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by murkhasya-garva
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ゲド戦記

「ゲド戦記」(2006)
b0068787_8154155.jpg言わずと知れた宮崎駿の息子、宮崎吾朗の初監督作品。本作は、「ゲド戦記」の中盤の物語「アースシーの風」を原作に、宮崎駿の「シュナの旅」を原案に映画化したもの。原作者のル=グウィンをして ”It’s not my book” と言わしめたとか何とか…。

今回は長文になります。ご了承ください。


この作品、ジブリというブランドのもと、宮崎駿の息子が作品を手がける!というので、製作開始から危ぶむ声も上がっていたといいます。結果は予想を裏切らず、皆が口を極めて酷評するという、目も当てられない状況。大手の映画サイト(MovieWalker)では評価の4割が1という状況。

映画評論家の間では叩かれまくっているこの作品ですが、案外好感の持てる作品でした。
個人のサイト、ブログ、そしてSNSでも「そんなに悪くなかった」という声が多いです。だいいち、テレビや映画を問わず「最低の作品」といえるアニメがどれだけあったか?ジブリというバックがある以上、少なからず好感を持つのは当然だと思いますが…(熱狂的ファンを除く)。

確かに、この「ゲド戦記」、ジブリ作品というには余りに拙い。これまでハヤオ監督の質の高い作品を観てきて、目の肥えた人々には、ある種の戸惑いを抱かせることでしょう。中には鼻息荒く、技量の差も吾朗監督の持ち味もまとめて非難の的にしようとする人も少なくありません。吾朗監督自体の印象が良くないというのも、反発を招く原因のようです。

しかし、感情的に「つまらん!」というのは、余りに簡単で、それこそつまらん。ちゃんとホメるのも混ぜていきます。まず、ハヤオ監督は本作を「素直な作品」だと評しました。そう、良くも悪くも「素直」なのです。

自分の主張を前面に押し出し、映像も台詞も、そして物語もほぼナマのままで使う。その主張が皆に伝わると信じているかのようです。ル=グウィンの原作も、彼の若い感性にいたく響いたのでしょう。現代の社会問題にも言及できると感じただろう監督は、自分を疑わず「素直」に映像化してしまいました。

案の定、結果として作品は観客を満足させるものにはなりません。うんざりするほど長い説明口調の台詞からは、彼が映像に収め切れなかったメッセージを込めようと必死なのが伝わります。整合性のないストーリー構成からは、自分で気に入ったプロットを適当に切り貼りして、バランスを欠いたのが分かります。
他にも、手嶌葵の声優としての拙さ、違和感の残るCG映像、全体的な見せ場のなさなど、多くの明らかな欠点を露呈してしまいました。

そして最大の問題は、ル=グウィンがあれほど拒み、ハヤオ氏も猛反対したにもかかわらず、本作を映像化してしまったことにあります。なぜ映像化を拒み続けたのか、これは恐らく重要な問題です。その理由も深く考えず、吾朗監督は自分の才能を信じて、しかもあろうことか別の作品―宮崎駿の「シュナの旅」を原案に据えた…。また、3作目という、きわめて背景が理解しにくい部分を採用したため、作品の世界観も分かりづらくなっているのです。
それに、ゲドではない人物を主人公に据えたため、「ゲド戦記」と名づける必要すらなくなっていました。

とはいえ、ひどいところばかりではありません。吾朗監督が採用した独特の絵柄の背景は、淡く、そして異国情緒ただよう鮮やかさを持った美しい背景でした。竜のデザインも、いままでのジブリにない鋭い明るさが印象的です。手嶌葵も、歌だけは素晴らしい。あのシーン、アレンと同じタイミングで涙がこぼれそうになった。
一方で、使い古された構図(アレンとテルーが朝日を臨むシーンなど…)が時々出てくるのは鼻につきますが。

ジブリの初監督作品、本作からは逆に「若々しさ」を感じるのです。主張の強さ、自分の持っているものを使おうとする必死さ・・・いずれも、ぼくが愛読する若手のマンガ家や、コミックビームに通じるものがあります。これから吾朗監督にはがんばってほしい。下積みを飛び越えて監督になるのだから、並大抵の努力では追いつかないでしょうけど…。次回作に期待します。
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by murkhasya-garva | 2006-08-16 08:25 | 映画