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by murkhasya-garva
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ハイテンション

「ハイテンション」(2003)
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「ホラーが観たい」と言う知人を連れ、京都は新京極シネラリーベにて鑑賞。ここのところ気分が優れず、ちゃんと頭に入るか心配だったのですが。ええ、観終わった後はもう、ハイテンションですよハイテンション。良質なホラーは、半ば強制的に神経を逆立たせてくれます。


女子大生マリーは親友アレックスと共に、彼女の実家を訪ねた。静かな田舎で試験勉強に専念するためだ。しかしその夜、殺人鬼が一家を次々と惨殺し、アレックスをさらってゆく。マリーは彼女を救うため、無我夢中で殺人鬼のトラックに乗り込むのだった。

うおっ、怖い!スタンダードのマンチェイスってこんなに怖いものだったのか。
平和な家族が寝静まったころ、何の理由もなく殺人鬼に惨殺されていく。主人公が必死に殺人鬼から逃げ、怯える様子がたまらなく緊張します。この緊迫した“ハイテンション”な空気が続くと、この作品は大成功、だったはず。はずです。
このテンションは確かに全編を通して続くのですが、後半で監督は色気が出たようです。

前半は、殺人鬼とのマンチェイスの中で、面白いことが起こります。大体「ジェイソン」「エルム街の悪夢」といった有名なシリーズでも、「追いかけられる」というのが主流だったはず。それが、いつの間にか主人公のマリーはアレックスを助けるため、殺人鬼を「追う」のです。逆転現象です。主人公は犯人の盲点から、犯人を見ているわけです。しかもこれが案外順調に進む。けっこう新鮮なんですね。

しかし、ラストでこの新鮮さ―人によっては違和感―は伏線となります。なぜ、主人公と殺人鬼は「追いかけあっている」(むしろ主人公が優位に立ちがち)か。なぜ主人公は恋人を作らないのか。そもそも、殺人鬼とマリーは立場の違いこそあれ、いわば「強奪者」と「守護者」という形で、アレックスに強い愛着をもっているじゃないか!! そうそう、オープニングも実はカギとなるんですよね。

監督のとった結末によって、関心は恐怖から謎解きへと移ります。あの殺人鬼は一体誰だったのか、本当に存在したのか。そう疑いだすと、全てが主人公の妄想へと帰着してしまうのです。最初のショッキングなシーンも、マリーが無意識に捏造したシーンなのかもしれない、と。ともあれ全てが「妄想」の一言で片付けられることで、作品の深みは一気になくなります。
故、手塚治虫大先生が「夢オチ」を禁じ手とした意味が良く分かることでしょう。

スタンダードな手法を継承した作品としては、確かに出来は素晴らしいのです。しかし、恐怖感そのものについて徹底的に追求せず、作品の落としどころを重視してしまった点に、この作品の失敗の原因はあります。弱冠25歳のアレクサンドロ・アジャ監督、次の作品では改善して臨んでもらいたいものです。

とはいえ、作品の“ハイテンション”ぶりは、見事なものです。パニックがかったマリーの視線をトレースし、何か起こる、と思わせる接写はいやでも息が詰まる。BGMも絶妙なタイミングで衝撃音や不吉な自然音を多用したり、心臓の鼓動のような音を使ったりと、かなりの念の入りようです。もちろん、スプラッタ・ホラーに欠かせない血しぶきドバドバもあり、ホラー好きは満足できるのではないでしょうか。
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by murkhasya-garva | 2006-09-30 17:17 | 映画

蟻の兵隊

「蟻の兵隊」(2006)
b0068787_1343735.jpg戦争問題を残留兵の視点からとらえたドキュメンタリー。早々に映画館に行ってチケットを買ったから良かったものの、観客は年輩の方が大半を占め、満員状態。しかし不思議なことに立ち見はいない。やはり立ち見まですると体にコタえるんでしょうか…
今回も色々書いてますが、いたって感傷的です。


80歳にして、この執念。奥村和一氏の青春時代を塗りつぶした中国での残留体験は、今なお根深く彼をとらえている。段々と曲がってゆく背を矯正具で直し、彼は国家に立ち向かい続ける。彼と共に国を訴え続ける老人たちの姿は、皆等しく自分の中に激しい怒りを宿しているように見えるのだ。既に、彼らは怒り、憎しみ、といった負の感情を支えに生きているのではないだろうか。だとしたら彼らの生涯は、あまりに苦しく、想像することすら恐ろしい。

