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by murkhasya-garva
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レクイエム・フォー・ドリーム

「レクイエム・フォー・ドリーム」(2000)
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昔、地元のミニシアターDenkikanで観た作品。この頃だったか、「メメント」や「アメリカン・サイコ」で衝撃を受け、シアター内で流れていたEGO-WRAPPIN’の「Love song」に魅了されたのでした。そんな中で今でも思い出すこの作品。ぼくにとってはマイナー作品に初めて出会った記念碑的な映画なんです。





今までずっと、あの恐ろしい情景は頭にこびりついて離れない。薬物中毒者が体感するような、吐き気を催すような世界が極めてシビアに描かれていく。この作品は、登場人物の誰にも救いを与えない。良心の呵責すら与える余地を残さない。自分が置かれた状況に抵抗する手段を自ら捨て、逃げることのできない結末へと身を投じていく。

何故この作品がここまで非情に映るのか。それは、本編ではカットされた未公開映像(DVDに収録)から分かる。そこでハリーたち3人は、薬物をやめようと必死になっている。共に話し合い、一点をぼんやりと眺め、薬物の誘惑から逃れようとする。またハリーの友人タイロンは、母親のことをハリーに語り、やさしく懐かしむ目をする。監督は、これらのシーンを「テンポが遅くなる」という理由でカットしている。

未公開映像に共通するのは、すべて自分自身が正気に近づく瞬間だということだ。薬物という魅力から逃れようとして自分の正常な精神が働いている状態、このシーンがあるだけで、彼らの行く道は多少なりとも明るくなる。人間としての温かみさえ感じる。そんな“正気”を削ぎ落とすことで、ひたすらに地獄へと墜落していく彼らの悲劇がありありと浮かんでくるのだ。

途中で、ハリーが母親のサラがダイエット・ピルと称した薬物を使っていることを悲しむシーンがある。しかし次の瞬間に彼は、ヘロインを使ってその辛さを忘れてしまっている。そう、これこそが彼らの運命を象徴している。薬物の恐ろしさを他人事に考える人間の将来には、もはや選ぶ選択肢すら残っていない。

現実と妄想のはざ間をさまよい、薬物に正常な感覚を蝕まれた者の世界。それは、耳障りなほどに誇張された雑音と、温かみを欠いた早回しの映像で表現される。この異常なテンポの良さから生まれる冷血な視点は、観る者までを絶望に叩き落す。現実から逃れようとして感覚をシャットアウトしがちな自分と重なり、自分自身すら呪いたくなる。悪夢だ。

彼らの行き着く先に希望はない。ただ一つあるとすれば、皆がベッドの上で胎児のように体を丸めて眠ろうとする、痛ましいまでの人間の性(さが)を現した姿だけである。

原作者のヒューバート・セルビー・Jr.は、一体どこまで人間の暗部を凝視しているのだろうか。ダーレン・アロノフスキーによる卓越した表現がそれを倍化させているとはいえ、この救いのない人間の悲劇は、正視することすら拷問に思える。この作品を観るとき、いつも暗澹とした思いに駆られるのだ。
素晴らしい作品だとはいえ、誰にも好んで勧めることはできない。
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by murkhasya-garva | 2006-10-16 01:59 | 映画