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by murkhasya-garva
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<   2006年 12月 ( 8 )   > この月の画像一覧

更にトラブル

パソコンぶっ壊れました。
夜が明けてパソコンを立ち上げると、ディスプレイに光の線が飛び散りだして……、本当にもうどうしようもありません。
宣言していた「恐怖奇形人間」の感想はまた今度に。
ほんとすみません。

使ってるDELLパソは4日以降の修理受付だとか。
何だってんだい。
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by murkhasya-garva | 2006-12-31 03:57

もう少し

もう少しだけ待って下さい。
明日あたりにレビュー1本書きますので。
記念すべき復活1本目は、狗山椀太郎さんがリクエストして下さった「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」を書こうと思います。
他にも何か希望があれば書きます。見てないのは無理ですが。
また明日は土曜なので最新作1本見てきます。+オールナイトな。


それにしても最近アクセス数が増えているんですが、何かあったんでしょうか…?
もしかして英文スパムの再来か?!
誰か教えてください。コメントカモン!!
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by murkhasya-garva | 2006-12-29 15:52 | ほぼ日記

お詫び

当ブログに来ていただいている方、いつもありがとうございます。

最近はいつ見ても檀れいの画像しか映っておらず、いい加減飽きてこられたことかと思います。
卒論がどうとかと、相変わらず大した言い訳も出来ませんがご容赦を・・・
来週あたりはいい加減1本ないし2本は更新しますので、どうかもうしばらくお待ちください。

次回は、
『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』
『悪魔とダニエル・ジョンストン』
『気狂いピエロ』
『せかいのおわり』
のどれかの感想を書く予定です。

リクエストがあればお寄せください。
コメントは、URLやアドレスを記入しなくても、名前を書かなくても大丈夫…なはず。
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by murkhasya-garva | 2006-12-20 22:58 | ほぼ日記

武士の一分

「武士の一分」(2006)
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一週間映画を観ず、図書館にこもりっきり・・・集中が切れる、勉強が身につかない、気が滅入る、これって禁断症状でしょうか。その一週間後の日曜、高校の後輩が撮った自主制作映画を観る前に見てきた一本。




下級武士の三村新之丞(木村拓哉)は、妻の加世(檀れい)と穏やかな生活を送っていた。しかし、藩主の毒見役を務め失明。妻が家禄を守ることと引き換えに、番頭の島田藤弥(坂東三津五郎)に弄ばれたことを知った彼は、目が見えぬ体で島田に果し合いを挑む。

『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続く、山田洋次監督三部作の最終章。しかも木村拓哉が主演というのもあり、注目していた一本です。木村拓哉というと、演技云々以前に“木村拓哉”という存在感で役を演じているような俳優。良くも悪くもアイドルだというイメージがついていました。

撮影される前から、何かと騒がれていた作品でした。何といっても山田洋次×木村拓哉、それだけで幅広い年齢層をガッチリつかまえます。『隠し剣~』で期待を裏切られたファンは、「もう原作ものは…」と言いそうな空気も。おまけに事務所側からは「ロケはスケジュールが厳しいからセットにしろ」という要望があったとかで、当初から製作側でも少しもめていたようです。

期待と不安を受けて公開したこの作品、今回は原作を読んでいなかったのもあってか、とてもいい印象を受けました。前作のようにストーリーを追いにくい展開でもなく、むしろ丁寧に各エピソードを描くことで、本作の世界観―静かで、しかし確かに緊張感をもった―つまり武家社会の空気や、各キャラの人となりがよく描写されています。

また最近映画を観ていないことや、学生の自主上映を前夜に見に行ったこともあり、ほぼ完璧に近いストーリーや情景の美しさが、目に心に沁みるのです。主人公夫婦の温かな愛情は、直接の表現がなくとも確かに伝わってくる。ああ、山田監督はプロだなあ…と思わずため息が漏れます。というかすでに感涙ものです。

俳優の個性も適度に抑えられ、この世界観を形作る不可欠な要素になっています。ぱっと見て「○○だ!」と分かるような俳優の演出を出さず、ストイックに俳優の方々が各自の「役」を演じているのです。たとえば居並ぶ毒見役の中に木村拓哉ふんする三村が違和感なくとけこんでいる。そんなごく当然の光景がごく普通に映される、すばらしいことだと思いませんか。

剣術の演技もまたいい。盲目の剣士という特殊な状況でごまかされているようにも感じず、緊迫感のある剣戟が見られるのもこの作品の良いところです。道場で、緒方拳と木村拓哉の鬼気迫る稽古はぞくぞくさせてくれます(細かい突っ込みはこの際なしで)。

