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by murkhasya-garva
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西瓜

「西瓜」(2005)
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上映が始まった瞬間、どこのポルノ映画館に紛れ込んだのかと錯覚しましたが、ここは紛れもない京都の名画座、京都みなみ会館。キャストは「楽日」と変わらず寡黙だけど、この静かなフィルムはやっぱりすさまじく饒舌なのです。



ほぼ無人の通路、西瓜を抱えて歩くナースに目が行くのも束の間、彼女は西瓜を股に挟んでスイカプレイ。真っ赤な果肉はまさに彼女の体の一部。ある人は笑い、またある人はおもむろに足を組み。このコミカルで妙にリアルな情事を皮切りに、ミュージカルシーンと恋人たちの日常とが代わる代わる映されます。

夏の暑い日に偶然再会した二人。女(チェン・シャンチー)は男(リー・カンション)を自宅に呼び、スイカジュースを振舞います。しかし実はスイカジュースが苦手な男は、彼女が見ぬうちにこっそり窓から流してしまいます。
ちなみにスイカは一番初めに、明らかに性的な象徴として使われました。
スイカをむさぼる女と、スイカを拒む男。それなのに二人は、何故かどこまでも仲むつまじいのです。

性的な表現(ポルノ)が用いられながら、その中心に居るのはプラトニックな二人の恋人。このねじれは幻想、つまりミュージカルシーンに強く影響してきます。時折挟まれるミュージカルは、その前のシーンでの登場人物の心情を代弁します。まさに限りある現実を補うかのように、幻想が豊かにスクリーンを彩るのです。その幻想があまりにカラフルなので、現実/幻想は、影/光と立場が逆転してしまっているかのようです。もしかすると幻想とは、現実の原動力なのかもしれない、とも思わされます。

しかし、現実はかたくなに、二人が結ばれることを許しません。代わりに、現実世界には幻想的なシーン、または欲望がところどころに形を変えて滲み出してきます。鍵を掘り出した跡からは水が湧き出し、二人の影法師はカニをむさぼり、彼女はスイカを抱えて妊婦の真似ごとをします。何だか話が進むにつれてオカシナことになっていくのです。が、彼女が男の現在の職を知ってからその欲望は、ただ一つの方向に的を向け始めます。

余談ですが、この幻想/欲望の光景は、なぜ二人を介してとめどなく溢れ出すのでしょうか。あらゆるものが手に入る時代に、人は満足しきることをいまだ覚えません。今欲しいものが手に入れば、次の欲望が生まれる。しかも欲望の対象は、消費されるモノばかり。その中で人は“精神的な受け皿”を見失いそうになるのです。
監督は、その疑問に対して一つの答えを呈示すると同時に、その後のあり方を問うてきます。彼らを「空に浮かぶ二片の雲」に例え、何処へ行くのか、と。

本作はセックスという題材を通じて、人の現実と幻想の密接な関係を色濃く描き出します。考えてみれば、すぐに寝てしまう映画ほどつまらないものはありません。本作のプラトニックな二人は、スイカと言う性的な象徴を間に置きながら、かつてないほどエロティックで、そして(ここが重要)自由な光景を映し出します。不自由で、しかし目いっぱいに自由奔放な映像に、私たちは怯み、笑い、そして気付いたときには思わぬほどの活力をもらっていることでしょう。
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by murkhasya-garva | 2007-05-28 00:40 | 映画