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by murkhasya-garva
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アリゾナ・ドリーム(1992)

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アクセルは、叔父の結婚式の為にアリゾナへやって来た。そこで彼は、夫を射殺した過去を持つ未亡人の家に住み込み、自殺願望癖の娘と恋に落ちる。そして、それぞれの夢を抱いた人々は、自ら破滅の道を辿り始めるが……。









おそらく「アリゾナ・ドリーム」で語られていることの一つは『夢』だ。眠っている時であれ、起きている時であれ、人間がここではないどこかのことを思うそれのことだ。ここでの登場人物すべてが夢を持っている。アクセル(ジョニー・デップ)はアラスカに行くこと、おじのレオ(ジェリー・ルイス)は車を売って月に行くこと、ポール(ヴィンセント・ギャロ)は役者になること、グレース(リリ・テイラー)はカメに生まれ変わること、エレイン(フェイ・ダナウェイ)は空を飛ぶこと。みなそれぞれが自分の身の丈に合わない、大きな夢を持っている。しかし、現実はそれを叶えてくれるほどの可能性をもっていない。それでも、彼らは自分たちには出来る、今にも可能だと信じて疑わない。みな、本気で自分の夢が現実のものだという表情をしている。エレインは夢中になって空を飛ぶ。グレースはアクセルに愛を囁き、雨の中を歩く。

しかしだ。不思議と哀しさは全編を通して感じられない。現実から躁病的に高く高く飛躍しようとする彼らの姿は見ていてぞっとさせられるのに、まるで哀しさなんてとうの昔に忘れてしまったかのようで、なぜかそこには軽快なリズムが流れ、そして深い絶望だけが底流しているのだ。アクセルは何度かこう口にする。「おれはもう大人だよ」と。自分がもう夢を抱けない人間だということを知っているのだ。それでも、必死に何かにすがろうとしている。夢を捨てることすなわち大人になることだと簡単に言うのは容易いが、ここにはそういった人間の成長というテーマでくくることのできない複雑な気分がどうしても残る。たとえば、「ライフ・イズ・ビューティフル」でも似たことが語られているように、監督のクストリッツァ自身が大人になっても何か単純な人間賛歌では終わらせられない複雑さを抱えているからだとも言える。この何とも言い難い気分を底抜けの陽気さで押し隠してしまおうとする態度こそが、ある種の哀歌を奏でていると言えないだろうか。
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by murkhasya-garva | 2008-11-13 01:09 | 映画