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by murkhasya-garva
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青春☆金属バット

「青春☆金属バット」(2006)
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なんだかとっても煮詰まったときに映画館に駆け込んで観た作品。この行き場のなさに共感…テンション下がるわ。監督の熊切和嘉氏は「鬼畜大宴会」「アンテナ」を手がけた鬼才。主演に野狐禅のボーカル、竹原ピストルが起用。



究極のバットスイングを体得すべく素振りに明け暮れる難馬(竹原ピストル)。だが酒乱女エイコ(坂井真紀)と出会ったばかりに、酒代を工面するため“バット強盗”として追われる身に。そんな彼の前に、高校の野球仲間だった警官・石岡(安藤政信)が現れる。

青春映画、爽やかな作品だけじゃありません。高校時代の懐かしい思い出をいつまでも引きずり、年を重ねるほどに冴えなくなる男たち。直視できないほど痛々し過ぎるために半ばタブー化されてきた青春の負の部分を、この監督は映像化してしまいました。ほぼ同じ世代のぼくは見事に撃沈。

主演の竹原ピストルと安藤政信がハマリ役なのです。竹原ピストルは映画初出演にも関わらず、存在感溢れるダメ臭を惜しみなくまき散らします。安藤政信も強気ながらどこまでも投げやりなキャラが良く似合う。野狐禅や「46億年の恋」での男前はどこへやら、負のオーラが出っ放しです。

高校野球部で万年補欠だった難馬―中日ドラゴンズの入団を夢見て、究極のスイングを求める27歳。甲子園で味わった苦い経験を忘れようとするダメ警官、石岡。彼らには共通して将来性がありません。秋の寒空の下、閑散とした町に靴の音だけが鈍く響く。どこにも活気のない町並みからは、本編全体にも通じる「置いていかれた」感が濃厚に漂ってくるのです。

しかもそこに、巨乳自慢のエイコをはじめ、色気が混じってくるから大変なことになる。青年特有の有り余るエネルギーと要領の悪さがマッチして、薄ら寒い景色はイタい光景へと変わります。

ともかく、彼女は本編のむさくるしさに色気を添えるとともに、象徴的な存在として現れます。社会性がないのは同じですが、彼女には自信がある。自分の“持ち物”の価値を知っていて、生きていくためのしたたかさも心得ている。自信がなく愚直な難馬とは正反対です。まさに光と影の関係。難馬はエイコに影響され、「究極のスイング」のためのバットも強盗用となる。ある意味現実が見えてきたということでしょうか。

そしてもう一人、難馬にとって対照的な存在の石岡。野球部時代の花形は、甲子園での挫折からずっと無気力な生活を送ります。夢を追う難馬とは真逆の運命をたどる彼自身に、救いようはありません。しかし野球部から「やり残した思い」を引きずる者同士、2人は必然的に引き合います。何度もフラッシュバックするマウンドの光景。再びピッチャーとバッターという関係で、過去をやり直し、未来を描き直そうとするのです。

どこまでも不完全な、大人になりきれない生き物たちのしょっぱい青春コメディ。あの若松孝二が、ベーブルースの息子(自称)で出演します。さすがに存在感のある演技が魅力です。ラストの花火のシーンが美しすぎて、胸に沁みる。あまりのしょっぱさにテンション下がるどころかドン引きします。20代後半から30代前半のあなたにぜひ観てもらいたい。
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by murkhasya-garva | 2006-11-30 12:49 | 映画

パビリオン山椒魚

「パビリオン山椒魚」(2006)
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11月24日で上映終了する注目のマイナー作品が多い。第七藝術劇場で「ブレス・レス」も!思わず阪急電車に飛び乗ろうとした自分がいました。幸い(?)乗り遅れたので、予定通り京都みなみ会館で鑑賞。予想にたがわぬ奇作でした。観てよかった。



動物国宝のオオサンショウウオ・キンジローの誕生パーティを控えた二宮家。そんな折り、父親からキンジローの危機を知らされたあづき(香椎由宇)は、レントゲン技師の芳一(オダギリジョー)と共に波乱万丈の冒険を繰り広げていく。

噂どおりの怪作。あまりの破天荒なストーリーに「なんてバカな映画」と呟き、混乱しながら映画館を後にした方は多かったでしょう。しかし一方で映画関係者には、驚きと尊敬の念を持って迎えられているのも注目です。ここで確かなのは、監督は絶対わざとやってるし、必ずしもデタラメに作っているわけではない、ということ。

