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by murkhasya-garva
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欲望

今回はやたら長いっす。ぼつぼつ読んでください。
「欲望」
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小池真理子原作の映画化。この映画を観る動機に多少のスケベ心があったことは否定できませんが。
とはいえ題材に三島由紀夫が使われているという。作品としてすごく気になってはいた。でもR-18指定。




こんな愛のかたちがあるのか…!!
はかなくて、切なくて。胸が締め付けられるような思いを何度したことか。前方の席から、まだ中盤でしきりに鼻をすする音が聞こえる。
性的不能と分かっている、あの美しい男と、ひとつになりたい。
それは、水一滴もない砂漠で、甘い甘い飴を舐めるようなものだ、と表現された。その感覚がなぜか痛いほどよく伝わる。狂おしいほどに求め、愛し合うのに決定的なところで深い隔たりがあるという哀しさ。

これが単なる官能ものと一線を画するのは、当然のことながら原作の深いテーマが汲み取られているからだ。欲望装置としての肉体のみに視線を向けるのではなく、対する精神をよりさらに描き出しているからこそ、この作品は輝きを増しているのである。
また、類子も正巳も三島由紀夫の小説をとても好む。理由は多く語られていないものの、彼らの行動、思想に多く関わっているはずだ。
何重もの読みができる作品というのは観ていて本当に楽しいものだ。

もう既に多くの場で指摘されているだろうが、この作品は台詞が文語調である。確かに不自然な感じはするし、「一気に寒々しくなる」と評されもする。文語体にすることは映画に多少の影響が出る。やや説明口調の傾向にくどさを感じたり、あくまで丁寧な物言いに不自然さを感じたり、と。
しかし、よく練られた台詞の優美さや、むしろ機転が利いている点にとても好感を覚える。
そのために俳優さんたちも、台詞を噛み締めるように、はっきりと発音をしている。それは映画自体の優美で静謐な世界観につながってもいるのだ。
文語調を欠かせないファクターとしたところに、この作品の特徴があるともいえる。

世界観の静謐さはまた、作中で必須のものとなる。低俗な冗談も、粗暴な罵声も、ここではもはやタブーである。
その静けさが逆にセックスの‘意味’を際立たせ、ベッドシーンが作品の色合いを濃くする。
分かりやすいほどに取られた「間」と静けさが登場人物の情感を露わにし、感情移入を促してくれる。

出演は「運命じゃない人」で小悪魔みたいな役をやった板谷由夏。雰囲気が正反対で驚いた。落ち着いた雰囲気に作られる笑顔が上品で豊か。
正巳役は「L'amant ラマン」で3人目の男を演じた村上淳。ひげ面で何だか小汚かったのがとてもさっぱりして、「完璧に美しい青年」にふさわしくなった。
対して阿佐緒役の高岡早紀はとても化粧栄えのする人。赤い口紅を引いた姿は優美だが、苦悩を表情に表すと彼女の顔は驚くほど崩れる。しかしそれが一番彼女に似合っているというのは皮肉なものだ。

本作品ではベッドシーンが非常に多い。無論ストーリーを構成する最も重要な要素だからだが、不思議なことに「いやらしさ」が感じられないのだ。ベッドシーンを必要とする映画は、特に男性の気を引くためにあれこれと工夫を凝らす。つまり、執拗で扇情的、また行為そのものに焦点が置かれる。
しかしこの作品ではそれが全く無いといってもいい。セックスがここで持つ意味を考えれば分かることだが、精神との対比を精緻に描き出すためには必要ないものなのだ。大胆で開放的なまでの交情は、代わりに繊細な心情の機微を私たちに痛いほどに感じ取らせてくれる。

「本歌取り」という表現をされている方がいた。朗読される「天人五衰」のラストは風景描写なのだが、類子には何よりも正巳を強く思わせる。このシーンが活きたのは、作中で十分に「天人五衰」の作品観が踏まえられたということに他ならない。
完璧に美しく、しかし決定的に欠如した儚い青年。正巳は三島作品の落とし子なのかもしれない。

思わず吹き出したところがある。三島作品は学生に人気が無いそうだ。
類子は言う。「漢字がいっぱいだからだって」
平野敬一郎の「日蝕」が芥川賞選考にかかったとき、そんなことを言った選考委員がいたっけ。

優美で、胸を熱くさせる感動の作品。身を捩るほどのせつなさ。観る価値は十分にある。
個人的には、若い正巳が出窓に座り、タバコを吸いながら話すシーンが好き。
「類子、今どんな本を読んでる?」現実すら非現実へと彩りを変える。
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by murkhasya-garva | 2006-02-02 17:29 | 映画