池谷監督は、残留兵としての奥村氏の姿を撮り続ける。初めは監督の言葉のトーンのきつさに、どことなく思想的な偏りを予感した。確かに奥村氏を撮ることは、戦争責任や政治問題を指弾することに最終的につながっていく。しかし監督の視点は、時として残留兵としての記憶を宿した奥村氏の姿をも浮き彫りにする。売軍行為の被害者としての姿と同時に、中国人への加害者としての記憶を捨てられない氏。戦後の中国を生きた一兵卒の姿が、生々しく描きとられてゆく。

奥村氏は兵隊として過ごした山西省の地を懐かしくも感じる。当時の過酷な経験、そして過ちを体験したにも関わらずだ。若き日を過ごした大原の兵舎に念願の再訪を果たし、死んでいった仲間たちを想う。「もう行くよ。また来るからな」そう言い残して、光ある現実の世界へとまた足を運んでいく。国との戦いに、また身を投じていく。

山西省残留で「蟻の兵隊」となった彼らは、明らかに心身ともに傷つけられてきた。今、靖国問題が騒がしい中、奥村氏は靖国神社参拝をはっきりと拒む。「幸福な帰還兵」小野田寛郎氏の戦争肯定論に「戦争美化ですか」と噛み付く。たとえ同じ歴史であっても、体験したことには個人で歴然とした差があるのだ。様々な政治的思想がごった返す中、少数派としての奥村氏の言葉は、どれだけ人の耳に届くのだろう。

年月が経ち、残留の事実を知る人も減っていく。奥村氏はその数少ない人の証言を得るべく、自ら足を運ぶ。彼のまっすぐ遠くを見つめる横顔が、駅のホームなどで映される。怒りであれ、執念であれ、彼がどのような感情を内に秘めているのか知る由もない。しかしその凛とした横顔を見て、ぼくは深く胸を打たれ、涙が止まらなくなっていた。
哀れみでも、怒りでもない。
ただひたすら遠い戦いを続ける人の顔が、こんなにも美しいとは思わなかったのだ。
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by murkhasya-garva | 2006-09-29 13:44 | 映画
「花田少年史」(2006)
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原作は「ピアノの森」の作者、一色まこと。今回原作のマンガを読まずに観にいきました。来年は「ピアノの森」映画化です。
「ALWAYS 三丁目の夕日」で出演した須賀健太の演技が生き生きとしていて素晴らしい!篠原涼子、西村雅彦などが脇を固める。


わんぱく坊主の一路はある日、トラックと衝突して大怪我を負ってしまう。女子高生の幽霊に救われて生き返った一路は、幽霊と話せるように。その日から彼に頼みごとをしてくる幽霊たち。その中に一路の父親を名乗る男がいた。

これ、夏の娯楽作品として上映していたんですよね。かなり多くのエピソードが絡まりあっていて、前半は混乱しかけました。しかし、一歩引いてみて、この限られた世界や向かうべきラストを概観すると、「ああ、こういうことか」と、気が付くのではないでしょうか。

幽霊が見える少年といえば、三池崇史監督の「妖怪大戦争」を思い出します。どちらの作品も子供向けの内容で、年齢層が高めの人にもウケがよさそうな作品です。本作の特徴は、ストーリー構成の複雑さ。エピソードも登場人物も多く、そのためマンガの「ワンピース」みたいになるのでは…と心配していました。しかし予想を裏切ってまとまりが良く、ムダな部分がないんですね。

「あのキャラは結局何だったの?」という引っかかりがない。これは特筆すべきことだと思います。最近ので言えば、「笑う大天使」では沈丁花(じんちょうげ)さんなど取り巻きの女の子たち、「ゲド戦記」の大賢人ゲドなど。特に若手の監督や、アニメの映画化でありがちな「生かしきれなかったキャラ」が実はいないのです。つまり、それだけ本作は作品としての完成度は高いといっても問題はありません。

