほんと、集中力があってもう少し時間を要領よく使えたら…とよく思います。賢い人がうらやましい。


さて今回観たのは、「誰も知らない」で有名になった是枝浩和監督の作品です。
第5代将軍徳川綱吉公の時代、江戸の貧乏長屋で父親の仇を探す侍が住んでいた。ちょうどそこには、吉良討ち入りの機をうかがって今か今かと待つ赤穂浪士も身を潜めている。しかし貧乏長屋の住人はそんなこともお構いなし、毎日気楽に過ごしていたが…

以前見た時代劇ものでは、「るにん」が群像劇として人々の生き様を描き出しました。「花よりもなほ」も、ところどころで脇役に脚光が当たり、人間ドラマが展開される点で群像劇といえます。今回は、宗左衛門の仇討ちを中心に、周りの人々の思いが程よく絡み合います。

しかし、なぜ現代に時代劇を作ろうとするのか。それは人気作品の劇場版という形もありえるのですが、そこに何らかの意図、メッセージを込めていることがよくあります。過去の世界を舞台にして、現代の情勢や思想が戯画的に表されるのです。また、特に江戸時代は現代の情勢とよく似ていたとも言われ、よく用いられるようです。今回は「仇討ち」という、太平の世にわざわざ生死をかける行為を行うことの意味を、問いかけています。しかもそこで比較されるのは赤穂浪士。毎年テレビで流される美談が、引き合いに出されるのです。

是枝監督は前回の「誰も知らない」では、見放された子どもたちが強く生きようとする姿を描きました。今回も「生きる」ことに焦点を当てて作品を展開します。
―「義」という一点において仇討ちは正当化されるが、たった一つの命をなげうってまでして行うものなのか?死して花を残すより、生きて実をなすほうがよくないか?― 宗左衛門たちがどのような姿であろうとも生きようとするほどに、「それでも生きる」ことの大切さが浮き上がってくるのです。

そして彼の周りでは、長屋の住人たちが人とのつながり、生きる執念を様々な形で演じます。そこには曲がりなりにも生きることの肯定的な視線があります。時には笑ってしまうほどの図々しい前向きさは、生きることのよさや大切さを、観る側の心に沁みこませていきます。

長屋の住人を演じたのは原田芳雄や香川照之など味のあるベテラン俳優、そして千原靖史や上島龍平などコミカルなキャラの芸人など。それぞれの個性が光る役柄がとても印象的でした。
観終わった後は、強張った気持ちもいつの間にかほぐれているような、温かい作品です。少し長いですがぜひオススメ。
# by murkhasya-garva | 2006-06-30 18:12 | 映画
「不思議惑星キン・ザ・ザ」(1986)
<惑星★Night>不思議惑星キン・ザ・ザ_b0068787_175060.jpg「惑星★Night」の4本目のこの作品、朝の4時半ごろから始まったというのに、2人の男の「クー!」に一発で目が覚めてしまいました。シュールで強烈なインパクトを持ったこのポーズは、20年近く経った今でも全く色褪せることがありません。
日本では1989年に公開されて以来、SFファンはもとより一般の人まで巻き込んで大賑わいだったそうです。

妻にマカロニを頼まれたマシコフが街へ行くと、1人の青年に声をかけられる。「自分を宇宙人だと言っている男がそこにいるんだけど…」。裸足で震えている男が持っていた、「空間移動装置」なるもののボタンを押すと、ウラジーミルは青年と見知らぬ砂漠の真ん中に立っていた・・・

3本目の「ファンタスティック・プラネット」が、悪夢に近い想像の世界を描いたのに対し、この「不思議惑星キン・ザ・ザ」は、パラレルワールドのような世界を作り上げています。このプリュク星では階級主義や人種差別が根強く残り、当然ながら主人公も巻き込まれることに。

どうやらステテコの着用が高い位を表しているようで、「黄色いステテコ様」「赤いステテコ様」には2回「クー」をしなければいけないのです。それにパッツ人はチャトル人の前でツォーク(鈴のついた鼻輪)をつけなければいけないし、演奏するときにはオリの中に入らなければならない。・・・さっぱり訳が分からん。
訳が分からない規則をまじめに守れば守るほど、こっけいに映ります。笑えます。

しかし、このシュールな設定の中に社会風刺が含まれていることは言うまでもありません。主人公たちが母国の習慣とプリュク星の習慣を混同し、プリュク星で出会った2人の男を懐かしむのは、場所こそ違えど「同じ」国であったからです。キン・ザ・ザ星雲での情勢は、地球のそれと鏡合わせの関係にあるのです。

グルジア出身のゲオルギー・ダネリヤは強烈な風刺画を仕立て上げたようですが、さすがにここまでやれば政治情勢に聡い批評家たちから不評を買うのは仕方のないことかもしれません。しかし時を経ると思想背景も段々と忘れられ、若い年代層にもナンセンス、シュールの類として受け入れられるのでしょう。
まあそんなことを抜きにしても、十分笑って楽しめる作品だと思います。
個人的には、今回のオールナイトで一番のお気に入りです。
# by murkhasya-garva | 2006-06-30 01:13 | 映画
「ファンタスティック・プラネット」(1973)
<惑星★Night>ファンタスティック・プラネット_b0068787_9545673.jpg

これこそ知る人ぞ知るカルト作品じゃないだろうか。なんとも気味の悪い宇宙人、そして虫サイズの支配される人間たち。たとえ内容を頭で理解したとしても、この感覚的にこびりつくような粘着質の映像はトラウマになる。この映画の監督であるルネ・ラルー、作画を担当したローラン・トポール、すごいもの作ってくれたもんだ。
1973年にカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞。





惑星イガムでは、巨人のドラーク族に支配、というか虫けら扱いされる人間たち。人間は基本的にサルであり、オモチャであり、目障りな虫でしかない。青い肌に真っ赤な目玉、瞑想を生活の大半に費やすドラーク族。母親を失った少年、テールはドラーク族の娘に拾われ、育てられる…

今まで観たことのないアニメとして、かなり新鮮でした。映像のインパクトの強さは最近の商業ベースにのる作品にはないものです。トポールの独特の絵がセルではなく、切り絵で動きます。そのため、思ったよりはなめらかなだけど、どこか動きがぎこちない。表情に乏しく、困った表情が張り付いた人間の顔はまるで中世の宗教画を思わせ、気味悪い妖怪のような生物は、ヒエロニムス・ボス(オランダの画家。1450~1516)の描く怪物に似ています。

イメージとしては、どこか遠くの星、というより太古の地球といったほうがしっくり来ます。先史時代の語られない人間の歴史、といった感じです。となると、やはりテーマも人間の「原罪」に焦点が当たっているということでしょうか。深読みすると示唆に富む場面が多いですね。

とはいえ、人間を取り巻くグロテスクな生物のリアルな生態、そして絶望的に敵意に満ちた砂漠…まるで幼い頃に見た悪い夢のようです。トークショーに来たミルクマン斉藤氏や栗田監督も「ないわ~」と言っていましたが、確かにこんなのってないよ。それでも個人的には、こういうの大好きなんですよねぇ・・・。
何年後かにふと思い出して、また観たくなるような作品でした。
# by murkhasya-garva | 2006-06-28 09:56 | 映画