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by murkhasya-garva
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イントゥ・ザ・ワイルド(2007)

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彼の死ぬ瞬間が頭から離れない。人は死ぬとき、大きく、大きく喉の奥から唸りを立てるように息を吸ってから死ぬらしい。「血と骨」でビートたけし演ずる主人公もまた大きく息を吸って死んだ。伊丹十三の「大往生」でもそうだった。




しかし、本作と「血と骨」は、「大往生」とは違う凄まじさがあった。それは世界を一挙に吸いこもうとするかのような最後のあがきのようでもある。ただ1人で己を貫き通し、誰にも見守られることなく死んでいくというこの凄絶なまでの孤独。独居老人が静かに死ぬようなイメージとはかけ離れている。

クリス・マッカンドレス。彼は裕福な家庭に育ち、優秀な成績で大学を卒業する。しかしある時、家族の元から去り、自分自身をスーパートランプ(超放浪者)と名乗り、ひたすら物質社会から離れて生きようとする。彼の想いはどこにあったのだろうか。単なる厭世主義者とだけで括ることのできない彼自身は、旅先で出会うヒッピーや老人とも真摯に向き合い、語りあっている。

真の自由と幸福・・・どんなものがどこにあると言うのか。周囲の人々は恐らく疑問にもつだろう。私だってそうだ。彼は単なる理想主義者にしか見えない。どれほど人間の営む社会から離れたとしても、彼は全てを捨てられなかったではないか。彼が死んだのも植物事典の誤った記述によってであるし、彼は山奥に捨てられた廃バスの中で暖を取っていた。

彼が行ったことを単なる過ちだったと私も言いたい。しかしこの作品が今なぜ、敢えて映画化されたのかを考えてみたい。それは、ケツの青い理想主義者の末路をせせら笑うものではない。少なくとも、彼の死はあまりに凄絶に描かれていた。彼の放浪には、彼の育った家庭が必ずしも幸福ではなかったという事実が影となって付きまとっている。家庭によって形成されるルーツへの確信、それによって自分もまたその継承者たらんとする人間の本能。それを失った者はどのような行動に出るだろう。

彼は不幸にも優秀すぎた。優秀すぎるが故に徹底的に本質を追い求め、結果として自信を追い詰めることしかできなかった。少しでも彼が愚かで妥協的な人間だったら、埃塵にまみれて生きることを選択したかもしれない。しかし、彼にはそれができなかった。彼は真の自由と幸福を求めて旅立つ。今振り返ってみると、彼の真の自由と幸福とは、「死」そのものではなかったのではないかと思われる。社会的なつながりを断ち切ることは、事実上自分を殺すことにほかならない。いかに彼が生きようとしていたとはいえ、そこまで想像できなかったとは思えない。もし想像できなかったとすれば、彼は理想に燃えた才気走った若者であったということだし、自分の過去という呪縛から逃れられなかった人間だということになる。

極端から学ぶことは多い。彼の思考は受け継がれるべきだ。自分のルーツ、根源をためらうことなく切り開き続ける姿には、私は賛同する。それによって、今まで見えなかった自分の姿が分かるかもしれない。ただ、自分のやったことを問うことができなかった、それだけが彼の過ちであろう。

彼が最後に見上げた空はどうしようもないほどに青かった。彼はそこで何をつかみ取ったのだろうか。答えは、観客にゆだねられている。
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by murkhasya-garva | 2008-11-13 14:15 | 映画