サラマンドル財団と第二農響の対立、第二農響からレントゲン技師の芳一に依頼されたキンジローの誘拐、あづきは不審を察した父にキンジローを保護するよう頼まれる…それなりに前半のストーリーは整っているのです。しかし芳一をはじめ暴走を始める人々のおかげで、後半はギャグとも思えるとんでもない展開に。
ここあたりで付いていけなくなったのか、居心地が悪そうな人たちが続出。

まるであらゆる関節が別のところに付いている、人間のカタチをした宇宙人のような作品。見せ場を軽くスルーし、どうでも良さそうな場面を丁寧に撮る。ベタベタなヤマ場を思わぬところに挿入し、「さあ泣け」と言わんばかりに見せ付ける。まっとうな映画ファンに評価される気なんてなさそう。その徹底振りには、呆れを通り越して尊敬すらします。

既存のストーリーのパターンを外していく―最近では黒沢清監督の「LOFT」(2005)にそれが見られます。こちらは展開に従って、現実と虚構という区別そのものを失わせようとしたようですが、本作は真実と嘘、現実と虚構、そんなテーマすらも“一貫させまい”とする徹底した力の入りよう。冨永監督がうそぶくように、本作は多くの作品の要素をいたるところに散りばめ、混乱はその度合いを高めていきます。

しかも一見デタラメな内容のなかで、複数のテーマを同時に含むという荒技にも取り組んでもいる。もちろん、各テーマの決着の付け方にもわざとらしいくらいムラがあるんだけど。
どれ一つとして同じものがない。あえて言えば、「本物とか偽者とか、どっちでもいいの」というあづきの言葉にみるように、本作全体の「一貫性のなさ」という点で一貫しているようです。

オオサンショウウオのキンジローをめぐる顛末、そこにはあらゆる人間の姿が現れています。恐るべき才能の冨永昌敬監督、彼の世界観を見事に音楽で彩った菊池成孔、そして壊れっぷりもサマになっているオダギリジョーにより、新たな映画の時代が切り開かれました。
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by murkhasya-garva | 2006-11-25 09:18 | 映画
「電撃BOPのセクシーマザーファッカーズに!!」(2006)
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チラシ、いやタイトルからただならぬ気配。今秋「ドッグ・デイズ」と並んで絶対に観にいきたかった作品です。予期せず現れた島田角栄監督からサインをもらえて満足。千葉・東葛国際映画祭で審査員特別賞受賞。大阪はシネヌーヴォにて12/1まで上映しています。


喧嘩で500戦無敗を誇る最強のパンクス岡島、ヤクザ狩りで世直しを行う活動家の虎吉、暴力とロックンロールが人生の全てであるヤクザの藤北。まっとうな社会に目を背け、独自の道を歩む3人は、様々な因縁のもとに互いを追い掛け回す。やがて彼らを壮絶な運命が襲う…

シネヌーヴォでそれは一際異彩を放っていた。やけに長いタイトル、60年代を思わせるサイケデリックなデザインのチラシ、それが『電撃BOPのセクシーマザーファッカーズに!!』。裏の作品解説もあまり意味が分からないけど、何だか並々ならぬパワーと情熱がビンビン響いてくる。ここまで毛並みの違う作品、最近のミニシアターにもない!!

本作は、商業ベースの映画群に正面から反旗をひるがえすが如く、「撮りたいものを撮る、低予算が何だ!」と攻めてきます。以前観たATG映画、とくに若松孝二監督の「天使の恍惚」にも似ている。いやたしかに暴力シーンもヌルいし、特別技術もどうってことない。アフレコも口と合ってない。しかし、それを補って余るほどの活力がある。出演者たちは生き生きとして、作品全体からは無骨ながらも強いメッセージがあふれてきます。

それに監督自身の、名作や名匠たちへの憧れにも似た純粋な想いが伝わってくるのです。かつてのモノクロ作品のパワーを信じ、虎吉にはゴダールをダチだと言わしめる。「鬼が来た!」や「シン・シティ」にも似たカラーの虹や血しぶきも印象的です。ある意味では模倣とオマージュの上に成立している作品ですが、一方で簡単に模倣を許さない独自のパワーがあることも事実です。

