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by murkhasya-garva
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セブンス コンチネント

「セブンス コンチネント」(1989)
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ミヒャエル・ハネケ映画祭@京都みなみ会館。上映期間が短く、今では「ピアニスト」のみが上映されるだけです。そのためか、ぼくが見に入った日に限っては、結構な人の入りよう。老若男女、人気あるなあ・・・


平穏な家族が、ある時自宅内で死体で発見される。徹底して破壊された家の内部。しかし他殺の形跡もなく、この事件は迷宮入りとなった。
実在した事件を監督の手によって「再現」してみせた作品。

この作品には、死の意識が充満している。
何も問題のない、穏やかな家庭を映すように見えるこの作品。一体何をさせたいのか、どのように展開するのか見当がつきませんでした。しかし、時々紛れ込んでくる、歪んだ感情の端々。父母に当てた手紙には、冷静にも夫の上司の無能をののしる内容。幼少の差別体験を延々と語る老女。
どこでもありそうな悪意が、穏やかな生活風景の中で、鈍い棘のように残ります。

都市生活の無機質さにさらされて生きるとは、こういうことなのかもしれません。一見すると普通の家庭に、絶えずのしかかってくる抑圧感や、絶望。そんなストレスを解消する唯一の場所であるはずの家庭も、何かが壊れていて、機能していない。さらに、心の病を持つ肉親を抱えてしまい、ほぼ絶望的に、苦しみや悲しみに絶えず怯えて、生きてゆくことを宿命付けられる…。

その光景をドキュメンタリー風に描くことは、観る側の「痛み」を倍加させます。身近に起きているように見せることで、彼らの生活が自分たちの生活と二重写しになり、非常に強い共感を呼び起こすのです。また同時に、起伏のない「苦しさの予感」の描写は、実際に苦痛でもあります。目をそらすことなく、ただ淡々と風景が描かれることで、観る側におのずと、展開=解放を望ませる形にさせます。

しかし、その先に待つものが、理解を越える徹底した破壊劇だとは、あまりにも残酷な話ではないでしょうか。人々の期待したカタルシスを、自己破壊によって遂げさせる、という意味で観客にも多大なダメージを与えることになります。「順序よく、系統立ててやろう」という夫のせりふが、まるで悪夢のようです。

一体、あの家族が望んだのは何だったのでしょうか。時折はさまれる浜辺の風景画、そして「オーストラリアへ引っ越す」と言いながら向かった死出の旅は、彼らにとって解放的で明るい世界への旅立ちだったのかもしれません。しかし死とはまさに、テレビの砂嵐のような「無」…冷徹すぎる監督の視点は、観る側に希望の余地すら残しません。

誰も死にたくなどない。死にたいと思って死ぬ者はいません。彼らは、死んだ先の「解放」を目指してこの世を後にした、と考えられます。徹底的な生の破壊であると同時に、死ぬことの無益さを強くうたった作品だと思います。調子がいいときに観るべきかも。
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by murkhasya-garva | 2006-09-12 19:22 | 映画