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by murkhasya-garva
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花よりもなほ

「花よりもなほ」(2006)
b0068787_1892698.jpg考えてみれば、メジャー作品の感想をほとんど書いていないことに気付く。いやさね、多少は観ているんですよ。でもいざ書く段階になったら、インパクトあったし後回しでも覚えてるだろう、とか思っていてそのままお蔵入り、という最悪のパターン(+書いても悪文)になるわけです。ほんと、集中力があってもう少し時間を要領よく使えたら…とよく思います。賢い人がうらやましい。


さて今回観たのは、「誰も知らない」で有名になった是枝浩和監督の作品です。
第5代将軍徳川綱吉公の時代、江戸の貧乏長屋で父親の仇を探す侍が住んでいた。ちょうどそこには、吉良討ち入りの機をうかがって今か今かと待つ赤穂浪士も身を潜めている。しかし貧乏長屋の住人はそんなこともお構いなし、毎日気楽に過ごしていたが…

以前見た時代劇ものでは、「るにん」が群像劇として人々の生き様を描き出しました。「花よりもなほ」も、ところどころで脇役に脚光が当たり、人間ドラマが展開される点で群像劇といえます。今回は、宗左衛門の仇討ちを中心に、周りの人々の思いが程よく絡み合います。

しかし、なぜ現代に時代劇を作ろうとするのか。それは人気作品の劇場版という形もありえるのですが、そこに何らかの意図、メッセージを込めていることがよくあります。過去の世界を舞台にして、現代の情勢や思想が戯画的に表されるのです。また、特に江戸時代は現代の情勢とよく似ていたとも言われ、よく用いられるようです。今回は「仇討ち」という、太平の世にわざわざ生死をかける行為を行うことの意味を、問いかけています。しかもそこで比較されるのは赤穂浪士。毎年テレビで流される美談が、引き合いに出されるのです。

是枝監督は前回の「誰も知らない」では、見放された子どもたちが強く生きようとする姿を描きました。今回も「生きる」ことに焦点を当てて作品を展開します。
―「義」という一点において仇討ちは正当化されるが、たった一つの命をなげうってまでして行うものなのか?死して花を残すより、生きて実をなすほうがよくないか?― 宗左衛門たちがどのような姿であろうとも生きようとするほどに、「それでも生きる」ことの大切さが浮き上がってくるのです。

そして彼の周りでは、長屋の住人たちが人とのつながり、生きる執念を様々な形で演じます。そこには曲がりなりにも生きることの肯定的な視線があります。時には笑ってしまうほどの図々しい前向きさは、生きることのよさや大切さを、観る側の心に沁みこませていきます。

長屋の住人を演じたのは原田芳雄や香川照之など味のあるベテラン俳優、そして千原靖史や上島龍平などコミカルなキャラの芸人など。それぞれの個性が光る役柄がとても印象的でした。
観終わった後は、強張った気持ちもいつの間にかほぐれているような、温かい作品です。少し長いですがぜひオススメ。
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by murkhasya-garva | 2006-06-30 18:12 | 映画
「不思議惑星キン・ザ・ザ」(1986)
b0068787_175060.jpg「惑星★Night」の4本目のこの作品、朝の4時半ごろから始まったというのに、2人の男の「クー!」に一発で目が覚めてしまいました。シュールで強烈なインパクトを持ったこのポーズは、20年近く経った今でも全く色褪せることがありません。
日本では1989年に公開されて以来、SFファンはもとより一般の人まで巻き込んで大賑わいだったそうです。

妻にマカロニを頼まれたマシコフが街へ行くと、1人の青年に声をかけられる。「自分を宇宙人だと言っている男がそこにいるんだけど…」。裸足で震えている男が持っていた、「空間移動装置」なるもののボタンを押すと、ウラジーミルは青年と見知らぬ砂漠の真ん中に立っていた・・・

3本目の「ファンタスティック・プラネット」が、悪夢に近い想像の世界を描いたのに対し、この「不思議惑星キン・ザ・ザ」は、パラレルワールドのような世界を作り上げています。このプリュク星では階級主義や人種差別が根強く残り、当然ながら主人公も巻き込まれることに。

どうやらステテコの着用が高い位を表しているようで、「黄色いステテコ様」「赤いステテコ様」には2回「クー」をしなければいけないのです。それにパッツ人はチャトル人の前でツォーク(鈴のついた鼻輪)をつけなければいけないし、演奏するときにはオリの中に入らなければならない。・・・さっぱり訳が分からん。
訳が分からない規則をまじめに守れば守るほど、こっけいに映ります。笑えます。