全てのアイテムがバランスよく使われている、ここにもある種の気持ちの良さを感じます。たしかにマンガならではのオーバーな描写が実写化され、おサムいシーンも多少ある。でも、(多分ですが)全体的に原作に忠実な演出は、一色まことのあっけらかんとした作風がにじみ出てくるようで、とても気持ちがいいのです。映画としても、さりげない小ネタが散りばめられ、この世界観に欠かせないおかしみを添えています。
これほどの視点の広さ、そしてバランスの良さを持った監督はあまりいないのではないでしょうか。

大方そうなのですが、ワンテーマを明確に示してストーリーを展開させていく、という方法がよく使われます。本作の場合は、そのテーマがずばりタイトル「花田少年史」。花田一路のひと夏の出来事、という大まかなくくり方が、作品を理解するときに「ことばにできないもどかしさ」を抱かせたのでしょう。力を抜いて観てみるべきです。何せ‘夏の娯楽映画’なのですから。そして感動必至です。
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by murkhasya-garva | 2006-09-28 18:08 | 映画
「スーパーマン リターンズ」(2006)
b0068787_1405652.jpg本当に久しぶりにシネコンへ行った。ミニシアターを巡っていると、つい大手配給の作品を忘れがちになる。旧作にとんと暗いぼくは、「スーパーマン」シリーズは今回が初めて。本作デビューのブランドン・ラウスの堂々たる存在感に注目!バックグラウンドが分からなくとも、絶対に楽しめる一品。


宇宙を巡る自分探しの旅から5年ぶりに地球に戻ったスーパーマンは、想いを寄せていたロイスが結婚し、子を得ていたことを知って愕然とする。さらに、宿敵であるレックス・ルーサーが出所。彼はスーパーマンへの復讐を計画していた・・・

アメコミ最初のヒーローとして、世界中で広くその名を知られているスーパーマン。無名であったブランドン・ラウスを新生スーパーマンに迎えた本作は、スーパーマン本人もさながら、存在感、そして自信と野心にあふれたものとなっています。2時間半という長丁場をものともせず、観客を釘付けにできる力強さ。「この夏 真打ちは、最後にやってくる!」と言いたくなるのも分かります。が!
来年か再来年あたり、真打ちも最初にやってくる日がくるんですかね。

シンプルにして壮大。スターウォーズと同じく、まずオープニングに感動させられます。カメラは宇宙を駆けめぐり、タイトルが、スタッフロールが躍り出る。これだけで感動させるのは、超有名作にしか出来ない芸当です。感動しすぎて、この時点で泣きそうでした。情緒不安定じゃないかしらん。
本編も文句なしにカッコいい。ありえないパワーで人々の危機を救うシーンに、カタルシス感じまくり。設定上での大量の突っ込みどころも気になりません。

主役のスーパーマンは、普段は新聞社の記者として平凡に暮らす一方で、人類を救う「神」と呼ばれ、地球征服を企む悪と戦います。こんなシンプルな内容で、かえって強い象徴性を感じさせるのは、まさに本作が現代人の夢を映した「神話」であるからに他なりません。地球を舞台にした仮想世界での、私たちと同じ姿形をした「神」の戦いや苦悩は、人の世の歴史と未来を予言しているようにも思えます。

現代社会に颯爽と現れた救世主、スーパーマン。いわば地球にとって不自然な存在は、人々が彼に依存する危険性をも生みます。ヒロインのロイスが「スーパーマンの不必要性」を主張したのは何だか痴話ネタっぽくて笑えますが、実際に彼の絶対的な強さが人類の自立をさまたげるのかもしれません。この結論は、ラブがらみで何となくうやむやになっていますが…
現代社会―実はアメリカ―の夢、幻想がカタチになった彼は、一体どこへ向かうというのでしょうか。

その答えのカギは、スーパーマンとロイスの間にできた息子、ジェイソンが握っていそうです。ラストでは、ジェイソンがスーパーマンの力を継いでいるっぽいシーンが何度も出てきます。スーパーマン自身も、彼の父に伝えられた言葉を息子に託していくのです。ジェイソンたちが今後どうするのか楽しみ。
アメコミから生まれた最強のヒーロー、いや「神」の物語は、今始まったばかりです。
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by murkhasya-garva | 2006-09-28 14:03 | 映画