独自のパワーとはつまり、本作のテーマでもある“Rock’n Roll”、そして大阪というローカル性。大阪の持つ荒々しいまでの土着のエネルギーがロックという表現手段に出会い花開く時、ヒッピーたちがかつて(LSDで)幻視した宗教性や「世界平和」への願いが浮かび上がるのです。時代を超えて現れたロックの愚直なまでの姿勢こそが成し得る技ではないでしょうか。

それを踏まえれば開けっぴろげで猥雑な下ネタも暴力シーンも、驚くほどにピースフルなのです。登場人物が一人も死なないのがいい例です。性別はあらゆる手段で超えられ、いったん“個体”に切り離された人々は同性愛、いや同種愛とも言うべき営みによって関係性を取り戻していきます。あくまで地に足をつけ続ける者たちの無軌道で無鉄砲な姿は、腹を抱えて笑えると同時に感動的でもあります。

回想/妄想シーンで披露される数々の小ネタ、無造作に飛び出す無数のメッセージ。この荒削りな作品は、言うなればエネルギーの塊です。大阪という限られた空間から出ず、また猥雑な人間たちを映すことで真理を描こうとする監督の姿勢に潔さを感じます。
ライブハウスで聴くロックの生演奏のような衝撃を受ける作品。
こういうパワフルな映画が大好きです。
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by murkhasya-garva | 2006-11-21 11:11 | 映画

手紙

「手紙」(2006)
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シネコンで21時以降に上映してる作品ないか…と捜していたら、ありました21時45分。お客もカップル数組、合わせて20人弱。悠々と座っていたら、席をゴツゴツ蹴る奴らが。しまいには「好き☆」「好き☆」……ッカ~ッ!! うるさいよ後ろ(泣)!!!



プロのお笑い芸人になる夢を持つ青年、直貴(山田孝之)。しかし彼は、夢や仕事、恋愛といったもの全てを諦めていた。それは兄の剛志(玉山鉄二)が、彼を大学に行かせるために強盗に入った家で殺人を犯し、刑務所に服役していたからだ…

いわゆる「泣かせ」の邦画は、最近は外れる傾向にあるようです。大体前評判だけで行く気が失せるのですが、今回は異例の高い評価。実際に刑務所でも上映されたとか。ボロ泣きとまではいきませんでしたが、ストーリーや登場人物の心理描写が丁寧に描きこまれ、俳優さんたちの時折ゾクッとするような表情がたまらなく印象的でした。

小説の映画化も、マンガと同様に難しいものなのでしょう。原作の色彩を損なわず2時間という枠に集約させる作業に、今まで沢山の映画が失敗してきました。必要な部分を活かしそれ以外を切り捨てる…そこに現れるワンシーンごとの飛ばしは、作品の明暗を分けます。本作は主人公の心の揺れに寄り添うように描かれ、ストーリーが違和感なく繋がっています。

強盗殺人犯の肉親であること。誰でもなりえることだけれど、当事者でない限り、私たちは永遠に大多数の排除する側なのです。その大きく深い溝は簡単に飛び越えられるものではありません。確かに、彼らの短絡的な行動に対して「自分だったらこうする」という反論はできるでしょう。しかし基本的な想像が欠落した者にとって、その言葉は自己満足でしかなく、どこまでも無効なのです。

大多数の観客との決定的なズレを抱えた主人公たちは、一方でごくごく普通の生活を送ります。同じように夢を抱き、恋愛をし、幸福な将来を目指して。しかし同時に周囲の反応も、きわめて現実的です。いつの間にか離れていく人々。この徹底したリアルな描写が観る側との溝を埋めていき、私たちに「どうすればいいのか」を考えさせる手がかりを与えてくれるように思います。

彼らを追うカメラもいいタイミングで主人公をアップで映し、感情移入させるのに役立っています。主として感情の盛り上がりを重視するのは、テレビドラマでよくある方法…ですよね。ラストの慰問のシーンは特に素晴らしい。必死に合掌する玉山鉄二。あの凄まじいインパクトに思わず身を乗り出してしまいました。それまでの緩やかな映像に比べ、強烈なものがあります。

