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by murkhasya-garva
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マンダレイ

「マンダレイ」(2005)
b0068787_19154663.jpg2003年に公開された「ドッグヴィル」の続編。この作品の特徴は、平板な床にラインを引き、申し訳程度にアイテムをおいただけで舞台としてしまうという大胆な手法にあります。一般の映画とは、多くの意味で一線を画す意図をふんだんに盛り込んだ社会派映画。見ごたえはあります。



ドッグヴィルを離れたグレースたちがたどり着いたのは、マンダレイという小さな村。突然黒人の女がグレースに駆け寄り、自分たちの窮状を訴えた。グレースはこの村の旧態依然としたルールに憤り、この村の制度を変えるべく村に残ることを決意する・・・
監督はラース・フォン・トリアー。カンヌ国際映画祭では観客に大きな衝撃を与えた。

まず気になったのは、主人公のグレースが前回演じたニコール・キッドマンではなく、ブライス・ダラス・ハワードという役者に代わっていたこと。「ドッグヴィル」でのキッドマンのインパクトは大きく、その俳優としてのパワーに圧倒されたのが記憶に残っています。しかしなぜ今回役者を変更したのか。確かにキッドマンは撮影終了後「こんなに大変な仕事はなかった。もう二度とやりたくない」と言っていたが、本当にやらないとは夢にも思いませんでした。というか続編が出ることすら忘れていたっての。

だから今回の感想だって前作を見てから書こうと思っていたのですが、そんな時間は他の映画鑑賞に費やされてしまうわけです。まったくどんだけ時間使ってんだという話です。

ともかく、前作もそうでしたけどこの作品にはある種の緊張が伴います。余分なものをこそぎ落とした舞台で、丁寧な説明を施すナレーションが淡々と状況を解説する。時々俯瞰する視点から人々を映すことがあり、ラインだけで区切られた空間内をめいめいに動く人々を見ていると、まるで登場人物の行く末があらかじめ運命付けられているような錯覚に陥るのです。
本当に語りたいことだけを語る。そんな徹底した姿勢を貫いているこの作品は、筋肉と骨だけを残した人体模型を彷彿とさせます。

ドッグヴィルの苦い経験を経て少しは賢くなったとはいえ、愚かなグレースはマンダレイの因習に無力でしかありません。そもそもなぜ奴隷解放以来70年もこの村で奴隷制度が続いていたのか。その根深い原因を問うことなくひたすら理想主義へ向かうことの危険性を、彼女は知らなければならないようです。

この作品を観ていて様々な思いが去来します。すべての暗喩を解説した後に作品に残される含意はどこにあるのかとか、老人の子殺しとはどういう意味なのかとか。
特に感じたのはスタッフロール時の写真について。人種問題を扱うとき、悲惨さを訴えたいときはそう感じるような資料を強調すればいい。しかし、現象そのものを全側面から描き出すそうとするとき、それ以上に現象自体の悪夢性やおぞましさが浮き彫りにされるようです。
それにしても、とにかく一つ一つのシーンや構成が訳ありげで、頭を抱えるに事欠かない作品なのです。
ある種非常に挑発的で、そして恐ろしいくらいに誠実な作品であるともいえます。

ドッグヴィルを観ずともこの作品のパワーは感じることが出来ます。「ナイト・ウォッチ」のような消極的な意味合いでなく、次回の第3部作「WASINGTON」が本当に楽しみです。
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by murkhasya-garva | 2006-05-05 19:19 | 映画