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by murkhasya-garva
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<第五回京都映画祭>白鷺

「白鷺」(1958)
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こちらも「瀧の白糸」と同じく泉鏡花原作の文芸映画。前作品「地獄変」(1953)でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した衣笠貞之助が、本作では特別表彰を受ける。主演の山本富士子が演ずる清らかな美しさに注目!





差し押さえされた料亭の一人娘、お篠(山本富士子)は芸者として面倒を見てもらうことに。船成金の五坂(佐野周二)に気に入られていたお篠であったが、青年画家の稲木順一(河崎敬三)に出会い、彼女の心は急速に純一に引かれていったのだった・・・。

この作品を観ていて、悲恋ものってパターン化されているよなあ、とつくづく思ったのでした。理想に燃える青年、一途な女性。もうええがな。と呟いてしまうのですが、それでもさすが映画祭に出品されるだけあって、注目すべきところの多い作品だったと思います。

青年画家の順一が彼女に渡した白鷺の絵は、「白鷺のようにいつまでも清らかに美しくいてほしい」という想いを込めたもの。なるほど彼女は、芸者でありながら清い身を守ろうとする。しかし一方で、カゴの中の鳥のように不自由な彼女は、次第に行き場を失ってゆくのです。清らかさを失った白鷺はもはや白鷺ではない。結果的に、彼女のとった行動は囚われた者の運命だったのかもしれません。

それに、彼女はカゴの中に囚われたからこそ、順一に出会えたのです。お篠との恋は、足を折られた囚われの鳥を愛でるかのようなもの。白鷺の絵を彼女に送ったとは、なんと皮肉なことではないでしょうか。自由な恋愛すらままならない時代の悲恋は、この運命的な「行き場のなさ」がネックとなってくるのです。

山本富士子の文句のない美しさが、その哀しい恋物語に華を添えます。彼女が簪をくわえて上を仰ぐシーンは、ぞっとするほどの感動。これぞ悲恋。
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by murkhasya-garva | 2006-10-31 12:17 | 映画
「夜の女たち」(1948)
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10月27日、祇園会館にて2本目の鑑賞作品。溝口健二の監督によるもの。大阪の天王寺や阿倍野の荒廃した街角を舞台に、街娼の人々の生態とエネルギーを描き出している。溝口自身がこの作品によってスランプから抜け出したといわれる。




敗戦直後の大阪。夫が戦死し、子を結核で亡くした房子(田中絹代)は路頭に迷い、闇屋の栗山(永田光男)の妾となる。しかし実の妹夏子(高杉早苗)も栗山と関係を持ったことを知り、房子は女一人で行きぬくため、夜の盛り場で街娼となった…。

溝口健二の作品を数本見て彼の作品について語る、と言うのはおこがましい話ですが、「祇園の姉妹」といい「瀧の白糸」といい、どうも共通点が多い気がするのです。ここは既に述べた点なので割愛しますが、特に「祇園の姉妹」に似ている。ラストで自分の職業への恨みを叫ぶところなど、もうそのまま。監督の倫理観が押し出されているような作品です。

とはいえ、当時を活写した臨場感ある映像にやられてしまいます。戦後まもなく、壊れた建物や瓦礫がそこらじゅうに散らばっている風景。ケンカ追いはぎ何でもありの、物質的にも精神的にも荒廃した社会のホコリっぽさがよく現れているのです。その中で懸命に生きる術を見出そうとする女性たち。醜女の強さというのか(失礼)、エネルギッシュさが印象的です。

本作は、房子が義妹の久美子を街娼の道から救おうとするシーンで、テーマを一気にあぶりだします。教会の焼け跡、聖母マリア像の前で泣き伏せる女たち。街娼をする女性の救いのなさを訴えるという意味では、これほど強烈なものはありません。しかし、純潔協会の女性をシバいておいてこれはないだろう、と思うのですが…
音質、画質は悪くともそこから立ち上ってくるパワーは本物です。
田中絹代似のハイヒールモモコに一票。
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by murkhasya-garva | 2006-10-31 10:43 | 映画
「怪談雪女郎」(1968)
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古典として名高い雪女伝説がベース。田中徳三監督が、八尋不二の脚本によるリアリスティックなストーリーをもとに、藤村志保による雪女の世界を手堅く、迫力たっぷりに描きます。
・・・もう3日目になると周囲のざわつきにも慣れてくるもんです。