すべての要素が映画という作品のためにある―そんな見落とされがちな、でもとても大事なことがこの作品ではしっかりと生かされています。山田監督を筆頭とした各人のプロ意識が、武家社会という緊迫した空間に満ちている、とても充実した作品だと思います。
12月上旬現在ではまだ公開しているから早く見に行くべし。
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by murkhasya-garva | 2006-12-12 11:13 | 映画
「幻の湖」(1982)
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最近は旧作、マイナー作品ばっかり観てます。ばっかり、でもないです。確実に映画の本数は減りました…。卒業に向けて勉強中なので、今しばらくご辛抱ください。

人はこの作品を何と名付けるだろう。ロード・ムービー?女優・南條玲子のための作品?大スペクタクルロマン?観光映画?それともカルトSF?「幻の湖」は本当にたくさんの要素を持った作品だ。何でもやろうとする無謀な大風呂敷の広げ方に、失笑することも何度か。


滋賀。滋賀といえば琵琶湖。そして雄琴。そんな有名な観光名所(?) を舞台に、本作は始まる。琵琶湖の沿岸を、愛犬のシロとひたすら走り続ける女性、道子。彼女はソープランド「湖の城」で、小谷城という部屋を担当する“お市”という従業員でもある。取ってつけたような、出来すぎのキャラクターが本作の主人公である。

ランニングの途中、お市は森の中で笛を吹く男に出会う。男の奏でる歌は、お市が何度もどこかで聴いたことのあるものだった。運命の出会い、そう思って名も知らない男とまた会う約束をするのだった。
物語は、何者かによって愛犬を殺されるところから急展開する。浮かび上がる犯人、復讐心に燃える道子。彼女は得意の走りで犯人を追う…!

ストーリーラインこそ破綻はしていないのだけど、何しろそれぞれの設定があまりにも唐突である。マイナーカルト作品によくある、異常なこだわりすら見える。この作品では、その情熱が彼女のランニングと滋賀の観光に向けられている。一体、誰が何のためにこんな作品を?
とはいえ、彼女のランニング姿も、観光名所もそうとうに美しい。

南條玲子は走る。本当によく走る。画面に映っている時だけ走っているにしても、その距離はけっこうあるだろう。実際にスタッフにはランニング指導までいるほどの念の入り用である。そして指導まで受けた彼女のランニングは、その後に続くストーリーの上で、彼女自身の原動力になっているようにも思われる。

愛犬を殺した者への復讐心、職場でもためらうことなく自分の意見を言う力、そして時代を超えて運命の君に出会おうとする想い、それらは彼女のパワーによるものだ。冷静に考えれば、ここまで執念を燃やす姿は異常ですらあるけど、そこは「ランニングをしてきた彼女はとにかくすごい!」で済ませてもあまり問題ないだろう。

滋賀という地に身を置いて、身も心も育んできた道子。燃えんばかりの執念を持つ彼女の周りには、負けじとスケールの大きいキャラが次々と現れる。時代を超え、空間を越え、作品のジャンルすら越えた型破りでスケールの大きい作品である。
普通だったら難しい展開も軽々とスルーしていくストーリーは、ある意味突っ込みどころ満載だが、それ以上に観る者を引っ張っていってくれることだろう。
一見の価値あり。すんごいです。
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by murkhasya-garva | 2006-12-07 02:55 | 映画

草迷宮

「草迷宮」(1979)
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泉鏡花の幻想的な短編作品をもとに、亡き母が歌っていた手毬唄を巡るひとりの男の旅を紡ぎだす。フランスのオムニバス映画『プライベート・コレクション』の1本として製作された。




詩人、文筆家、映画監督と多彩な才能を持つ寺山修司が手がけた作品。「書を捨てよ街へ出よう」とは趣きが異なり、現実と幻想が互いに入り乱れる。各エピソードの関連を正確に説明するのは。たぶん難しいだろう。今回ばかりは、amazon.comで的田也寸志氏の得意文句 (?) 、“映像のイマジネーションに身をゆだねるのが得策”に賛成。

以前に観た「書を捨てよ街へ出よう」は一種の青春もので、本作とは趣向が違う。しかし、なぜか寺山作品はどこかしら“似ている”のだ。恐らくそれは、あまり例を見ない挑戦的なテーマ、感覚に訴えるような刺激的で言語化しにくい映像、奇抜な演出などの点で共通するのかも知れない。

本作は母と息子の歪んだ濃密な関係を描いた作品である。たった40分とはいえ、そのボリュームにはほとほと参ってしまう。狂気の娘の媚態、踊り叫ぶ白塗りの小坊主たち、妖怪を振り払おうと刀を振り回す主人公とまあ、観ているこっちまでおかしくなりそうだ。

母の教えた手まり歌の続きを求め、旅を続ける青年。彼の行く先々で幻想が何度もフラッシュバックする。例えば狂気の娘から逃れ、裸で逃げ出した主人公は、砂丘に伸びる長い長い赤い帯の上を走っていく・・・これといった区切れもなく夢と現実が繰り返されるものだから、いつの間にかどちらがどちらなのか分からなくなってくる。