差別される側、そして排除する側もどうあるべきか。現在の日本人の感覚に忠実に沿って描かれているからこそ、本作のテーマはいっそう説得力を帯びて伝わってきます。
しかしこの作品は同時に、「ごく普通の感覚」を描いているがため、観る者の現実性や感性の強度を問うものとなっています。正直言って一般的な感覚がないとツライ・・・。
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by murkhasya-garva | 2006-11-19 18:11 | 映画

エルミタージュ幻想

「エルミタージュ幻想」(2002)
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世界最大級の美を誇るエルミタージュ美術館を舞台に、ロシアの美と歴史を90分ワンカットという驚異的な手法によって映画化。京都みなみ会館の「ソクーロフ監督特集、もうひとつの太陽」で上映されました。DVD化されています。必ず眠気予防をしてご覧ください。


現代を生きるある男が、エルミタージュ美術館に迷い込む。フランスの外交官キュスティーヌに出会った彼は、館内で様々な出来事を目撃。やがて2人は無数の貴族や軍人がひしめく舞踏会を目の当たりにする。

ロシアソビエトの映画を観ると夢も見ずにはいられない、ましてや90分ワンカットという恐るべき作品なら…と朝からカフェインとニコチンをしっかり取って観てきました。しかも観客が眠くならないようにか、劇場内は暖房をわざわざオフに。観る体勢は完璧…なはずでしたが、隣のオッサンはイビキをかき始める。突っついたのにまた寝る。もう何も言うまい…。

エルミタージュの中で行き来するロシア時代の過去と現在。一人のある男の視点が人々の間をさまようように流れていきます。この「ある男」とは恐らくソクーロフ自身なのでしょう。彼は誰にも存在を気付かれず、19世紀の外交官と館内の旅を続けます。ひと時も瞬くことのない90分は、さながら彼の豪華な、あまりに豪華な白昼夢。いや、彼自身が幽霊のような存在なのか。

途切れることのない時間、そして徹底した一人称の視点は、まるで見えない何かに導かれているかのような印象を受けます。避けられない運命的なイベント、そう、私たちの見る夢のように。自由に時間を跳躍する彼には、歴史に直接触れることは出来ません。「もう手遅れだ」と言い、彼は、過ぎた歴史を鑑賞、または傍観するだけの存在なのです。

道連れの外交官は自由に館内を動き回ります。全身黒ずくめの彼―彼こそ幽霊か―は、逆に言いたい放題。ロシアを劇場のようだと例え、ヨーロッパの模倣と痛烈に批判する。エル・グレコを賞賛し、《使徒聖ペトロと聖パウロ》を前にした青年の浅薄な考えを問い詰める。対照的な存在の彼は、主人公の男を代弁する分身でもあるのでしょう。

それにしても何と豪華なことか。1000人にも近いスタッフ・キャストを動員したといわれる本作は、帝政ロシアの王室、巨大なダンスフロアを人で埋め尽くし、圧倒的な迫力で再現してみせます。私たち観客に、きらびやかな世界に、時代を超えて直に触れるという、得がたい経験を与えてくれるのです。

扉を開けるたびに広がる豊饒なイメージの世界。「私たちの運命とは永遠に生き、この海を永遠に航海することなのだ」というラストの男の呟きは、監督自身の決意の言葉であり、それを追体験した私たちにも向けられた言葉でもあります。映画鑑賞を続けるぼくには、とても共感できる台詞でした。
観ようによっては芸術作品との距離が限りなく近くなる作品だと思います。最高に美しい、これこそ「芸術作品」。
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by murkhasya-garva | 2006-11-19 15:34 | 映画

プライマー

「プライマー」(2004)
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難解映画の一つとして挙げられていた作品。以前京都シネマで上映を逃し、観ておかなかったのを悔やんだような記憶が。2004年度サンダンス映画祭でカルト的人気を博し、審査員大賞を受賞。もうパッケージのデザインからそそる作品です。



アメリカのとある郊外の町。自宅のガレージでオフタイムに研究開発に励むエンジニアのアーロンとエイブ。ある時エイブが超伝導を利用した画期的なアイデアを思いつき、2人は開発の途中で空間に時空の歪みを生じるワームホールを作り出してしまう…