雪の山小屋で、仏師の与作たちは雪女に襲われた。師匠を目の前で殺した雪女は、他言しないことを約束させて彼を解放する。ある日、師匠の代わりに菩薩像作りを命じられた与作は、一人の旅の女・ゆきに出会う。二人は夫婦となり、幸せな家庭を築いていたが…。

恥ずかしながら、藤村志保を意識して見たのは今回がたぶん初めて。その初めての作品で、いきなり彼女の眉消しメイク。眉がない女優さんなのか?!(んなわけない) いやいや雪女の役柄がとても様になっているのです。鋭い目つき、黒髪に白装束姿は、まさに凄艶という言葉が似合います。
そういえば最近の女優さんには、この魅力を持った人たちが見当たりせん。逆に言うと、そんなものは現代に求められていないということなのでしょう。少し残念です。

本作は、雪女伝説を上手い具合に組みなおしたもの。仏師や菩薩像の話は独自に加えられたもののようです。これに似たアイデアは、木下順二の「夕鶴」にあることが指摘されています。練られたストーリーの中に詩情豊かなエッセンスが込められており、また、物語としても破綻なく充分に機能しています。

恐怖や冷血の象徴のように恐れられてきた妖怪雪女。彼女が、母を呼ぶ悲痛な子の声に振り返って見せる表情は、与作が作っていた菩薩像の慈悲にリンクしてきます。このラストは必見。本作のヤマ場で最も美しい。まさか雪女で涙ぐみそうになるとは思ってもいませんでした。
仏教説話と怪談物の出会い。若き藤村志保主演の作品は、とても完成度の高いものです。
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by murkhasya-garva | 2006-10-31 08:56 | 映画
「瀧の白糸」(1933)
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第五回京都映画祭の最後を締めくくる映画、無声映画の「瀧の白糸」。泉鏡花の原作をもとに、溝口健二が映画化したものです。実際にキーボード、バイオリンの演奏と活動弁士、井上陽一氏を付けての上映でした。邦画でナマの活弁は初めて鑑賞。

※まだ書いていない作品が沢山。あとはランダムに書いていきます。新作は今後あまり観れんな…



水芸師、瀧の白糸(入江たか子)は、旅先で馬丁の村越欣弥(岡田時彦)に出会い、心惹かれる。二人は後に再会し、白糸は学問を志す村越に貢ぐことを申し出たのだった。しかし次第に水芸は売れなくなり、白糸は村越に金を送ることすらままならなくなっていた…。

昔の作品とはいえ、溝口健二の手がける泉鏡花作品はなかなかひねりの利いたもの。
心を通わせあった二人。女は遠い地にある男を想い、いつか会える日を待ち焦がれながら日々を健気に生きていく。しかしふとした拍子で女は身を汚し、会いたい想いと会えない気持ちの間で板ばさみ…。
その上に、主人公には最後まで哀しい末路をたどらせる、という溝口お得意の展開が加わるのです。

いわゆる悲恋ものには、愚直で献身的な女性像が極めて多く現れます。本作品では悲恋話の中でも自由な女、母性、という側面も描かれ、従来の物語形式を超えた深みのあるストーリーになっています。
また、この映画祭で上映された「祇園の姉妹」「夜の女たち」に共通して、溝口作品には水商売の女性の悲劇が描かれます。“自立した”とはいえ女性がいまだ社会的弱者であった時代を感じさせます。

今回、活弁を鑑賞して、活弁というのも相当ナマモノなんだなあ、と感じたのでした。微妙にタイミングがずれたり、台詞をアドリブで読んでいたりと多少違和感が残るものだったんですね。演奏の人はけっこう間違えるし。とはいえ、そういうのも込みで楽しめるものだったと思います。
京都映画祭、充分に楽しむことができました。今度は2年後だ!!
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by murkhasya-garva | 2006-10-30 10:29 | 映画

<第五回京都映画祭>刺青

「刺青」(1966)
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谷崎潤一郎原作の同名小説の映画化。増村保造監督で若尾文子が主役を演じる。脚本はあの新藤兼人(「ふくろう」など)。ふと、「天使の恍惚」「新宿泥棒日記」に出演した横山リエと同一人物かと思っていました。何でかぶったんだろう。


