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by murkhasya-garva
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Gerry(2002)、あるいはGus Van Sant

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みなみ会館で、流れていた曲が、Arvo Pärtの“Spiegel Im Spiegel”“Für Alina”だった。店の人はその曲が収録されている作品、すなわち『ジェリー』を教えてくれた。Arvo Pärtは私の腐った頭に地下水のように染みてくる。その良しとも悪しとも言わない透明な音楽が使われている映画とは一体何なのか、と思った。



<あらすじ>
“荒野の小道”に入り、彼らはどこかに向かう。ジェリー(マット・デイモン)とジェリー(ケイシー・アフレック)は、初めこそどこかに行こうとしていたのだ。途中で冗談を言い合い、近道を探して、方向を確かめながら、手がかりを探して、歩いていた。それが、状況は少しずつ変化する。彼らは元来た道を戻れなくなっている。もはやあまりに遠く、そしてどこへ来てしまったのかも分らない。獣の足跡を見つけ、水場を探す。/ひたすら歩く。丘の頂上で、ジェリー(ケイシー)は泣き出す。ジェリー(マット)はすでに困憊している。「どこ行くんだ?」「知るかよ。来いよ」ジェリー(ケイシー)の促しに、ジェリー(マット)はついて行く。ここで、2人は確実に道を失い、しかしなぜか歩かざるを得ない状況に陥っている。2人が仲違いしないのが不思議ですらある。/地面に向かい、2人は今まで来た道を確認し、ハイウェイに着く方向を相談する。ひたすら歩き、日は流れ、塩湖を歩く。先に、ジェリー(ケイシー)がうずくまる。ジェリー(マット)は振り返り、彼の元に近づき、共に座る。ジェリー(ケイシー)はジェリー(マット)に残る力で触れようとする。ジェリー(マット)は何事かに反応し、やはり残るわずかな力でジェリー(ケイシー)にのしかかる。ジェリー(ケイシー)は動かなくなる。首を絞めていたのだ。犯罪の匂いすらしない。いずれ死んでいたのだ。ジェリー(マット)は幻聴を聞き、起き上がり、また歩きだす。その先には、ハイウェイが見える。衰弱した彼は走り出す。/車に乗り、外を眺めるジェリー(マット)。横に座るのは少年だ。その遠く、荒野は続いて行く。今まで来た道だったのか、それとも彼らにそもそも道は与えられていなかったのか。

<感想、印象>
一体、何を伝えようとしたのか。風景の美しさ?友情―人間関係の象徴的表現?若者の精神?それとも、観客への視覚的拷問?単なる実験映像?分からないのである。どれも手掛かりがなさそうに思える。何も説明されていないから。2人のジェリーが使う、“道を間違った”というような意味での「ジェリー」とは何なのか、2人はいったい何をしようとしていたのか。結末は何を意味するのか。あらすじは『映画の森てんこ森』というHPに載っているので何とかあらすじの助けになるとはいえ、それでも、作品の全容はつかめないままである。もし、先に紹介したHPで分かった気になったのなら、それは単なる問題のすり替えである。もう一度言うが、手がかりは観客にほとんど与えられていない。

これを、いわゆるホームコメディと思わず比較した。明快すぎる程のストーリーの展開、一定の価値観に基づいた“安心できる”内容。分かりやすさだけが先行し、現実的な不自然さは二の次にされる。愛されるキャラクター、明確なキャラ設定。それらの全てが『ジェリー』にはない。残されたのは、茫漠とした現実に放り出された人間の、道行きだけである。もちろん、それは結末でも目的地のことでもない。

<Gus Van Santについて>
ガス・ヴァン・サントの監督作品はあまり見てはいないが、今まで見てきた作品には共通している点がある。設けられた世界、それ以上のことは登場人物には決して起きない。登場人物の価値観=作品のテーマではない。必ずしも人間が主として映されてはいない。人間はあくまで、その世界の一部に過ぎない。テーマは決して明言されない。他者から求められるのでなく、観る主体が「観取」する、感じ取るためのもののようにさえ感じられる。

これらの特徴ゆえ、ガス・ヴァン・サントの作品は、見ようによっては死ぬほど退屈で意味の分からない、時間の無駄でしかないものとも映る。しかし、徹頭徹尾変わることのない“無表情の世界”が「ある」、ということに改めて目を向けたい。何らかの意図、いや他者と共有しうる領野がなければつくり得ない作品ばかりだ。そこには確かに、核となる何らかのテーマがある。しかし私たち観客はそれを受け取ることができない。すなわち、私たちは隠されたテーマ、茫洋たる映像に対して自分自身の感じた先を言葉にしていくことしかできないし、少なくともそれが彼の作品を理解する唯一の手だてにすら思えてくる。
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by murkhasya-garva | 2008-07-29 03:56 | 映画