タイトル変更、気分一新

前タイトルは「泥海ニ爆ゼル」。
でいかいにはぜる、と読むのですが、何故か“ばくぜる”とばかり言われます。
それにネガティブな印象をもたれるのか、周りで不評を買っていたようです。
そこで今回、心を入れ替えてタイトルを変えることにしました。 
なかなか気の利いた言葉が思いつかないので、ひねりもないタイトルになりましたが…

よくつぶやく、というか頭に浮かぶ台詞なんです。
誰か誘って外に出よう⇒「じゃあ映画を見に行こう」
今週で上映が終わってしまう作品がある⇒「じゃあ映画を見に行こう」
何だか気分がいい/落ち込んでいる⇒「じゃあ映画を見に行こう」
今日は天気がいい/悪い。⇒「じゃあ映画を見に(ry
今日はヒマだ/ものすごく忙しい⇒「(ry

8割くらい事実です。
映画中毒、なかなか治りそうにありません。
このブログも映画専門になってきたし。
ついでに言うと学校を卒業したいです。
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by murkhasya-garva | 2006-09-28 02:20 | ほぼ日記
「マルキ・ド・サドの調教哲学」(2005)
b0068787_13322370.jpg天六ユウラク座にて鑑賞。「ティント・ブラスの白日夢」といい、アルバトロス・フィルムから連続してこの類の作品が配給されたようです。この類の作品も、観客を相当選ぶと踏んでのことでしょう、オフィシャルサイトはそういう惹句を惜しげもなく使っていますね~。仕方ないけど。
原作はサド侯爵の「閨房哲学」。


サンタンジュ侯爵夫人は、弟フラテロから無神論者の哲学者ドルマンセ侯爵を紹介される。2人は性や神についての考え方で意気投合する。夫人は温泉地で出会った18歳の無垢な少女ユージェニーを一緒に調教しようと話を持ちかける。

マルキ・ド・サドといえば、何年か前に本人を描いた「クイルズ」が出ました。当時は地元にいて、こんな作品も世にあるのか!!と驚き、何ヶ月も上映を待っていたのです。が、そんなマイナー作品が田舎に来るはずもなく。近所のレンタルビデオ店にもなぜかなく、結局いまだに観ずにいるのです。
そこで少し彼の小説を読んだのですが、相当にエグい。想像の限りを尽くしたアイデアと表現に、うら若く清純な少年のぼくは世界観を叩き壊されそうになったのでした。

以前観た「ティント・ブラスの白日夢」、今思えば、あられもないエロス!な作品でしたが、本作は原作が有名な文学作品だということもあり、エロテイストよりも、むしろ文学的な香りが強い作品となっています。しかも舞台は近代のヨーロッパ、彼らは独自なりの「哲学」(というお題目)をかかげて大胆な行動をしているというのですから、多少は冷静に見ることもできるでしょう。

ドルマンセたちの哲学について言い出すと、原作者の思想ともリンクして面倒なことになります。が、その中でも目を引いたのは、彼らの宗教観。彼らは神の信仰を否定し、しかし創造主の存在を認めます。つまり、善悪というのは、「神」の名によって人間が作り出したものであり、本来の創造主にはそもそも善悪の区別がない、というのです。いわゆる倫理観といったものを根本から否定しようとするわけです。

彼らのそんな言葉に励まされ、若いユージェニーは調教を施されます。はじめは羞恥心や嫌悪感をあらわにするものの、興味と欲望が彼女を支配してきて…その変化の演出がとても上手い。ドルマンセの悦びに満ちた笑み、ユージェニーが羞恥に目を泳がせる表情、フラテロが下着をずり下ろす瞬間!!
必要以上の露出を抑え、ポイントとなる部分をしっかり撮ることで、エロスは格調高さや上品さをかねた映像となっています。

一方で、当時の価値観に縛られた存在として、ユージェニーの母親が現れます。神経質で、醜くしわのよった老婦人。彼女がサンタンジュ夫人の計画に無駄な抵抗をすればするほど、“厳しい戒律”がこっけいで無力に見えてきます。戒律の行き過ぎたキリスト教に対し、反対の意を唱える強烈なメッセージ。サド侯爵の描いた世界の意味が分かるような気がします。
エロスといえど、なかなか面白い出来になっています。興味があればどうぞ。
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by murkhasya-garva | 2006-09-26 13:33 | 映画

