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by murkhasya-garva
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ATG Film Exhibition 第1日目「書を捨てよ町へ出よう」

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京都造形芸術大学にて、「ATG Film Exhibition
なるものが開催されました。
今日6月8日から4日間にわたり超有名なATG作品を1本ずつ上映するそうです。

1日目となる今日は、「書を捨てよ町へ出よう」(1971)。
監督は寺山修司。製作、原作、脚本も手がけ、妻である九條映子(今日子)とともに手がけたそうです。
アフタートークには九條今日子さん、榎本了壱さんがご出席。


なぜか分からないけどATGのような少し昔の邦画は好きです。
最近の商業ベースに乗った作品のように、必ずしもエンターテインメント的な要素を盛り込まないところが好きなのか、わざわざテーマを分かりやすくしないところか、はたまたレトロな雰囲気に浸るのが好きなのか。ともかく、観ていてほっとした感じにさせられるんですね。

この作品もそうです。テーマがかなり見えづらい。話の大筋は、言われてみれば分かる(ような気がする)けど、映像をそのまま追っていたら多分混乱します。
実際にアフタートークの質疑応答でこんな質問が出ました。
「寺山作品は、『書を捨てよ町へ出よう』の後の『田園に死す』ではかなりテーマが分かりやすくなっていたが、それはどういう意図によるものだったのか?もしかして‘衰退’したということなのか?」

九條さん、榎本さんによれば、「田園に死す」は、商業ベースにのせ、より多くの人に観てもらいたかった。それは資金を集めるのが困難な状況で、観客を動員する必要があったからだし、「田園に死す」という高尚なタイトルから少し遠慮もしたのかも知れない、とのことでした。
ともかく、テーマが見えづらいのはわざとなんですね。挿入される巷のさまざまな人々のシーン、そして必然的に想像できない展開。これらを含めて見てみると、ATG映画が最近の主流である娯楽商品などではなく、まさしく芸術作品を志向して作られたものなんだということが何となく分かってきます。

そう、そして何よりもこのATG作品の魅力は、監督独自の姿勢で「生きる」ことに正面から感情で問いかけ、観客を挑発するようなテンションにあります。世界的に激動の時期であった60年代から70年代にかけて、「社会が氾濫していた」状況で作られた点に原因があるようです。

明日2日目は、大島渚監督のATG作品、「新宿泥棒日記」。
アフタートークには葛井欣士郎さん、毛利臣男さんが来られるそうです。
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by murkhasya-garva | 2006-06-08 23:56 | 映画