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by murkhasya-garva
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ハイテンション

「ハイテンション」(2003)
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「ホラーが観たい」と言う知人を連れ、京都は新京極シネラリーベにて鑑賞。ここのところ気分が優れず、ちゃんと頭に入るか心配だったのですが。ええ、観終わった後はもう、ハイテンションですよハイテンション。良質なホラーは、半ば強制的に神経を逆立たせてくれます。


女子大生マリーは親友アレックスと共に、彼女の実家を訪ねた。静かな田舎で試験勉強に専念するためだ。しかしその夜、殺人鬼が一家を次々と惨殺し、アレックスをさらってゆく。マリーは彼女を救うため、無我夢中で殺人鬼のトラックに乗り込むのだった。

うおっ、怖い!スタンダードのマンチェイスってこんなに怖いものだったのか。
平和な家族が寝静まったころ、何の理由もなく殺人鬼に惨殺されていく。主人公が必死に殺人鬼から逃げ、怯える様子がたまらなく緊張します。この緊迫した“ハイテンション”な空気が続くと、この作品は大成功、だったはず。はずです。
このテンションは確かに全編を通して続くのですが、後半で監督は色気が出たようです。

前半は、殺人鬼とのマンチェイスの中で、面白いことが起こります。大体「ジェイソン」「エルム街の悪夢」といった有名なシリーズでも、「追いかけられる」というのが主流だったはず。それが、いつの間にか主人公のマリーはアレックスを助けるため、殺人鬼を「追う」のです。逆転現象です。主人公は犯人の盲点から、犯人を見ているわけです。しかもこれが案外順調に進む。けっこう新鮮なんですね。

しかし、ラストでこの新鮮さ―人によっては違和感―は伏線となります。なぜ、主人公と殺人鬼は「追いかけあっている」(むしろ主人公が優位に立ちがち)か。なぜ主人公は恋人を作らないのか。そもそも、殺人鬼とマリーは立場の違いこそあれ、いわば「強奪者」と「守護者」という形で、アレックスに強い愛着をもっているじゃないか!! そうそう、オープニングも実はカギとなるんですよね。

監督のとった結末によって、関心は恐怖から謎解きへと移ります。あの殺人鬼は一体誰だったのか、本当に存在したのか。そう疑いだすと、全てが主人公の妄想へと帰着してしまうのです。最初のショッキングなシーンも、マリーが無意識に捏造したシーンなのかもしれない、と。ともあれ全てが「妄想」の一言で片付けられることで、作品の深みは一気になくなります。
故、手塚治虫大先生が「夢オチ」を禁じ手とした意味が良く分かることでしょう。

スタンダードな手法を継承した作品としては、確かに出来は素晴らしいのです。しかし、恐怖感そのものについて徹底的に追求せず、作品の落としどころを重視してしまった点に、この作品の失敗の原因はあります。弱冠25歳のアレクサンドロ・アジャ監督、次の作品では改善して臨んでもらいたいものです。

とはいえ、作品の“ハイテンション”ぶりは、見事なものです。パニックがかったマリーの視線をトレースし、何か起こる、と思わせる接写はいやでも息が詰まる。BGMも絶妙なタイミングで衝撃音や不吉な自然音を多用したり、心臓の鼓動のような音を使ったりと、かなりの念の入りようです。もちろん、スプラッタ・ホラーに欠かせない血しぶきドバドバもあり、ホラー好きは満足できるのではないでしょうか。
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by murkhasya-garva | 2006-09-30 17:17 | 映画