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by murkhasya-garva
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悪魔のいけにえ(1974)

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トビー・フーパー監督によって1974年に作成された伝説的ホラー映画。あらすじといえば、“テキサス州に帰郷した5人の男女が、人皮によって創られたマスクを被った大男「レザーフェイス」により殺害されていく様子をとらえた”作品である。あまりにも有名すぎる。

wikiによれば、“殺人鬼であるレザーフェイスの真に迫った精神異常の描写や、外面的な行動のみを捕え、同情を誘うような描写を一切廃したプロット”が数多くのフォロワーを生んだという。



しかし私といえば30年前のホラー作品と完全に舐めくさっていて、いわゆる古典的作品だし、何年か前に観たナイト・オブ・ザ・リビングデッドだったか(冒頭で自動車が川に突っ込むシーンを覚えている。ご存じないだろうか)、モノクロの作品が全然怖くないどころか、これを怖いと思う時代もあったんだなあ…なんてゾンビ特集のオールナイトにて寝ぼけ頭で呑気に考えておったことを思い出し、どれどれその古典的作品のたぐいを見ておこうか位の気分だった。

ところがこの作品、その考えが完全に誤っておったことを嫌というほど痛感させる。
これはとんでもない作品だ。私は当時日記に簡単にこう記した。
「画像や音声の粗さ、無造作に引きちぎったようなラスト。理不尽なほどに現実的なむごさ。誇張がないのに、いや、誇張も無駄もないからこそ、残酷なシーンが最高に引き立てられているのか」
その言葉が私の中ではまだ生きているようだ。何でこんなに怖いのかといったら、だいたいにして何故にこんなに人があっさりと殺されていくのか、というその理不尽さ、唐突さが図抜けているからだろう。

今まで少ないながらに見てきたホラーは、衝撃的に効果音を使い、また「ここを見ろっ!!」とばかりにスプラッタなシーンや狂気に満ち満ちた殺人鬼をアップにして映し出していたものが多かった。小学生のころは本当に「チャイルド・プレイ」(1988)が怖かった。逃げまどってドアの奥に隠れた女性の顔の真横から壁をハサミが貫く。肝が潰れた。実際にそういった手法は視聴者を怖がらせるためのツールであるのだが、やはりツールはツールでしかないということなのだろうか、見慣れた方法は先の展開を読ませたり、そういったシーン自体が時に視聴者を「またか…」と辟易させもする。しかし、そんな手法が広がるような時代より前、恐怖の表現は一つの極致に至っていたのではないか、と思わせる作品があったというわけである。

印象的なシーンを挙げてみよう。まず、カーク(ウィリアム・ヴァイル)だったか、家を見つけて遠慮もなしに入り、奥の部屋に向かおうとするその瞬間、突然レザーフェイス(ガンナー・ハンセン)が現れて彼を真正面から鈍器で殴り付ける。カークは抵抗する暇もなく、崩れ落ちてビクビクと体全体を痙攣させ、もう一発。それから彼を奥に引きずり込んで戸をバシン。その時間たるや数秒である。入口あたりの距離から離れてされており、異形の大男が若い男を打ち殺すのを確認するやいなやその恐怖はピークに達する。何の前触れもなしにそのシーンが映されること…当然の展開のはずなのに、そこには“容赦のない現実への引き戻し”を感じられて仕方がない。つまり、何だかわからないうちに人がとんでもない形で死んだ、ということに対するパニックに近い感覚なのかもしれない。これは怖い。

しかもレザーフェイスが万能の殺人鬼ではなく、一人の人間でしかないと思わせる描写もまたおぞましさ、恐怖をかき立てる。宮台真司氏は、レザーフェイスが侵入者を取り逃がして窓の傍に坐ったときに不安げに舌をピチャピチャさせるそのシーンに注目し、高い評価を与えた。

≪この一瞬のシーンだけ他とトーンが違う。このシーンで、私たちは、コミットメントからディタッチメントに変化する。喜怒哀楽(恐怖!)の直接性から離れ、「〈世界〉の中にこの男が確かにいるのだ」と受け止める。「ああ、そうなのかもしれない」と思うのである。≫
MIYADAI.com Blog『映画『国道20号線』について長い文章を書きました

私は、サリーがチェーンソーを持ったレザーフェイスに延々と追われる場面を挙げよう。若い女性一人になかなか追いつかない愚鈍な男が執念深く女を追い回すということ――何の効果音もなく、サリーの悲鳴とエンジン音が響き続けるチェイスシーンがいわゆる“映画のお約束事”の実現を異常に先送りし、それゆえに予定調和(というものがあるとすれば)の裂け目に先行きの不安定さ、つまりリアリティの余地をにじみださせているように思う。

「恐ろしさ」とは、それに触れる自分自身とそれ自体との仮想された“内的距離”に比例するのだろうか。まるで事実の如く、誇張表現もなく人が人を殺すというシーンを見せつけられたときに、私は震えた。殺人という、まるで隠された事実を垣間見たような感覚に陥るショッキングな作品である。作品にかかわる人物が醸す強烈な世界観という意味では、渡辺文樹監督の「バリゾーゴン」も通じるような気もするが・・・。お手上げものの伝説的作品だった。
二度目のファーストキスを奪われた気分とはまさにこのことだろう。
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by murkhasya-garva | 2008-09-11 03:24 | 映画