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by murkhasya-garva
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アカルイミライ

「アカルイミライ」(2003)
b0068787_162668.jpg京都みなみ会館で催された「続・オダギリジョー・オトコ前ナイト」では、カンヌ国際映画祭に出品した海外バージョン(日本未公開)の「アカルイミライ」が上映されました。本作は日本公開版(115分)と違い93分と大幅にカットされています。内容は同じですが、少し趣の異なる作品になっていました。なぜか大好きな作品の一つです。

仁村(オダギリジョー)は、いつも何かにイライラしていた。彼が心を許せるのは、同僚の守(浅野忠信)だけだった。守は仁村の苛立ちを抑え、代弁してくれる存在でもあった。そんな彼が突然彼の前から姿を消す。行き先を失った彼は守の父の真一郎のもとで働くようになったが…

オダギリジョー、浅野忠信といえば日本の実力派俳優として有名です。その2人が共演とはなんと贅沢なことか。ストーリーや演出もですが、この作品は俳優の魅力に負うところも大きい気がします。20代の若者が持つであろう浮遊感―未来への漠然とした不安やほのかな希望―が何とも言えず印象的です。

黒沢清監督は、「CURE」や「カリスマ」もだったのですが、とても独特な空気を持つ映像を作ります。薄暗い場所をそのままに撮影したり無駄なくBGMを配することで、ドキュメンタリーを観ているような感覚になると同時に、いつの間にか現代の寓話世界に引き込まれていくのです。そして本作品はBGMがとても良く、現実と虚構の境目を行く温かなメロディが登場人物へのいとおしさを倍加させます。

日本公開版ではその空気感を表現するために、丁寧に仁村の姿を映し出します。同じ世代だからか、その感情の震えが良く伝わってきます。行き場がなく社会から遊離した若者。守は「クラゲ」となって東京という秩序から離れていきますが、仁村は時が経つにつれて現実を直視し、未来に向かって歩き出すのです。

一方海外バージョンでは、そんな各エピソードの導入シーンを潔くカットしていました。主要な部分のみを映すことで、物語の流れがストレートに分かるようになっているのです。海外に本作品を発信する際に、外国の人にも理解しやすいように配慮したのでしょうか。
また、仁村のシーンを多少削って守に焦点を当てている点も重要です。仁村はただの落ち着きのない青年になります。そして本当にイラついているのは守で、仁村をコントロールして自分自身の苛立ちを代弁させているようにも見えます。ここは日本版ではなかなか分からなかった側面です。

これらの各シーンの入れ替えや、「切り返し(クロス・カッティング)」といわれる方法(だろう、たぶん)で、それぞれの関係と象徴性が明らかになり、作品の全体像が分かりやすくなっています。日本公開版と比べて海外バージョンは雰囲気の演出という点で物足りなさが残るけど、はるかに分かりやすい。日本でも公開してもらいたいものです。

個人的には、守の父が現実を見ようとしない仁村に、「ほっとけないよ。じれったいんだよ」と詰め寄るシーンが本当に身につまされました。まるで自分を見ているかのような錯覚に陥ります。身につまされすぎて辛くなる人もいそうですが、これは若い人、そして子を持つ親に観てもらいたい作品です。温かく、いとおしくなる映画です。
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by murkhasya-garva | 2006-05-11 16:26 | 映画