緑茶

「緑茶」(2002)
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中国第六世代の監督による作品。監督は、「ウォ・アイ・ニー」を手がけたチャン・ユアン。撮影は「花様年華」「2046」を担当したクリストファー・ドイルを迎える。各作品で際立っていた美しさは、ここでも充分に、そして独自の世界を香り立たせています。



大学院に通う内気な女性ウー・ファン(ヴィッキー・チャオ)は、理想の男性を求めて見合いを繰り返していた。彼女は友人に「一杯の緑茶で愛の行方を占える」と教えられ、見合いのときは必ず緑茶を注文するのだった。この日出会った男性チン・ミンリャン(ジァン・ウェン)は、なかなか心を開かない彼女に心惹かれていく・・・。

詩情に溢れたロマンティックなストーリーと、2人の恋の行方を象徴するような映像と音楽の揺らめきが、なんとも心地よく感じられます。まさに男女の世界を一杯の緑茶にたとえた、美麗な作品です。日本の最近の作品と比べるなら、「ゆれる」「空中庭園」でしょうか。どちらも心地よくはありませんが、象徴的なカメラワークが思い出されます。

見合いを重ねる地味な大学院生…と言ってもヴィッキー・チャオのスーツ姿はいうまでもなくキュート。彼女は一人二役をこなし、奔放で魅惑的な女性ランランも演じますが、本当にきれいな女性は地味な格好も似合うものです。メガネをかけ、キッとした目つきを見せるかと思えば、華が咲くような笑顔も見せる。あー美人だなあ、とうっとりしていたのです。多分日本人受けする顔(というかツンデレ系…言ってもうた)なのでしょう。

対する男性ミンリャンを演じるジァン・ウェンは「鬼が来た!」で活躍した方。ここでなぜ若いイケメンではなく、こんなオッサンなのか。下手すりゃ若い娘をストーキングするオヤジじゃないか。と文句を言いたくもなりますが、この人は上手い。ウーファンとランランの間を行き来する、フェロモン放出系の恋する男を演じて違和感がありません。

という風に、本作は役者も含めた作品全体の“たゆたう美しさ”を味わうための作品ではないでしょうか。
しかし、内容はボーッとしていると「わけわからん…」と呟きかねません。よく観ておきましょう。例えばこの作品、クライマックスの部分で突然終わります。つまり、ハリウッドの恋愛ものみたいにハッピーエンドまで映すのではなく、男女の揺れる関係をえがくのが目的なのです。観る側は、余韻を残されて何だかいい気分になって帰る、それだけで十分ではないですか。

また、ウーファンとランランは、実は二重人格の一人の人間だと設定があります。するとミンリャンの行為は別に浮気男のそれではなく、一人の女性を深く知るためのステップ―しかもそれは無意識の―だということになるのです。実際ミンリャンも、ランランを何度も「ウーファン?」と言い間違える(=重ね合わせる)し。
それに、そうでなきゃわざわざヴィッキー・チャオが二人一役をする必要もないじゃないか。

前作の「ウォ・アイ・ニー」も男女の恋愛・結婚観を繊細に描いたものとなっています。チャン・ユアン監督の、独特の雰囲気を持ったロマンチシズムに酔ってみるのも、なかなか良いものですよ。
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by murkhasya-garva | 2006-09-25 17:51 | 映画

全身と小指

「全身と小指」(2005)
b0068787_22364980.jpgとうとうこのジャンルに手をかけ始めたか…というのが第一印象。しかし、近親相姦ものも、ここまでキッツイのは中々例がないだろう。最近は「くりいむレモン」、今後は「僕は妹に恋をする」で注目のジャンルではありますが… 「奇妙なサーカス」以来の衝撃。
シネ・ヌーヴォXで9月22日に鑑賞。


兄妹である純(池内博之)と久美(福田明子)は、ある冬、肉体関係を持った。それから7年、純はその過去を封印するかのように、記憶喪失を装って生活していた。しかし妹の久美は純への想いを捨てきれぬまま、結婚を間近に控えていた・・・