しかし、このシュールな設定の中に社会風刺が含まれていることは言うまでもありません。主人公たちが母国の習慣とプリュク星の習慣を混同し、プリュク星で出会った2人の男を懐かしむのは、場所こそ違えど「同じ」国であったからです。キン・ザ・ザ星雲での情勢は、地球のそれと鏡合わせの関係にあるのです。

グルジア出身のゲオルギー・ダネリヤは強烈な風刺画を仕立て上げたようですが、さすがにここまでやれば政治情勢に聡い批評家たちから不評を買うのは仕方のないことかもしれません。しかし時を経ると思想背景も段々と忘れられ、若い年代層にもナンセンス、シュールの類として受け入れられるのでしょう。
まあそんなことを抜きにしても、十分笑って楽しめる作品だと思います。
個人的には、今回のオールナイトで一番のお気に入りです。
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by murkhasya-garva | 2006-06-30 01:13 | 映画
「ファンタスティック・プラネット」(1973)
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これこそ知る人ぞ知るカルト作品じゃないだろうか。なんとも気味の悪い宇宙人、そして虫サイズの支配される人間たち。たとえ内容を頭で理解したとしても、この感覚的にこびりつくような粘着質の映像はトラウマになる。この映画の監督であるルネ・ラルー、作画を担当したローラン・トポール、すごいもの作ってくれたもんだ。
1973年にカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞。





惑星イガムでは、巨人のドラーク族に支配、というか虫けら扱いされる人間たち。人間は基本的にサルであり、オモチャであり、目障りな虫でしかない。青い肌に真っ赤な目玉、瞑想を生活の大半に費やすドラーク族。母親を失った少年、テールはドラーク族の娘に拾われ、育てられる…

今まで観たことのないアニメとして、かなり新鮮でした。映像のインパクトの強さは最近の商業ベースにのる作品にはないものです。トポールの独特の絵がセルではなく、切り絵で動きます。そのため、思ったよりはなめらかなだけど、どこか動きがぎこちない。表情に乏しく、困った表情が張り付いた人間の顔はまるで中世の宗教画を思わせ、気味悪い妖怪のような生物は、ヒエロニムス・ボス(オランダの画家。1450~1516)の描く怪物に似ています。

イメージとしては、どこか遠くの星、というより太古の地球といったほうがしっくり来ます。先史時代の語られない人間の歴史、といった感じです。となると、やはりテーマも人間の「原罪」に焦点が当たっているということでしょうか。深読みすると示唆に富む場面が多いですね。

とはいえ、人間を取り巻くグロテスクな生物のリアルな生態、そして絶望的に敵意に満ちた砂漠…まるで幼い頃に見た悪い夢のようです。トークショーに来たミルクマン斉藤氏や栗田監督も「ないわ~」と言っていましたが、確かにこんなのってないよ。それでも個人的には、こういうの大好きなんですよねぇ・・・。
何年後かにふと思い出して、また観たくなるような作品でした。
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by murkhasya-garva | 2006-06-28 09:56 | 映画

<惑星★Night>緑玉紳士

「緑玉紳士」(2004)
b0068787_20122023.jpg今回のオールナイト「惑星★Night」、第2作目は京都発のパペットアニメーションである「緑玉紳士」(りょくたましんし)。栗田安朗監督は京都精華大出身。以前京都シネマで上映していたのですが見逃していました。そういえば京都精華大は京都シネマで学生の上映会を催していたような…


上映後には栗田監督とミルクマン斉藤氏がトークショーがありました。待合のスペースに座っていたパジャマスタイルの兄ちゃんが監督だとはつゆ知らず、ミルクマン斉藤氏は相変わらず目の覚めるようなピンクのスーツで登場。

パペットアニメーション自体あまり観る機会がないので、今回はかなり新鮮な体験でした。「ウォレス&グルミット」がライバルの栗田監督、言うだけあって結構な面白さです。ジャズが響く小洒落た夜の街に、カラフルでコミカルなパペットが動き回るのは見ていて楽しくなります。言葉も「ウィー」とか「アー」しか言わない。
この世の裏側の異世界へ迷い込む魅力が詰まったファンタジーです。年齢を問わず、安心して観られる良い作品ではないでしょうか。

