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by murkhasya-garva
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寺山修司&谷川俊太郎 ビデオレター

「寺山修司&谷川俊太郎 ビデオレター」(1982)
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寺山修司と谷川俊太郎という二人の詩人が交わすビデオレター。当時肝硬変を患っていた寺山にとって、この往復書簡が交わされるのは晩年の時期である。言葉と意味への問答が映像美を持って切実に描き出される。

二人の詩人は、人間と言葉とその意味について問い続ける。言葉とは何なのか?人間にとって言葉はどんな意味を持つのか?人間は言葉によって規定されてしまう存在なのか?哲学的な問題ではあるが、二人は映像という手段を見事に活用してみせ、言葉少なながらも雄弁に語り合う。



寺山氏の病んだ肉体、不思議な機械音や女性の悲鳴が添えられたヒイラギの葉、民族画。意味がないように見えて、どことなく意味があるように思わせる。谷川氏はこれを「意味ありげ」と呼ぶ。

映像的なテクニックとは関係を持たないビデオレター。しかしこれは紛れもなく映像詩である。「意味ありげ」な映像は、その都度添えられる各氏のコメントで一層のメッセージ性を強め、技術を超えて不思議な意味性の強度を備える。

人間の存在を言葉によって断片的に規定すると、存在の意味は霧散する。行為によってこそ、人間の存在が成立する、と谷川氏は語る。だが、人間を規定する言葉はアイデンティティとなり、周囲の人々にとって言葉が彼を形作るものにもなるのだ。

突然の寺山氏の死によって、谷川氏のビデオレターは行き場を失う。誰に向けられた訳でもなく、ただ、寺山修司という人間が「在った」ことを、一篇の詩は物語る。谷川氏の寺山氏へ向けられた想い―言葉を使い、言葉を超えてつながりあう想いは、ここで途切れる。

二人が同性愛者であったということは、どこにも書かれていない。しかしこの映像を観ると、二人の言葉を超え、感覚は濃厚に絡み合いを続けている。誤解を恐れず言えば、それはまさに“肉感的”である。
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by murkhasya-garva | 2006-12-03 10:45 | 映画