近親姦という、いびつで、きわめて美しい幻想。
社会の隙間を夜行魚のように浮遊し、遠くからお互いを想い合う2人。周囲の人々も、兄妹のタブーを覆い隠すかのように、どこか病んでいる人たちばかりです。兄の純も記憶喪失を装っているとはいえ、突然起こす奇妙な行動は‘病んでいる’という印象以上に、どこか幻想を生きているようにも感じられます。
と同時に、恵俊彰が演じる武田のようにステレオタイプな人物設定や、過去(=幻想)と現実の区別がつきにくいシーンなどは、さらにフィクションの匂いを濃厚に感じさせます。

倫理的なタブーである近親姦を扱う以上、「これは現実ではない」ということを示す必要があるのか、作品全体にいまひとつ明確な現実味がないのです。「ありえない」というより、「少なくとも普通ではない」という感じです。ここにリアル(常識)とフィクション(タブー)を際どいポイントで分けた、監督のシビアさを見るべきなのでしょうか。

その一方で、片岡礼子や赤堀雅秋をはじめとした脇役の演技は、作品の世界観をしっかりと支えています。リョウ(赤堀)は久美にふさわしい(?) 男として、見ていて怖くなるほどの社会不適合者ぶりを見せてくれます。姉の美由紀(片岡)はただ一人「普通の人」なのですが、繰り返される兄妹の喘ぎ声に、常識を壊されたのでしょうか。「本気なら、間違ってもいいんだよ」という純への言葉が、まともに聞こえません。諦めと混乱、いずれからなのか・・・

また美由紀のアドバイスやリョウの断罪は、判断する側/される側という優劣の構図を作り、兄妹の愛の異常さを、浮き彫りにもしてしまいます。一気に加熱した2人の問題。そこからはさらに、「恋愛」そのもののカタチがあぶりだされるのです。まばゆい光と純の絶叫と共に浮き上がる、奇跡的に美しい純粋な愛の核・・・
ラストは恐ろしく、そしてたまらなく切ないものとなっています。

「女は全身で恋をする。男は小指で恋をする。
 だから、私は生まれ変わり、あなたはいつまでも小指が痛い」

何という美しい言葉か。シューマンの「子供の情景」と同じく、劇中で不似合いなほどにはまります。

観終わった後に、じわじわと衝撃の第二波がやってきます。興味本位で観にいったぼくも、あまりにショックが大きかったのか、丸一日頭の中を映像が駆け巡っていました。
必見、と言うしかありません。
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by murkhasya-garva | 2006-09-24 22:38 | 映画

ルート225

「ルート225」(2005)
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芥川賞受賞者、藤野千夜の原作を映画化。京都みなみ会館で今日まで上映。こういういい作品がなかなか出回らないのは本当に残念です。配給会社が大きいからって、いい作品ができるとは限らんと誰もが知っているはずなのに・・・前回に続いてグチばかりです。


中学2年生のエリ子(多部未華子)は、両親と弟のダイゴ(岩田力)との4人でごく普通に暮らしている。ある日、帰りが遅いダイゴを探しに行ったエリ子は、隣町の公園で弟を見つける。シャツに落書きをされて帰れなかったダイゴを説得し、帰ろうとしたが、なんだか微妙に風景が違うような・・・?!

ゆるくておかしく、ちょっと切実なストーリー。
注目すべきは、ごく普通の家庭の中学生の演じる、多部未華子と岩田力の会話や動き、掛け合い。とても軽妙で息が合っていて、さりげないやり取りがとても自然に演じられているのです。出演する役者の子達は、いわゆる美少年美少女といったたぐいではないんだけど、そのどこにでもいそうな、しかし確かな存在感にとても好感が持てます。多部未華子の、意外に(!)透き通ったやわらかい声もいいですね。

クリームシチューに牛乳をドバドバ入れるお母さんをこっそり見て、「ありえないありえない」と呟いたり、ダイゴのシャツに思いきり「ダイオキシン8倍!」と油性で書かれていたり、家の柵から顔をのぞかせている犬を微妙に避けていったりと、いちいち芸が細かい。ニュアンスの妙、とも言う演技が世界観を支えています。

14歳から15歳に変わる、それこそ微妙に周りの世界が変化する時期を、本作は寓話的に描きます。国道225号線を越えると、何かが変わっていた…つまり、ルート225=15という時期を意識せずに越えてしまったわけです。何か身の回りのことがビミョーに変わっている、それは確かに本人にも分かる。このビミョーな変化とは、言うまでもなく、エリ子の感性の変化です。それに伴って、BGMもそのビミョーな違和感やおかしみを見事に、ゆるやかに表現しています。