「観ておかなかった」と先ほど書きましたが、実はぼく、2年前に観ていたようなんです。オープニングでやっと気付いた次第。そういえば2年前、余りの意味不明さに混乱し、挙句の果てにはうたた寝したんですね。大抵は寝ても分かるものですが、この作品、さっぱり分からない。半泣きで「これは観なかったことにしよう」と脳内削除、見事に成功していました。

過去の自分の企みにも気付かずにまんまと借りた「プライマー」。2度目の鑑賞にもかかわらず意味不明な箇所が多すぎる。いや文句ではないんです。わずかだが確実に散りばめられたヒントの数々。何かが起きているのに、何が起きているのか分からないこのもどかしさ。「分からない」ことへの激しい反抗心と、脳髄がピリピリするような興奮が身を包みます。

『π』や『メメント』のような知的好奇心をそそる、タイムトラベルものの作品。視覚的な刺激は殆どなく、正面から謎解きをガッツリとやらせるようなSFサスペンスです。製作者が作りたいものを作った感じで、好感が持てます。謎解きは、既に他の方がすごいパワーをつぎ込んでいますので、そちらを参照して下さい。

この作品の難解さを支えているのは、不親切なほどの状況説明のなさ。普通ならナレーションや丁寧な描写でフォローするところが省かれている。しかもエンジニア同士の専門用語の飛び交う会話で、余計に分からなくなっている。一見しただけでは分からない映像の数々、すでに前半から伏線は張られています。少しの映像も見逃せません。

そして何よりも質の悪いざらざらとした映像、時折入る淡々としたナレーション。この低予算ならではの映像の質感は、タイムトラベルや分身(ダブル)との出来事が逆に本当に思えてくるんですね。ドキュメンタリーみたいで。エンジニアたちの興奮や混乱の息遣いもリアルに伝わってきそうです。

自分の仕事を楽しんでいた、少年のような主人公たちが期せずに巻き込まれるタイムパラドックスの渦。その目で確認すべし。最低5回は観る必要がある、とニューヨークタイムズは報じたそうです(!)。
※主人公は一人ずつじゃないことに注意して観ましょう。
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by murkhasya-garva | 2006-11-19 01:11 | 映画
「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」(2003)
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今週から映画断ちのつもりが、知人の「パビリオン山椒魚観にいく」発言に動揺し、自転車をパンクさせながらも京都みなみ会館へ向かう。
完っ璧に三日坊主。ぼく映画を観なきゃやってけません!!
…甘ったれコメントも健在です。



2004年8月に95歳で逝去した20世紀最大の写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソン。人前に姿を出すことを徹底して避けていた彼が、パリ近郊の自宅で、その生涯や数々の写真について自ら語る貴重なフィルム。

もっと早くこの映画に出会っていればよかった!!
カルティエ=ブレッソンという20世紀最大の写真家が、彼の写真とともにスクリーンに現れる。この映画は、あくまで写真や彼に興味のある人のためのものだけど、同時に視覚を使う芸術作品―例えば絵画や映画―を理解するためのヒントに溢れた作品でもあります。

撮影技術に関心のない人も簡単に写真が撮れて、鑑賞する人も質の良し悪しに関係なく写真を目にする現在。優れた作品を観る機会が埋もれると、傑作すら理解できない不感症が増えるような気がします。実際にぼくがそう。数枚の写真がスクリーンに映っても「??」(いや、本当に)。今までしたり顔で、光と影のコントラストがムニャムニャ…とほざいていた奴の化けの皮が剥がれる瞬間でした。

俳優のイザベル・ユペールや劇作家のアーサー・ミラーは彼の写真集をめくるたびに、ほう…と感嘆のため息を漏らします。不意に笑い出します。「まいったね」と。瞬間を絶妙なバランスで切り取り、風景に永遠の命を与える写真家、カルティエ=ブレッソン。彼の関係者も、そして本人自身も、本当に楽しそうに写真について語るのです。

“自分の知らない一面を見透かすかのような”ポートレイト、“あらゆるものを包含し”“見ただけで想像をかき立てる”風景写真。さすがに解説付きで何枚も紹介されれば、写真の見方も少しは分かる。後半には、スクリーンに現れる写真を見て思わず微笑んでしまうことも。

イザベル・ユペールは「全ての芸術形式に通じる」と写真を評します。確かに、絵画はもとより映画でも、画のバランスは評価の対象になります。スチル画像だけでなく、その映像の瞬間の美しさが映画にもあります。そしてその「画」の持つ意味。“優れたものは多くを語る”というジョセフ・クーデルカの言葉が印象的です。