質屋の娘お艶(若尾文子)は使用人の新助(長谷川明男)と駆け落ちに出る。しかし逗留先で悪人に芸者として売られ、体に巨大な女郎蜘蛛の刺青を彫られてしまった。やがて彼女は、本能のおもむくままに生きはじめる・・・。

主役を張った若尾文子の威勢のよさと、弾けるような美しさが目を引きます。彼女の美貌には色気がある。そして今でも現役で活躍している俳優には、旗本の芹沢を演じた佐藤慶がいました。「ゲルマニウムの夜」で朧に車椅子を押されていた戸川神父がこんなに若い!!彼のその間の作品を知らない分、時代の流れを強烈に感じてしまいます。

谷崎潤一郎の原作とあり、なかなか過激な場面の多い作品でした。色気あり、暴力あり、時代劇だからいいものの、当時は結構騒がれたのでは。その中でも刃傷シーンがすごい。直接的な描写はほぼないのに、それぞれの映像が「痛い」。剣戟からとどめに至るまで、終始緊迫した空気が流れます。いかにホンモノっぽく見せるか。カメラワークとカットのつなぎが素晴らしく上手く働いています。

男の生気、もとい正気を吸い取り、狂わせる魔性の女。刺青を彫られてからのお艶は、関わる男全てをとりこにしてゆくのです。お艶のために駆け回る新助は、その純情さゆえに次々と人を殺めてゆきます。いや、刺青を彫られてからではなく、本来男殺しの気質を持ったお艶にとって、芸妓商売は天職だったのかもしれません。

狂気にも似た妄執は、刺青を通じて多くの人を狂わせていきます。爛熟した精神の先に見るものは、エロスとタナトスという欲望の具現でした。一見の価値ありです。
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by murkhasya-garva | 2006-10-28 12:05
「怪猫謎の三味線」(1938)
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70年近く前の作品です。白と黒が靄(もや)のように映り、音声もくぐもったように聞こえる。よほど集中しないと作品の細かい部分を見落としてしまいそうになります。そんな中で、年輩のお客さんは考えるよりも先に声が出てしまうご様子。周りの皆さんブチ切れです。

三味線引きの清二郎(朝香新八郎)が飼っている猫が、あるとき武家の娘お喜代(歌川絹江)の元に迷い込み、二人は仲良くなる。それを観ていた清二郎の恋人三津枝(鈴木澄子)は嫉妬に燃え…。


こんな古い映画に知っている名前を見つけた!!森光子さんが、お喜代の妹のお縫役で出演しているのです。まだ20歳にもならない彼女が出演…世代を超えて活躍している女優さんがいることに、正直驚いてしまいます。実は上映時には誰が誰か分からなかったのですが。

怪談映画は新興キネマが多く生み出してきました中でも怪猫映画はシリーズ化され、6作品が製作。今でこそ画像が悪く、昔ながらの風情を感じるばかりの作品に見えますが、牛原虚彦監督の演出は確実なものがあります。見せるべき場面を選んで見せる、テンポのよいストーリー展開。また多重露光、特殊レンズ、スローモーションなどを用いた恐怖シーンでは、怪談のムードが効果的に盛り上がります。

ラストの浄瑠璃のシーンは、本編中で一番の見所。引退興行で踊る三津枝の前に現れる猫の顔、お喜代の顔。浄瑠璃自体も見ものではありますが、テンポを損なわずにはさまれる恐怖シーンは、観る者へ次第に緊張感を与えます。舞台を劇中劇に仕立てて復讐の場として使うなんて、映画という手法あればの話です。観る側は“一つ上の視点”から観ることで、リアリティを一層感じることができます。
こんな機会がなければ、観ることもない作品ですね。
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by murkhasya-garva | 2006-10-28 10:30 | 映画

<第五回京都映画祭>古都

「古都」(1963)
b0068787_1011381.jpg10月26日、祇園会館にて鑑賞。いいところでいつも観客が喋りだす。イライラ…すると前方から「ちょっと静かにしてくれませんか」、後方では「うるせえ!」内心喝采もの。けど、なんとすさんだ空間になったことか。いやはや。皆さんマナーくらい守りましょうね。