それに公式サイトには緑玉紳士の世界観が描かれています。緑玉紳士の設定が面白い。あれ、マメじゃなくて鳥なんですね!って分かるわけね~。名前がグリーンピースなのに、鳥だと気付くわけがない。設定が色々とありますが、公式サイトを開けてください。作品をより一層楽しめると思います。

パペットには実写やCGにはない魅力があるようです。実写よりもコミカルかつ寓話的で、CGほど無機質な感じがなく、むしろ手作りの温かみや親しみを感じます。またアニメとは違って立体感があり、高い技術をもった作品ほどリアリティを増し、観ることに抵抗が少なくなってくるのです。なるほどアナクロな作品の方が温かみがあるとはいいますが、まだまだパペットは試される余地がありそうです。従来の技法と最新の技術が上手くマッチした場合、また新しい感覚を与えてくれることだと思います。
「ベルヴィル・ランデブー」でも活用されたCGも、次回作では使ってほしいものです。

ただこの作品、上映時間が48分。DVD化されるんだろうか。そして第2作はいつ完成するんだろうか…。
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by murkhasya-garva | 2006-06-27 20:18 | 映画
「散歩する惑星」(2000)
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京都みなみ会館にて6月24日に催されたオールナイト「惑星★Night」に行ってきました。今回は普通の作品とは一風変わったカルト臭のするものばかり。こういう場でなきゃなかなか見ないような作品ばかりでした。
1本目はスウェーデン発、「散歩する惑星」。邦題はウルトラセブンの作品タイトルから付けたとか…。原題は「二階からの歌」(??)。2000年カンヌ国際映画祭で審査員特別賞受賞。





1本目からかなり不思議な作品です。CGは不使用、カメラは各シーンでアングルを固定。徹底したローテクによって「散歩する惑星」の住人をおそう不条理を見つめ続けたとき、その世界観は、かなりシュールで、こっけいで、温かくて、時にシビアなものになります。そこにリコーダーのような音でクラシックなメロディが流される、この作品独自の寓話っぽさが匂いたちます。
なぜか登場人物みんなの顔が白塗りだったり、周りの人々が合唱していたり、ものすごい人数を動員しているように見せたり…。一体住人たちはどこへ行こうとしているのか、かなり気になる。

懸命に生きる人々をめぐる不条理な出来事、この「なーんかうまくいかない」感とわけの分からない状況に観る側もいつの間にか引きずりこんでしまいますが、一方では数々の符合と象徴に満ちた側面も持っています。たとえば住人は何かに憑かれたかのように一斉に同じ方向へ殺到するのですが、世紀末的な状況においてのこの行動は、ヒステリックにさえ感じます。「ビルが動いた」と議会がパニックになるシーンは、次の年に起きる911事件を思わせます。また少女をいけにえにする場面なんて、人々の時代の逆行そのものであり、ある種のパニックとも取れます。

そして周囲の迷走に加わらず、病んでしまった人も現れます。実は彼らこそが、この世界に足りない精神的な価値を大切にする人なのでしょう。大勢の盲目的でドグマティックな考えに対して、冷静に自分自身の視点をもつということ。そしてこれが新しい世界を開くカギのようです。盲目的で、しかし必死な人々はそのカギにうすうす気付いているのかもしれません。しかしどうしようもなく追い詰められなければ、選択することすらできません。

現代を生きる人々に、行き詰まった感を打ち破る視点を与えてくれる作品なのかも。一見、壮大で間の抜けた寓話のように見せていますが、温かな視線でこの困った世界を見つめ、一方で鋭い切り口を見せるという点で、底力を感じさせます。ぱっと見では訳の分からないシュールなところが好き。
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by murkhasya-garva | 2006-06-26 07:40 | 映画

ファザー、サン

「ファザー、サン」(2003)b0068787_9344783.jpg
去る6月18日に大阪のシネ・ヌーヴォにて「バッシング」と合わせで鑑賞。特集で「ソクーロフ リスペクト」を催していたのに結局1つも観にいけませんでした。
本作は2003年カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞など他多く受賞し、各地の映画祭では「ソクーロフの最高傑作」と絶賛されたそうです。

父と子の関係を濃密に描いた作品。母の姿は一度も出てこず、その代わりに父子の姿が母子、兄弟、果てには恋人のような関係にまで変化していきます。男性特有の肉体的な強靭さと、きわめて女性的な繊細さが同居し、お互いに愛を確認するというある種独特な空気があるのです。そこには性的な描写こそありませんが、2人の光景はとても肉感的であり、かなりエロティックです。
実際に隣の家の女性は、2人の仲の良さを見て「父子は兄弟じゃないのよ」とは言いますが、それまでのカラミを見ていると、じゃあ恋人同士?と聞きたくなるほどの親しささえ感じます。

