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by murkhasya-garva
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A

「A」(1997)
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今回父の七回忌で地元に帰った際、お寺の若住職が卒業論文の参考にと勧めてくれた一本。たまたま前日の9月16日は、オウム事件の麻原彰晃、もとい松本智津雄被告の死刑が最高裁で確定したのでした。彼の初公判から10年、オウムとは何だったのかを考えさせられる作品です。





その若住職には、本作の監督である森達也氏の著作「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」もいただきました。オウム事件に始まり、日本はマスメディアの流す大多数の流す論調、例えば善悪二元論といったものに支配されつつある。犯罪を起こした人たちは一体どのような人たちだったのか、ということに想像力が追いつかなくなっているというのです。

本作では、犯罪に関わった信者たちが逮捕された後の1997年ごろのオウムの内部の様子を、広報部長の荒木浩氏を中心にドキュメンタリーとして描き出すものです。一見すると、彼らの生活は奇妙に映ります。屋内ではひっきりなしに麻原氏が何かを唱える声が流され、服装や修行の光景もその異様さに何だかぎょっとさせられる。もちろん、それはマスメディアを通じて形作られたオウム真理教の形、「殺人集団」「狂信集団」というイメージに自分が強く影響されているからなのでしょう。

しかしその中で活動する、荒木氏をはじめカメラに映る信者は、いたって普通の人に見えるのです。自分たちの信じたことに愚直にしたがって、理想とする人格(「自分」といった方が馴染みやすいか)へと成長していこうとする真面目な人たち。「たとえこれから尊師に会えることがなくとも、自分たちはオウムを信じ続ける」。その台詞は、洗脳された者の妄言ではなく、何かを強く決意した人間の表明に聞こえます。

対照的なのは、いまだオウムに対して過剰な反応を示すマスメディアや、公安の姿です。マスメディアの無作法な取材態度。視聴者の好奇の目を満足させるために、分かりやすい対立構図をあらかじめ準備して、オウムをいかにも禍々しく報道しようとします。また、公安は難癖をつけて荒木氏らを引きとめる。そんな公安やマスメディアの負の姿は、観る者の立場がどうであれ不快なものでしかありません。

確かに過剰に反応する一般市民(?)はいます。被害者やその遺族ではなく、オウムを狂人集団だと頭から決め付けて罵倒の限りを尽くす、裁判長宛の手紙。確かにぼくの大学でもこのような怪文書は時々出回りますが、理性とは程遠い「差別することが目的」とも言うべき文章には、呆れるを通り越して、書いた人間の日々の精神状態に興味すら湧いてきます。

本作を観ていると、オウムという宗教団体が引き起こした未曾有の事件を前に、私たちは何かを見失っていたのではないか、と問われている気になります。ラストで荒木氏が電車の窓から外を眺める姿は、まさに醍醐味とも言うべきシーンです。マスメディアからしか情報を得ることなく、オウム=絶対悪の構図を疑いもなく呑み込んでしまっている人にこそ、この作品は観て欲しいですね。もう一度、地に足の着いた場所から、自分の言葉で紡ぎなおしてはいかがでしょうか。
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by murkhasya-garva | 2006-09-20 01:21 | 映画