呉服問屋の一人娘、千重子(岩下志麻)は父母の寵愛を受けて何一つ不自由なく育てられたが、捨て子であった。ある日、清滝川沿いの北山杉の村を訪れた千重子は、自分と瓜二つの娘、苗子(岩下・一人二役)を見かける。やがて祇園祭、二人は偶然に再会する。お互いに生き別れの双子だと直感するのだが…。

何よりも、若き日の岩下志麻の姿が素晴らしく美しい。今でこそ「極道の妻たち」で有名ですが、40年前から柔和な顔立ちは変わらず、それに加えて清楚さが際立っています。そんな彼女が二人も出るというんです。お互いに姉妹という以上の親近感を抱き、近づきあうシーンのなんと色っぽいことか。ただ抱き合ったり、同衾しているだけなのに、まるで相手に融けこもうとしているかのように思えます。

また双子という設定ではありますが、二人の関係はドッペルゲンガーの関係にとても似通っています。実際に苗子は自分自身を「身代わり」だと言い張るし、千重子とは距離をとろうとするのです。舞台は京都、それに二人の実の親がすでに死んでいることからも、神秘的な印象がいっそう強まります。「自分が二人いる」、それは別の生を追体験する感覚、自身の光と影が入れ替わるような感覚。

本作の内容を象徴するかのように、武満徹の手がけた音楽が観客を刺激します。オープニングで不思議なリズムと共に、伝統的な建物や京都の町並みを次々と切り取るのが斬新です。また作中で紹介されるパウル・クレー。心の「調和」や、本作の「ダブル」というテーマにも関わってきます。
神秘的な空間・京都だからこそ生まれた作品。日本らしいラストがとても印象的です。
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by murkhasya-garva | 2006-10-28 09:12 | 映画
「三朝小唄」(1929)
b0068787_050118.jpg10月25日、京都ドイツ文化センターにて鑑賞。いやあ人がいるいる…。牧野省三監督の手によるサイレント映画。邦画のサイレントなんて初めて。しかも今回は映像に活弁が録音されており、違和感と言うよりなかなか新鮮な体験ができました。

村一番の器量よし、お久は村の青年たちの関心の的。村祭りに来た彼女が青年に追い回されていると、東京から三朝(みささ)温泉に逗留に来ていた若い画家と出会った。村の青年とは違って、静かで物腰の穏やかな画家の姿にお久は次第に心引かれていく…。


無声映画はなかなか観る機会にめぐりあえません。何かの催し物がない限り、スクリーンでの鑑賞など叶わないのです。チャップリンの「街の灯」をオーケストラ付きを観て以来。無声映画には、日本では活弁を当てるというのが多かったようです。本作は、上映中にスクリーン脇で歌手が主題歌を歌うという「小唄映画」の一つでした。今回はもちろん全て録音されているのですが。

無声映画では、その映像だけという平板さゆえか、役柄を明確にする必要があるようです。ピエロ役の男は身振りが激しく、思い切ったアクションで笑わせてくれる。また主人公たちは気持ち悪いほどに真っ白な顔で、悪人はいかにも悪人面といった色黒。そういえば「街の灯」でも、これに似た演出がされていました。

本作は三朝小唄をベースにしたストーリー。東京からやってきた青年画家と村娘との恋…なんて素朴なんだ。登場人物は予想通りの行動をするし、予定調和的に悲恋へとなだれ込みます。「情」を重んじる日本人の気質ゆえ、彼らは自ら残酷な現実へと身を投じるのです。ハリウッド映画に毒された者には、何故もっと自分の幸せに貪欲にならないのか不思議でなりません。

古き良き昭和初期の香りのする作品です。なかなか貴重なものを観ることができました。
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by murkhasya-garva | 2006-10-28 00:51 | 映画
「祇園の姉妹」(1936)
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10月25日、祇園会館で京都映画祭2日目を迎える。やはり京都を舞台にした古典作品は多く選ばれています。たぶん映画祭の大半をここで費やすんだろう。今まで印象の悪かった祇園会館の長所を見つける良い機会でもあります。



