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by murkhasya-garva
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ふたりのベロニカ

「ふたりのベロニカ」(1991)
b0068787_13453489.jpg初めて出会ったキェシロフスキ作品は、トリコロール3部作の「青の愛」。彼の独特の映像や内容の深遠さに衝撃を受けました。そして4月頭に東京で映画を観にいったときには、シネマ・アンジェリカでキェシロフスキ・コレクションをやっていたのですが、何を血迷ったのか丸2日かけて全タイトルを観てしまい…。彼の作品には抗いがたい魅力が溢れています。絶対。

『神の遍在』…観終わった後にそんな言葉が頭に浮かんできました。なんでもない生活の中に横たわる奇跡。運命に翻弄され、思わぬ出会いを経験する人々の美しさ、いとおしさに圧倒されます。一つ一つの事実が淡々と積み重なり、偶然、というか神の営為によって私たちは生かされている、という思いがラストシーンで堰を切ってあふれ出してくるのです。本泣きしそうになった。
今回は多少宗教がかっていますので、あしからず。

映像に関してもほんとうに素晴らしいのです。繊細な表現の中にふんだんに盛り込まれる暗喩的なシーン。たとえば、片方の国のベロニカは「自分がもう1人いる」ことを瞬間的に感じます。それは彼女の直感なのですが、映像から示唆されてもいるのです。彼女が覗きこむゴム球や鏡、そしてガラス越しの景色は、もう一つの世界が我々の世界と並行して存在しているように思わせます。
また、全体を通してオレンジがかったプリントは、どこかしらイコン(キリスト教で神、天使、聖人をかたどった絵)を思わせます。穏やかで温かな雰囲気にとてもよく合います。

この作品の魅力の源泉は、映像の繊細な美しさに加え、その時々に流れる音楽にもあります。今回はベロニカの天使のような歌声に思わず鳥肌が立ちました。男性合唱の中に無邪気に溶け込むベロニカの歌声。そして自分の歌声によって天に召された彼女。
まさに、歌声とは神とのつながりを得るために、神が人間に与えた才能なのではないでしょうか。

自分そっくりの人間を見つけた人は死ぬ・・・有名なドッペルゲンガーのことですが、パリのベロニカを一方的に見つけたワルシャワのベロニカがその後に死ぬのは、まさに片方がドッペルゲンガーだったことを示しています。しかし「邪悪な存在」でもない片割れ(ダブル)に出会って、なぜ死ぬのか。

まず、「ダブルに出会ったから死ぬ」のではなく、「死ぬからダブルに出会った」と考え直してみましょう。しかも片割れ(ダブル)は、実は「ベロニカ」という人生の裏方として、もう1人の糧になるべく死んだと考えられないでしょうか。となると、ドッペルゲンガーと言っても、どちらかが影というのではなく、2人が互いに異なる人生を生きる分身同士であり、時にはお互いを補完しあう存在だということになります。死んだベロニカは、―図らずも先に表現したように―「天使」としてもう1人を護ることになったわけです。

キリスト教圏だからこそ成立しうる作品。キェシロフスキの、宗教に対する深遠で透徹した視線が、独自のものにせよ彼の信仰心の深さを物語っているようです。しかし、この作品を傑作たらしめたのは、他でもない主演のイレーヌ・ジャコブのお陰ではないでしょうか。美しく、可愛らしく、輝くような彼女はまさに天使のように見えるほどの魅力を放っているのです。
今回もキェシロフスキのマジックにやられました。幸福なひとときでした。
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by murkhasya-garva | 2006-07-05 13:48 | 映画