息子は父親に対して、愛を試すかのように挑発的な態度を取るようになります。友人とあからさまに仲良くして見せるなど、容易に「父子」を「男女」と読み替えられそうなシーンがよく出ます。でも2人の関係はそう単純なものではない。ちょうど互いに子離れ、親離れをする時期に起こる、父子と恋人のはざまを揺れ動くような微妙な心理状態が現れているのだと思います。

母親不在、という状況はその関係をより純粋にするために設定したものでしょう。息子の「母さんはどこ?」という問いに父が答えないのは、“母は存在しない”という意思表示であると同時に、父親がまた「母親」でもあること、さらには父親の持つ母性愛を明らかにするのに役立っているのです。

また、町と父を比べるシーンでは、「父と子」の違いが明らかにされます。町について語るとき、それは同時に父を語ることであり、町の持つイメージは恐らく父にも当てはまるのでしょう。

暗喩に満ちたストーリーだからこそ引き立つ幻想的な映像。現実なのに、2人の姿は時々歪み、ぼやけて映ります。一体本当に現実なのか、もしかして初めから夢を見せられているのか。父子のある種異常なまでの関係は、私たちの意識下に滑り込むかのように形を変えながら目の前に現れるのです。

よくもまあここまで緻密に作りこんだものだ…と後になって感心するような作品です。もちろんその美しく、刺激的な映像も見ごたえがあります。ぜひ観てみて下さい。
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by murkhasya-garva | 2006-06-23 09:36 | 映画

乱れる

「乱れる」(1964)
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去る6月13日に「浮雲」と合わせて、同志社は寒梅館内ハーディーホールにて鑑賞。今回も高峰秀子の熱演が素晴らしい。日の都合でなかなか成瀬巳喜男特集を観にいけないのが残念です。



スーパーマーケットの進出により、近くの商店街は経営が苦しくなっていた。礼子(高峰秀子)の店も例外ではない。彼女は18年前に夫を戦争で亡くして以来、ずっとこの酒屋を切り盛りしてきた。しかし、一方では夫の姉妹が再婚を勧め、義弟(加山雄三)は仕事をやめてフーテン生活を続け…

「成瀬後期の代表傑作」と称されるこの作品、素人目にも思わず身を乗り出してしまうような描写が随所に現れています。女性がメインキャラの大半を占め、それぞれの素晴らしい演出の中でとりわけ輝いているのが主人公の礼子。前半のほのぼのとしたホームドラマの中にさえ、表情や仕草、そして間という形をとって細やかな心情描写が描かれているのです。

気ままな生活を送る義弟の幸司を心配し、世話をする礼子。それは「浮雲」で惚れた男を追い続ける女としての顔ではなく、身内を親身になって案じる姉の顔です。控えめながらもしっかりと家を支える姿が、短いシーンからでもはっきりとうかがわれます。
的確な台詞と雄弁な演出。ただ、戸のそばにそっと立つ――。そこらの映画だったら、たまらず何か台詞で埋めてしまいそうな場面。でもたったそれだけで彼女が何を言おうとするか分かるし、何を思っているのかも伝わるのです。別に言い過ぎでも妄想でもなく、本当にそう感じられます。

後半では、幸司に想いを伝えられ、千々に思い乱れる彼女の姿が映し出されます。今まで忘れていた女としての感情に戸惑い、普段と同じ態度を取ることができず思い悩む礼子。彼女の家を出るという決断、そして彼女の帰途に幸司がついてくることで物語は混迷を極めます。ここまでだったら、さんざん他のドラマで紋切り型のハッピーエンドを見ているのですが…。ここからが成瀬作品の醍醐味なのだと思います。

列車の中で視線を交しながら、徐々に近づいてゆく礼子と幸司。まるで心の距離をも近づけようとするかのようで、彼女のふとした表情にも情感が溢れています。
しかし、注目すべきはラストです。公開当時にも話題となったという結末には、驚きすぎて鳥肌が立ちました。考えてみれば、これは、成瀬監督がテーマに基づいて煮詰めた結果なのでしょう。まさにタイトルどおりのストーリー、登場人物にも容赦のないラスト。そして放り出された観客は、この作品は一体なんだったのか、というところまで立ち返って問いかねません。