美女と名高い芸妓の姉妹。人情厚く男に従順な姉に対し、妹は気が強く打算的だった。ある日、二人が暮らす家に没落した姉の昔なじみが居候として転がり込んでくる。しかし、妹は姉の留守中に男を追い出してしまった。

さて、溝口健二監督の最高傑作と名高いこの作品。リアリティをもって登場人物の心情の機微を描いており、ユーモアと同時にシビアな現実が表現されています。女性の表と裏や人情深さ、男性の単純さや執念深さなど、多少シンプルに書いてはいるが切り口鋭く、観ている者はその重さに思わずため息を漏らしてしまいます。

それこそ初めは、没落した家の旦那やら呉服屋の旦那や息子を絡めとってはいるが、そうそう現実は甘いものではない。芸妓商売とは因果なもの。どっちに転んでも先はない。知恵を利かして世渡りしているはずが、思わぬところで足を取られてひどい目に遭う。哀れといえば哀れすぎて、見ていられません。

この世を甘く見てはいけない、と簡単なテーマを放り込んでいるのではありません。当時の女性にとって、独り立ちして生きることがどんなに厳しいものであったか。きわめて近代的な姿勢を持った女性が、時代の波に呑まれて挫折していく様をこの作品ではリアルに描こうとしています。
クスリと笑って、深いため息。なかなか重い作品です。
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by murkhasya-garva | 2006-10-27 09:03 | 映画
「ウィンター・ソング」(2005)
b0068787_23581291.jpg10月24日、京都映画祭初日の最終上映作品。バイトに遅れるのもかまわず、結局観てしまいました。下の段で観ましたが、視界いっぱいに大画面があるのは気持ちいいもの。「日本以外全部沈没」で二列目に座って以来、前の席はいいものだなあと。眼も悪くなってきてるし丁度良い。



映画で共演する俳優のジェントン(金城武)と女優のスン・ナー(ジョウ・シュン)はかつての恋人同士。彼女との恋が本物だったのかを確かめようとするジェントンに、初めは相手にしなかった彼女も再び彼に惹かれていく。しかし、彼は突然に彼女の前から姿を消してしまう・・・。

11月上旬全国東宝系にてロードショー、と言うことは今回が本邦初上映です。ちょっと得した気分です。何せフリーパスで観にいっているわけだから、映画祭で観た作品数で4500円を割るとなると…たぶん一本250円くらいです。一日3本。アホじゃなかろうか。

第62回ベネチア国際映画祭クロージング作品。映画祭の出品作品にはハズレがありません。現在と過去、そして劇中劇がたくみに織り交ざり、三人の想いが切々と歌い上げられます。不自然さを感じる各パーツも、情感溢れる音楽と共に次第に収束してゆき、観る者をラストへとうまく引っ張ってくれることでしょう。

また、キャストに注目。金城武は日本人俳優として活躍していると思ったら、アジアを股にかけていたんですね。中国語をしゃべる俳優に珍しく(?) 、太く深みのある声が渋い。そしてジャッキー・チュン。アクション俳優ではなく、歌手としての一面を楽しむことができます。またヒロインのジョウ・シュンの表情がいい。見開かれた眼からこぼれ落ちる涙がこんなに似合う女優もいたもんです。

過去に恋人同士であった二人が、自分たちのそれまでを再現するようなミュージカル映画に主演する…その不自然さに答えないままストーリーは進みます。一方で、やがて劇中劇と実際の過去の境界線はうすくなっていく――つまり本作はリアリティよりもむしろ、情感豊かに描くことを重視しているのではないでしょうか。

「結婚しよう」その言葉が叶わないまま、別れた二人。女は過去を振り払おうとし、男は10年間そのシーンを夢に見続け、眠れなくなってしまう。そんな彼らの運命は映画の撮影と同時に展開していきます。過去をやり直すのか、相手に復讐するのか。残された恋の痛みは二人を思わぬ方向へと導いていきます。

たまらなくロマンチック。切なくて、心を打つ。何よりも、音楽と俳優たちの歌声が作品のムードを盛り立ててくれます。デート用としては微妙ですが、恋愛ものとしては優れた一品となっています。観ておいて損はしません。
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by murkhasya-garva | 2006-10-26 23:58 | 映画