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by murkhasya-garva
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ショートバス

「ショートバス」(2006)
b0068787_1412061.jpg日ごろ、気分は日々の小さな出来事の積み重ねによって、出来上がるものだと思っている。それがプラスの方向に向かうならともかく、マイナスの方向に積み重なると、そう、重荷を背負ったラクダがワラ1本乗せるだけで倒れてしまうように、一気に落ち込んでしまう。残念ながら、久々に観た「ショートバス」はぼくにとってそのワラ1本だったようだ。


これは、NYに住む性的マイノリティーたちの愛を描いた物語である。オーガズム未経験を気に病む恋愛セラピスト、現実の人間関係を求める孤独なSM女王、恋人の愛を受け止められないゲイの青年、それぞれの悩みが並行し、時に絡み合いながら語られる。オープニング数分間は彼らの性描写が延々と描かれる。その映像表現はあまりにストレートなために、扇情的ですらなく、むしろそれは、人がセックスを通じて必死に愛を求めようとする姿の、切ないまでの描写となる。

相手に自分の愛を伝えるということ、それは意外に簡単なことではない。相手への気遣いや自身の立場、過去の傷が、いつの間にか自分と人とを隔てる原因となっている。相手に近づきたい―その痛切な思いと、自身が知らずに抱える悩みがせめぎ合い、愛を交わすことの障壁となっている。そんな彼らの悩みに、ぼくはひどく中身をえぐり出されてしまった。特に、鬱病にかかったゲイの青年の描写は凄まじい。考えられないほどセンシティヴで、人の挑発にも寂しく微笑み、しかし相手からの愛のアピールには異常なほどの恐怖を示す。彼の眼は、まるで吸い込まれるように深い悲しみをたたえている。

セックスという生身ゆえの、剥き出しの誠実さ、ともいうべきものがここには描かれている。監督のジョン・キャメロン・ミッチェルは前作「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」(2001)に引き続き、独特な演出で、先を読ませる余地を与えず、物語の内奥へと観る者を引き込んでいく。彼の語るマイノリティー達の姿に、もはや異議を唱える者などいないだろう。
たとえば「戦争反対と愛の部屋」で繰り広げられる何十人もの情愛の光景―それは「ドッグ・デイズ」(2001)の醜悪なセックスクラブや、「ルー・サロメ 善悪の彼岸」(1977)の背徳的な乱交の場面などとはまったく異なる。ある女は、後背位のまま幸福そうな笑みを、スクリーンに映す。目の眩むようなシーンの1つである。

ともかく、このあまりにセンシティヴな世界は、最近色々と思うことのあったぼくにはかなりコタエルものだった。劇場を後にし、自転車に乗るが、足が動かない。仕方なく、タバコを咥えて一息ついた後、やっと帰途に着いたのだった。おれにはあんなことは一生ないだろうな、と自嘲しながら。
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by murkhasya-garva | 2007-10-06 01:46 | 映画