写真の魅力を知るとともに、映画の面白さにも改めて考えさせられる作品です。何より、たくさんの写真とカルティエ=ブレッソンの生の言葉が聞けるのがあまりに貴重。「事実は小説より奇なり」ではありませんが、ドキュメンタリーの魅力は、この生の声を聞くというみずみずしさにあると思います。写真好きもドキュメンタリー好きも、是非観てほしい。
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by murkhasya-garva | 2006-11-16 09:57 | 映画

恋文日和

「恋文日和」(2004)
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原作はジョージ朝倉の同名作品。純粋にしたためられたラブレターをテーマに、それぞれの恋愛模様をつづったオムニバス。気鋭のクリエイターがそれぞれ期待の若手俳優陣を起用し映画化。




ジョージ朝倉のマンガが好き。数年前に弟に「少年少女ロマンス」を紹介されて以来読んでます。当初は書き殴ったような絵柄に抵抗を感じたけど、少女マンガ家にあまりない絵柄と独自の語り口が魅力で、あとを引くんですね。それが映画化するとどうなるんでしょうか。

本作には、朝の連続ドラマの主演だった村川絵梨、中越典子など最近注目…の若手俳優が出演。村川絵梨なんて「BOYSTYLE」のメンバーだった時期の話です。一方で「手紙」の玉山鉄二や「タイヨウのうた」の塚本高史なども出演。ファンなら一応チェックの作品。

内容はといえば、良くも悪くも単館系の作品。もともとジョージ朝倉のマンガ自体が映画っぽいのもあり、映画製作に携わる方々が「映画化したい!」と切望したんでしょう。実際にその映像からは、何とか原作の魅力を伝えようと、あの手この手で表現する熱意が分かります。そのため本作は、原作を忠実にトレースしたものに。

外見と裏腹の純粋な内面、直接伝えることのない想い、それを誰かと繋ぐ手段としての「恋文」。
この主題を一貫させるべく、3編の原作を1編のオリジナルストーリーでつなげます。

オリジナルストーリーの「便せん日和」は、“伝えられない想い”という全体のテーマを汲んでいますが…あまりにストーリーが陳腐すぎ。これで全体を締めるのは苦しすぎる。俳優さんがこんな酷いストーリーで熱演していると思うと逆に泣けてきます。もっとも、ジョージ朝倉の一ファンが描く同人ネタレベルの小品だと考えると納得できますが…。

他3編は、演出方法やキャスティングこそ難があるとはいえ、原作にとても忠実であるため各作品の雰囲気がよく出ています。後の作品になるに従って質が上がるのはご愛嬌。しかし原作に忠実でありすぎるのもどうか。原作が短編であるからこそ改変は利かないと思いますが、映画化するメリットが見当たりません。

マンガであれ活字であれ、映像化とは難しいものです。製作者が自分の中で消化したものをどこまで効果的に表現できるか。少なくとも本作は、「映画化」ではなく単なる「映像化」の域を出ません。
ともあれジョージ朝倉「のファンが作った」作品として、興味がある方はどうぞ。
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by murkhasya-garva | 2006-11-13 10:15 | 映画
「フル・モンティ」(1997)
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<UKオールスターズ!キンキー・ナイト>@京都みなみ会館の3本目の作品。家族構成では「サンキュー・スモーキング」につながり、ダンスという点で「フラガール」とつながる…ちょっと強引ですか。そうそう、主演のロバート・カーライルは「トレインスポッティング」のベグビー役でした。


イギリス北部の街シェフィールド。25年前は鉄鋼業で栄えたこの街も、今は誰もが失業中で生活は苦しい。幼い息子の養育費を払えず共同親権を失いそうなガズもその一人。だがある日男性ストリップショーに紛れ込み、その熱狂ぶりに、自分も金を稼げるんじゃないかと思い立つ…。

このオールナイト、イギリス作品特集で組まれていましたが、やはり共通する空気が何となく感じられます。例えば本作は「トレインスポッティング」と同じニオイがする。生活不安定な者は、何だかフラストレーションが溜まり、いらだちも募る。新しい環境を求め、何とか行動しようとするも今ひとつパッとしない。曇り空のイギリスによく合います。

