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by murkhasya-garva
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ベニーズ ビデオ

「ベニーズ ビデオ」(1992)
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ミヒャエル・ハネケ映画祭で上映された作品の一本。
「映画にエンターテインメント性を求める人にとって、私の作品は無価値でしょう」と言い切ったハネケの作品は、観る者をこの世の悪夢へと叩き込みます。


この作品は、他のハネケ作品と比べて「わかりやすい」と言われます。それは、とても現代的な問題であると共に、その映像が象徴性を連想しやすいからでしょう。しかし、彼の作品の性格上、ストーリーのプロットを追うだけではなかなか理解できないような気がします。

AV機器が所狭しと並んでいる部屋、少女の殺人といえば、宮崎勤の連続少女殺害事件を思い出す人も多いでしょう。本作は「ベニーのビデオ」とあるように、彼が用いるビデオが大きな意味を持ってきます。ここからは、もっぱらメディアを介して情報を知ろうとする人間の、現実感の希薄さや、メディアの影響力の大きさが問題になります。

豚の屠殺シーンに触発され、衝動的に少女を殺してしまうベニー。
グリム童話の物語を思い出します。大人が豚を屠畜するのを見て、屠畜ごっこを始めた子どもたちが、豚役の子どもの首を切って殺してしまった、という話です。ぼくの読んだ本では、この後屠畜した子どもたちは裁判にかけられましたが、子どもの純粋さを失っていないことを証明され、無罪となっていました。
殺害後、普通に生活するベニーは、グリムで語られた子どもを、現代に投射した姿だと言えます。

しかし一見すると、ベニーは「甘やかされた子ども」であり、学校でも賭け事をする、いわゆる問題児、悪童にも見えます。衝動的に人に危害を加えたり、いきなり坊主頭にするなど、問題行動の目立つ少年でもあります。しかし、だからといって殺人も、したいからやったのだろう、というのは表面上のベールにごまかされているに過ぎません。

ベニーの視線は、彼の撮るビデオが淡々と物語っています。全ての事柄を等価値にとらえる、無機質な視線。そこでは、豚の屠殺も、少女の殺害も、プロスポーツも、世界の情勢も、罪の意識も、あらゆるものが等価なものに帰するのです。メディアの、この特殊な視線は一般道徳より強く、「なぜ、人を殺してはいけないのか」という疑問を、子どもに抱かせます。ベニーもその中の一人であった、と考えられるでしょう。

ベニーの両親は、そんな彼の罪を隠そうとします。わが子可愛さに、とも言えますが、後に、ベニーが養子であることをほのめかす表現がされます。そこには、愛情と同時に、人の子を無事に育てるという「責任感」が付きまとうようにも感じられます。彼のためを思って殺人すら隠しこんでしまう…考えられない話でもありません。
しかし、わが子を救おうとする親をも裏切って、ベニーは信じられないような行動に出ます。全てが等価値に映る彼には最後の行動も、数ある可能性の一つを適当に選んだに過ぎません。

こんな作品が10年以上も前に作られたのです。衝撃的な結末まで、ハネケ監督は、あくまでカメラという冷徹な客観性で、徹底的に映し出します。観客の幻想を蹴散らし、突き刺さるような現実を見せ付ける。現代に生きる人間の感覚を洞察するような作品です。重いですが、ハネケ監督の作品は見るべきですよ。
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by murkhasya-garva | 2006-09-11 14:26 | 映画