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by murkhasya-garva
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ウェイヴ

THE WAVE ウェイヴ(2008)
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ドイツで起きた実話をもとに構成された作品。高校で独裁制を学ぶ生徒たちが、一週間の実習で教師・ライナーの主導する「独裁」に心酔し、暴走する様が描かれる。





「エス」に続くドイツの洗脳ものだったか、そんな宣伝に惹かれて今回鑑賞に至ったのだが、思った以上に衝撃を受けている自分に衝撃を受けていた。とはいえ、観賞前は紹介文を読んでも、ネオナチの話なのか?ドイツで独裁と言ったらナチズムだろう、とまったく想像が広がらなかった。高校の授業が選択制で、しかも実習制度が設けられているなんて知りもしなかったため、冒頭の「ここでは民主主義の重要さを学ぶための場だ」といった旨のせりふでやっと合点が付いたのだった。

衝撃――というより、これはもはや生理的嫌悪に近い。皆の意思を特定の存在に集中させ、統率するというやり方は、実は日本でも行われていることである。今でこそそのような習慣はしだいに影をひそめてはいるが、特に、体育会系、と呼ばれる集団では当然のように行われている。私は要領の悪さもあってそのような集団の中にうまく溶け込むことができず、しばしば「なぜ?」と立ち止まってしまうことがあった。そのような態度に対して向けられるのは、「みんながんばっているんだから」という叱咤、「後輩は先輩の言うことを聞くものだ」という恫喝、そして「あいつはああいう奴だから」という冷笑と差別の目。なぜああも無自覚に従っていられるのか。なぜ「威厳が必要だ」などという愚昧極まりない言葉を口にすることができるのか。自分が所属する集団に対して、息苦しさ、疎外感や苛立ちをよく感じていたことを今でも思い出す。

独裁に求められるものは何か。と担当教師であるライナー(ユルゲン・フォーゲル)は生徒たちに聞く。その中で挙がるキーワードは、“規律”、“経済的困窮と社会的不満”であり、全体を統率するために必要なのは“指導者”、そして“制服”。ライナーは「今日から俺のことは“ベンガー様”と呼べ」と言うのにはじまり、皆が購入できるような安価な“制服”として、白シャツとジーンズを提案する。ドイツの歴史的犯罪を今まで聞かされてきたものの、実際に体験したことのない高校生たちは少しずつ独裁の魅力に惹きつけられていく。生徒たち自らが「ウェイヴ」と名乗り、エンブレムを作って町中にステッカーを貼り、スプレーを吹き付けて回る。

しかし、その異常さを当初からかぎ取っていたカロ(ジェニファー・ウルリヒ)は制服も着ず、授業にも出席しない。ますます暴走していくウェイヴの反対ビラを撒いて、ウェイヴ存続を何とか止めようとする。

カロの戸惑い、苛立ちに私はおそらく感情移入していた。それと同時に、これまで私が所属していた集団の、独裁とは呼びがたい因習的な体制の欠点を感じてもいた。独裁が完全に成立するためには、彼ら生徒たちのように、自分たちの行動原理に関しての理解が必要なのかもしれない。無自覚でいる者は確かにいるだろうが、恐らく独裁において最も性質(たち)が悪く、強大なのは頭で分かっていながら心酔した者たちだ。一緒に見に行った人は、ラストシーンで「反逆者」として名指された生徒を引きずり出した生徒は、完全に洗脳されているということを述べていた。しかし、私はそうは思わない。彼らは頭では分かっているのだ。戸惑いと強力なイデオロギーの拮抗の中で、まるで弁証法的に完成した信念が自分たちを突き動かしているのだ、と感じた。

そして独裁者を崇拝するために動く一個の巨大な集団。あの熱気には、おぞましさを感じさせる。もはや何も見えなくなってしまうのだ。特に若者にとって、何か信ずべきことがあるというのは非常に大きな意義を持つ。いわば「信仰」は、彼らのエネルギー源となりうる。私には、あの姿は受け入れられない。盲目でいることを選び、しかし「力」にすがるような者は度し難い。

ナチズムともネオナチとも異なる、高校の授業の中で生まれた独裁制の話。私はストーリーの内容云々よりも、感情的に印象に残る作品となった。もっとも、生徒の心を掌握した体育教師のライナーの視点から見ると、彼の指導能力は、自身が「短大での体育教師」が「劣等感の塊」だと卑下するどころか、十分なものがあると思うのだけれど。
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by murkhasya-garva | 2010-03-16 17:51 | 映画