だが全てのエピソードは、母親と息子の愛情という方向性で共通する。母は子を束縛し、子は母の姿を永遠に求める。手まりは母親の思い出を呼び起こし、それは連想的に(「孕み石」という)丸い石とつながり、“胎内回帰”のイメージを生み出す。際どいテーマに加えて、怪しげで毒々しい色彩が感覚を刺激しつづける。

三上博史が15歳で出演した作品でもある。まだ若いのに役が上手い。おまけに色っぽいときたもんだ。寺山修司作品の意欲的で挑戦的な空気によくなじんでいるように見えた。
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by murkhasya-garva | 2006-12-04 03:05 | 映画
「寺山修司&谷川俊太郎 ビデオレター」(1982)
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寺山修司と谷川俊太郎という二人の詩人が交わすビデオレター。当時肝硬変を患っていた寺山にとって、この往復書簡が交わされるのは晩年の時期である。言葉と意味への問答が映像美を持って切実に描き出される。

二人の詩人は、人間と言葉とその意味について問い続ける。言葉とは何なのか?人間にとって言葉はどんな意味を持つのか?人間は言葉によって規定されてしまう存在なのか?哲学的な問題ではあるが、二人は映像という手段を見事に活用してみせ、言葉少なながらも雄弁に語り合う。



寺山氏の病んだ肉体、不思議な機械音や女性の悲鳴が添えられたヒイラギの葉、民族画。意味がないように見えて、どことなく意味があるように思わせる。谷川氏はこれを「意味ありげ」と呼ぶ。

映像的なテクニックとは関係を持たないビデオレター。しかしこれは紛れもなく映像詩である。「意味ありげ」な映像は、その都度添えられる各氏のコメントで一層のメッセージ性を強め、技術を超えて不思議な意味性の強度を備える。

人間の存在を言葉によって断片的に規定すると、存在の意味は霧散する。行為によってこそ、人間の存在が成立する、と谷川氏は語る。だが、人間を規定する言葉はアイデンティティとなり、周囲の人々にとって言葉が彼を形作るものにもなるのだ。

突然の寺山氏の死によって、谷川氏のビデオレターは行き場を失う。誰に向けられた訳でもなく、ただ、寺山修司という人間が「在った」ことを、一篇の詩は物語る。谷川氏の寺山氏へ向けられた想い―言葉を使い、言葉を超えてつながりあう想いは、ここで途切れる。

二人が同性愛者であったということは、どこにも書かれていない。しかしこの映像を観ると、二人の言葉を超え、感覚は濃厚に絡み合いを続けている。誤解を恐れず言えば、それはまさに“肉感的”である。
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by murkhasya-garva | 2006-12-03 10:45 | 映画

≒森山大道

「≒森山大道」(2001)
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≒(ニアイコール)シリーズの第2弾。でも今なぜ森山大道を上映?!上映場所の性格にもよるのだろうか。カルティエ=ブレッソンに続き、写真家を扱ったドキュメンタリーです。次は中平卓馬をシネ・ヌーヴォで。
森山氏は「やわらかい生活」のカメラマンも担当していたそうです。


ファインダーをのぞかない独特の撮影方法や、本人以外は立入禁止の暗室での作業など、約20の細かいトピックスに分けられた貴重な映像が、断片的に紡がれていく。また、森山自身のロングインタビューも収録。

もらいもののコンパクトカメラを片手に新宿をうろつく森山氏。およそ想像していたカメラマンの姿とは違う。なぜコンパクトカメラなのか。ファインダーを覗き構図を作る瞬間に「何か違って」しまう、と彼は言う。そして撮る人々が警戒しないから、とも。色々な理由が語られるが、あの一種のラフスタイルで撮られる写真でも、世界的に高い評価を受けるということが何より意外だった。

むろん、彼のスタイルはパフォーマンスではない。彼にとって必要だからこそ、あのスタイルがとられるのだろう。とはいえ、周囲の評価は彼をそうさせない。ブレボケ写真―彼の作品を「洗練と土着」という言葉で表現される。次第に身構え、自分のスタイルに囚われる森山氏。彼は一時期低迷期に入る。

後半、デジタルカメラを手に一日中町を回る彼の姿が映る。新しい機械を楽しそうに使う森山氏は少年のようでもあり、また彼が写真の世界の住人だと確信させるシーンでもある。

カルティエ=ブレッソンのように、「撮る」ことに真正面から取り組み、絵画的な美しさを兼ねた作品を作り出す人ではないと思う。彼の独自のスタイルは、「対象物に切り込むことのできない彼の弱さ」なのかもしれない。しかし、彼の取る写真には、自身が極言するような“肉眼レフ”の生々しさ、対象物に迫るような息吹が感じられる。

コントラスト、そして灰色の部分が彼の魅力だと荒木惟経氏は言う。“グレイ”ト・フォトグラファー森山。氏の作品には、自身の繊細な魂が映りこむ。
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by murkhasya-garva | 2006-12-03 10:40 | 映画