しかし、ぜひとも観ておきたい作品です。この作品を下敷きに多くの映像作品が試みられたと思うのですが、類似作品で少なくともこれを超えるものに出会ったことがありません。恋愛映画としても素晴らしい出来。最近の話題作なんて目じゃない。
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by murkhasya-garva | 2006-06-21 22:48 | 映画

バッシング

「バッシング」(2006)
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2004年に起きたイラクでの日本人人質事件を題材に作られた作品。その内容から日本での公開が見送られていたが、第6回東京フィルメックスでグランプリを受賞したのをきっかけに公開が決定した。日本社会を痛烈に批判し、大きな問題を投げかける作品。


今回大阪まで足を伸ばし、シネ・ヌーヴォで初鑑賞。入会後1本目の作品となった記念的作品です。雰囲気は東京のイメージフォーラムに似ていて、内装がシンプルでシック。入り口に映画本ほか多数のグッズが並べられていて、映画好きを触発します。劇場内も「泡」をイメージしたようなデザインで、まさに夢うつつ、という感じ。

戦時下の中東でボランティア活動中、武装グループに人質に取られた有子。無事に解放されたものの国内では“自己責任”を問われ、激しいバッシングを受けていた。なぜ彼女がボランティアをする必要があるのか、日本中に迷惑をかけて何とも思わないのか、自分の身くらい責任を持って管理できないのか・・・

実話をもとにした作品。その心情描写はひたすら重く、押しつぶされるような感覚に陥ります。生身の人間が受ける数々の非難。彼女は英雄でもなく、むしろ国内で国辱扱いすらされた、ただの欠点だらけの人間。何の美化もなく、ただ苦悩する彼女の姿が淡々と描かれます。そんな彼女が何を思っていたのか、何を選択したのか。

恐ろしいほど生きることに不器用で、しかし中東の再訪に望みをつなぎ、必死に生きる有子。彼女の周りの、心ない者の純粋な悪意、無自覚な者の刺さるような言葉、良く思わない者の明らかな拒絶。カメラの視点はまるでドキュメンタリーを取るそれであり、突き刺さるように迫ってきます。

自分の部屋から光を浴び、海を臨む彼女の目は、濁ったガラス玉のように深い哀しみを秘め、真っ直ぐに、しかしうつろに遠くを見つめます。彼女が海岸に立つ姿も何度も映されますが、「ここではない、あの場所」を求める者の孤絶感、遊離感が、ひしひしと、伝わってきます。

時折(劇場内のエアコンの音か)、空ろな音が聞こえてきます。それは、有子の心の空洞の音のようであり、また、別の世界とのつながりを求める声であり、さらには、遠くの国とつながるあの海の音のようでもあります。

苦悩に何度も何度も歪む口元。たまに見せる、深い傷のような笑顔。矛盾だらけの彼女の言葉。決して、主人公に優しくはない日本。この作品を通じて自分たちが持っていた意識、そして「日本」という国に住む者としての性質を考え直させる出来になっています。観るべし。
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by murkhasya-garva | 2006-06-19 08:53 | 映画

初恋

「初恋」(2006)
b0068787_131038.jpg最近、ATG Film Exhibitionで70年代前後の空気を吸い込んでしまい、病み付きになってしまった感があります。あの頃の、何かを必死に求めていたような、荒々しく、しかし繊細な雰囲気は、観ていると懐かしい気分を通り越して、奥底から熱いものがこみ上げてきます。


3億円事件もその頃―1968年12月10日に起こりました。

初恋と戦後日本の大事件。それだけでこの話は何となく想像がつきますが、今回はそれ以上にショックを受けました。みすず役の宮﨑あおいが、すごいインパクトがある。行き場のない環境で、心の底に張り詰めたものを抱えて生きる少女。彼女は「NANA」で一躍有名になったけど、やっぱり彼女のハマリ役はこういうのですよね。そして混乱していた60、70年代のあの緊張感。ぴったりじゃないですか。

当時の環境、少なくともネオンはCGなんでしょうけど、薄暗がりの汚れ具合や、ビラの残り具合などけっこう丁寧に作りこんであって、雰囲気が出ています。他のキャラも、会話や視線からも最近の若者にないような距離感が感じられます。吐息がかかるようなところで、じっと目を見つめながら話すようなある種の暑苦しさがあるんですね。そしてどことなく、しかし確実に誰もが感じている社会の閉塞感や苛立ち。たまり場のバー、“B”の空気がそんな感じです。

