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by murkhasya-garva
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るにん

「るにん」(2004)
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2ヶ月くらい前に観たやつです。奥田瑛二第二回監督作品。前作の小沢まゆ主演「少女~an adolescent~」(2001)は、第17回パリ映画祭、第16回AFI映画祭でグランプリを受賞したそうです。
本作は第7回“the Method Fest”映画祭で最優秀作品賞を、松坂慶子は審査員特別賞を受賞。


絶海の孤島、八丈島には島流しにされた罪人が身を寄せ合って生き延びていた。花魁であった豊菊は、江戸へ戻るために自分の体や仲間を売っていた。そこに新たに罪人として喜三郎が送られてくる。喜三郎は彼女と共に島抜けを計画するが・・・

今まで観た時代劇とは違った雰囲気を持った作品でした。確かにぼくが見たことのある時代劇なんて、水戸黄門や大岡越前くらいのもの。映画では、黒澤作品を数本といったところで高が知れています。その中で比べるのも気が引けますが、人間の描写が基本的に違うように見えたのです。
つまりテレビで放映されるような作品は、勧善懲悪のような決まった形式が多いですし、黒澤作品は見終わってすっきりするような大団円の形が多かったように思います。また、どちらも視聴者に素直に活力を与えてくれる、単純明快なものばかりです。

しかしこの作品の登場人物は、その境遇ゆえに必死に生に執着し、悲劇から逃れることはもはや不可能に近い。江戸時代の流刑者という、きわめて特殊な立場の人々が織り成す人間模様は私たちの心を確実に深く刻んでゆきます。群像劇という体裁も、「るにん」と呼ばれる人たちの関係を俯瞰して描写する上で少なからず効果を挙げています。
例えば、これが豊菊の視点からのみにすると、逆に一定の倫理や道徳観がでしゃばって「るにん」の世界を忠実に描けなくなるのではないでしょうか。経験的に言っても。

ここではまた、群像劇という方法が島の住人の関係を描写する重要なポイントになります。一人の行動が他の人間の行動を促し、そしてそれが他の人に影響する。連綿と続く人々の運命は、図らずも、かつ必然的に誰かを悲しみの淵に落としてしまうのです。そもそもの原因は豊菊(松坂慶子)に惚れた新入りの喜三郎(西島千博)なのですが、彼は八丈島の住人の秩序を中心部分から揺るがす役割を担うことになります。

そして、この作品は人間の宿業を正面から見つめるため、人々の行動は必然的に凄惨さがにじむものとなります。明らかに残酷なシーンを絶妙なタイミングで避ける代わりに、人々の追い詰められた感情が、力ある役者陣によって表情豊かに描かれます。特に行き場を失った花鳥(麻里也)の表情がすばらしい。彼女の目を真っ赤にした必死の形相は、今でも忘れられません。

喜三郎の豊菊と共に逃げようとする姿は涙を誘います。考えてみると、その姿はキリストに重ねられないでしょうか。島の住人を苦境から放とうとし、自分も責任を負う姿は献身的ですらあります。そして、肝心の豊菊もまた、彼女の境遇や末路から見るとマグダラのマリアのように思えます。

映像の美しさもそうですが、内容も手抜きを感じさせない徹底した印象を受けます。あからさまにテーマを放り込まず、ストーリーの流れを重視してじわりじわりと描写する。それだけで観る側に何らかの感動を呼び起こすのです。力強い作品です。一見の価値あり。
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by murkhasya-garva | 2006-05-27 00:30 | 映画