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by murkhasya-garva
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<第五回京都映画祭>ファーラント

「ファーラント」(2004)
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第五回京都映画祭、10月28日にMOVIX京都にて鑑賞した作品。一般上映はまだ日本では行われていないようです。それにしても観客の少ないこと。大体20人くらいかと思っていたのに、関西在住の方のHPやブログではけっこう掲載されている。なんちゅう空間だったんだ。


妹が交通事故で意識不明に陥っているとの連絡を受け、故郷ブランデンブルグに戻ったカルラ。一度は過去を振り払ってきた彼女は、意識のない妹に寄り添い、語りかける。隣には妹のボーイフレンドの父親アクセルが、長年ぶりに見た昏睡状態の息子の前で所在無さげにたたずむ…

BGMもほとんどなく、本当に淡々と続いていくストーリー。起伏のない、自然音にゆだねた映像の連続を見ていると、なんだか記録映画でも見ているような気分になってきます。この作品を観ながら思い出したのが、ガス・ヴァン・サント。最近(しか観ていない)は「エレファント」「ラストデイズ」などがありますが、彼の作品に似ているように思います。

とはいえ、ガス・ヴァン・サント作品は、作中で極力客観的な視線を保ち、濃厚な情景描写からテーマをにじませるのが目立ちます。一方で本作の監督であるミヒャエル・クリーアの場合は、それを限定された登場人物の中での直接的な心情描写によって表現するため、多少作話的な要素を感じさせます。技術の差といえばそれまでですが、彼の特徴は、本作の人間関係をより明確に表すことに成功しているとも言えるでしょう。

あくまで静謐な空間で、彼らが特に何かするわけでもない。でも登場人物は皆、自分たちの心の揺れに従って、少しずつ、しかし確実に内面の何かを変容させていきます。意図せずに、自分の失ったものを埋め合わせるかのように近づき、やがて来る別れをどこかで感じ取りながら、はかない瞬間を積み重ねていく…現代ドイツに息づく人々の来し方行く末を暗示しているのでしょうか。

目の開いた人間ではなく、物言えぬ者へ語りかけるカルラは、一体どこを目指すのでしょうか。恐らく彼女の行為は自分自身との対話でもあります。同じ境遇のアクセルが過去を取り戻すのと違って、彼女は「ここではないどこか」=“ファーラント”を常に見据えるのです。まだ見ぬ先に思いをはせる姿は、前向きさよりも、理想志向の人間の不安定さを強く映し出します。

静か過ぎて途中で気が遠くなりそうにはなりますが、なかなか考えさせられる作品です。
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by murkhasya-garva | 2006-11-01 02:20 | 映画