抵抗しようのない運命に流され、日々を確実に生きる若者の姿が、有無を言わせないテンポで描写されます。後半で出てくる計画実行の光景は必見です。とめどなく続く、緊迫した時間が、時計の秒針の音となって重くのしかかってきます。苛立ち、恐怖、あせり、混乱…これは単なる盗みではなく、彼らにとって国家への挑戦であり、また自分の存在理由を確認する行為なのです。

みすずは、「私は『府中三億円強奪事件』の犯人だと思う」と語ります。その言葉と共に現れる当時の写真、そして、ヘルメットの下から現れる長い髪の人物の映像。この瞬間、虚構が現実に忍び込むのです。
虚構が現実であるかのように錯覚する瞬間、それはエピローグにも現れます。それは“B”のグループの消息。白黒の写真と彼らのその後を載せることで、にわかに現実の匂いが立ち上るのです。そこで起こる激しい感情移入。あのやりきれない思いを抱えた若者が本当にいたのかと思うと、その胸苦しさはにわかに、涙を誘います。ほぼ同世代であるからこそ、そう感じるのかもしれません。

大胆な推測と内容。そして等身大の若者の痛みが描かれているからこそ、この作品に強い愛着を覚えてしまうのかもしれません。これは特に若い世代に観てほしい作品です。宮﨑あおいの熱演にも注目。今までの出演作の中で一、二番の出来かもしれない。
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by murkhasya-garva | 2006-06-16 01:36 | 映画

浮雲

「浮雲」(1955)
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同志社の寒梅館ハーディーホールにて、京都みなみ会館共催の「成瀬巳喜男の世界」が催されました。6月13日には「浮雲」「乱れる」を上映。
また、16日には「君と別れて」「夜ごとの夢」が上映されるそうです。16日(金)の2作品は、無声映画でピアノ伴奏付き。みなみ会館では上映されません。




毎年、この時期に「成瀬巳喜男の世界」で上映されるのですが、観たのは今回が初めて。チラシにも「鋭い女性描写が他の追随を許さない監督」と評されています。若松孝二は「日本に稀有なフェミニズムの映像作家」(!)と四方田犬彦氏に評されていましたが、さて今回はどうなんでしょう。

本作品は、戦中戦後の混乱期に、愛欲のままに流されていく男女を見つめたもの。
まず第一に高峰秀子です。彼女が年齢不詳な感じだけど、絡みつくような色気を漂わせているのが何ともいえません。いかにも女性らしい仕草を、嫌味な感じを持たせずに演じています。どうしようもない男に惚れきった美貌の女性、その切なげですがり付くような目つきにクラクラします。そもそも表情がすごく豊かなのです。うまい。本当にうまい。

また、作品の初めから気付かされるのは、撮影される背景です。遠くに映し出される木々や町並み、どのシーンを取っても、登場人物と背景が共に生き生きとした存在感で映し出されます。背景は登場人物の気持ちを象徴していて、しかも背景だけでもそれ以上の美しさを持っているのです。例えば、富岡(森雅之)との出会いをゆき子(高峰秀子)が回想する場所でのシーンは、これだけで完璧な美しさがあります。

人物、そして人物関係の撮り方もすごいですね。実際はかなり艶っぽい話なのに、全然そんな情景を映しません(当たり前)。代わりに、先にも言ったような女優の表情や仕草、そしてそれを匂わせるような雰囲気がすべてを物語ります。情事のシーンも、ただ脱衣所にある2人の服が入ったカゴをじっと映すだけです。もうそれだけで、十分なんです。最高に雰囲気が出ます。

音楽も、作品を引き立てるのに重要な役割を持っています。オープニングのスタッフロールから最初のワンシーンに移るとき、その壮麗な音楽は途切れることなく流されるのですが、観る側も気持ちを途切れさせることなく、違和感を持たずに次に移れるのです。
普通はワンシーンワンシーンで情景が変わると同時に気持ちも切り替わるものです。しかし、この作品に限って言えば、場面転換は必ずしも気持ちの転換ではありません。

ため息が出るほど美しい情景とストーリー。ど素人がぐだぐだと言いましたが、成瀬巳喜男の作品が今まで残っている理由が分かる気がします。
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by murkhasya-garva | 2006-06-14 21:34 | 映画