もっともストーリー展開でお決まりのパターンだともいえます。しかし本作はこのパターンをもっとも単純な形で描いた秀作であるといえるでしょう。愛すべきキャラクターの面々、心温まるエピソード、そしてラストはフル・モンティ(すっぽんぽん)で決めるという、まさにカタルシス。これをエンタテインメントと言わずして何と言うか。

また、男性ストリップという設定も面白いですね。“女性の仕事”を男性がやっている…男性が失業して家計の中心でなくなった瞬間に、男性優位もあっさり消え去る。いや、そもそもそんな幻想が根付いていたのかどうかすら疑わしい。ともかく、男性も肉体そのものに商品価値を付けられる時代がきたことに、少なくともガズの周りでは戸惑いが広がります。

そんな価値逆転のおかしさを含みながら、男たちのダンスの練習は続きます。初めは嫌々ながらやっていた者も、いつの間にか音楽が流れるだけで腰を動かしていて…。職安でのシーンは傑作です。従来の職業観が変わっていく瞬間でもあります。やっぱり「フラガール」に少しつながりますね。

失業中の殿方がこれを見てストリッパーになるとは考えられませんが、少なくとも不景気にあえぐ人々の鬱屈した思いが、この極端な転職のカタチによって少しは解消されるかも(どうでもよろしいが。。)エンタテインメントの秀作。ぜひ観ておきたい。
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by murkhasya-garva | 2006-11-11 12:29 | 映画
「サンキュー・スモーキング」(2006)
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最近とみに観客が多くなってきている京都シネマにて鑑賞。意外にも観客は20人程度だったので安心。隣にはよく笑うオッサンがおり、彼の笑い声が始終響いておりました。笑い声っていいですよね。観客の反応をじかに感じながら観ると、相乗的に作品を楽しめるのです。


タバコ研究センターのPRマンであるニック・ネイラーは、タバコへの強いバッシングをかわすため連日マスコミの矢面に立って戦い続ける業界の顔。ある日、ニックは映画を使ってタバコのイメージアップを図る作戦の指揮を任される。一人息子のジョーイを連れ、ニックはさっそくロサンゼルスへ…

まず正直に言いましょう。最近ハリウッド離れの激しいぼくが、20thCenturyFoxの「パッパカパー」を聞いたとき、「やばい…」と思ってしまったことを。偏見はいけません。どんな作品にも柔軟な姿勢で臨むのは、映画好きのぼくが定めた自分ルールなのです。

主演のアーロン・エッカートが「サスペクト・ゼロ」の刑事役だったとは気付かなかったのですが、“話術で世間を煙に巻く”という惹句や、話術がメインの作品なだけあって、立て板に水のごとく喋る彼の姿はまさに言葉のマシンガン。彼を筆頭に登場人物はみな滑舌もテンポも良く、観る者に「ついていけない」と決して感じさせずに展開する会話はとても良い印象が持てます。

柔軟な思考の持ち主であること。それが情報社会において大切なことだと何度も言われます。タバコのPRマンであるニック・ネイラーは、ただ自分の正当性を主張するだけではありません。相手の立場の矛盾、間違いを指摘し、善悪という一般的な価値観を引きずり下ろし相対化することで、議論を成功させているようです。

一見、本作はタバコ会社と、タバコ規制を促進する人々の戦いに終始するようにも見えます。もちろん、ニック・ネイラーが主人公ですし、「サンキュー・スモーキング」というタイトルの通りなのですが、この作品にはそれだけでは言い切れない部分がある。例えば、全編を通して誰もタバコを吸わないこと、結局どちらが勝者だったのかがはっきりしないことなど…

本編でも、監督のインタビューにもあったのですが、「自分の頭で判断すること」が大切だといわれます。タバコが正当化されるかそうでないか、そんなことは基本的に問題ではない。要は自分で考えること―いうなれば、本作はそれ自体で大掛かりな“論点のすり替え”を行っているのです。タバコが好きで、最近の風潮に物申したい方が期待して観にいっても、実はあまり効果はありません。

それでもエンタテインメントとしてはとても洗練された作品です。「インサイダー」「グッドナイト・グッドラック」の流れを汲む社会派+知的コメディ、爽快感が残ります。
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by murkhasya-garva | 2006-11-10 12:09 | 映画