姉弟にとって一番大きかったのは、家から両親の姿が見えなくなったこと。いつまでも会えなくて寂しくて、泣いてしまったりもするけど、2人は案外したたかにやっていきます。順応性の高さというのか、彼らにとって、どちらが本当の現実なのでしょうか。実は今まで気付いてなかったことが現実になっただけなのかもしれません。

「2人でこの世界に来ちゃったってことは絶対に何か意味があるんだよ」とダイゴは言います。姉の感性の変化にまきこまれてしまった弟も、実際は姉と同じことを感じていたのかもしれません。両親からの緩やかな自立、そのみずみずしい強さを本作は存分に感じさせてくれます。
高校生くらいの子達に観て欲しい作品です。中学生では少し早いかな。
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by murkhasya-garva | 2006-09-22 15:40 | 映画

機械じかけの小児病棟

「機械じかけの小児病棟」(2005)
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大阪はホクテンザにて鑑賞。モタモタしていたら受付のお兄さんに案内された…が、端に一人座っているだけで、他は誰もいない。間違えたかと思い、確認すると「そこでいいですよ~」とのこと。客少なすぎだろ。仮にも国際的な評価を受けた作品、なのに。。。


イギリス、ワイト島のマーシー・フォールズ小児病院は、老朽化のため閉鎖が決まり、子どもたちが移送されることになった。その病院に派遣されてきた看護婦、エイミーは、院内で発生する異常な出来事に不審を抱く。彼女は病院の忌まわしい過去を調べ始めたが・・・。

洋モノのホラー、といえば、モンスターがグワーッと出てきて血しぶきドバーのアギャーで怪物め覚悟しろ、とザクッとやってズーンと終り、みたいなものを想像してしまいます。しかし今回は観れば観るほど味の出てくるゴシック・ホラーとも言うべき作品。無駄な演出がなく、感覚に訴えてくる不吉な音響、不安を掻き立てる視線がドキドキさせられる。しかもストーリーもテンポ良く着実に進むので、世界観にどっぷり浸かることができ、怖い怖くないとヤンヤン言わんですむ、まさに上質な作品なのです。

古びた病院、閉鎖された二階の病棟、シャーロットという名の幽霊。悲鳴にも似た奇怪な音、看護婦は怯えた目で中空を見つめ、少年少女の骨がボキボキ折られる…そんな不気味な中で「何か出る!」という不安感をあおるシーンが連発するのです。その度にドキドキします。いたるところで散りばめられるこのドキドキ感は、舞台となる小児病院全体を奇怪な存在として映し出します。

そう、大きな建造物を舞台のホラー、というと「ゴシカ」「ゴーストシップ」「蝋人形の館」を手がけたダークキャッスルを思い出しますが、これらは人間vs.幽霊とか、人間の欲望、狂気といったものをモロに扱うものばかり。本作は、幽霊は人間が立ち向かいようのないもの、むしろ共存すべきものとして扱っている点で、多くの洋画ホラーと一線を画しています。むしろ日本のホラーに似ているでしょう。

その「死者への理解」ともいうべき姿勢は、作品全体に一貫するテーマとして用いられます。登場人物たちもシャーロットの存在を知り、理解しようとします。恐ろしくとも、それが何であるかを直視することが重要だというのでしょう。実際に、耳を塞いでデスメタル(“擬似的な死”?) に夢中になるスタッフはエライ目に遭うし…。死者とは、いつも我々のそばによりそっている…そんなメッセージは、スタッフロールの冒頭の「愛するマデリーンへ捧ぐ」からも明らかです。

最近のホラーに珍しく、恋愛やバトル、スプラッタといったお安いネタに寄ることなく、一本太いテーマを通して作り上げられた作品です。ストーリーも、ノリに頼らず堅すぎるほどに着実で、展開ごとに胸のつかえが取れるような思いがします。スパニッシュホラー、もといジャウマ・バラゲロ監督、侮るなかれ。
い~映画ですよ。
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by murkhasya-garva | 2006-09-22 02:31 | 映画