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by murkhasya-garva
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はなればなれに

実は、4本目の「5時から7時までのクレオ」はラスト30分で沈没してました。
そんなんじゃ感想かけないので。あしからず。
「はなればなれに」
b0068787_17231023.jpg1月21日、京都みなみ会館でのオールナイト3本目。2本目「女は女である」に続いてこれもゴダール作品です。というか3本目でゴダールは正直きついな~とか思ってた。前2本との共通ワードは青春映画、ゴダール、アンナ・カリーナ、作中の「シェルブールの雨傘」の音楽。

フランツとアルチュールは、フランツの旧友であるオディール(アンナ・カリーナ)を目当てに足しげく英語教室に通っている。ある日、オディールの家に大金が隠されていることを知る。その大金を手に入れるべく3人は計画を立てる…


ゴダールの作品は、必ずしもエンターテインメントを目的として作っているわけではないようです。しかも先が読みにくく表現も理解しにくいものだから、論客が触発されて何やら映画論をぶち上げる気にさせられる。言葉の意味は分かるんだけど、どういう流れでその状況に至っているのかが分からなかったりします。

そんな難解な作品群のなかで、とても分かりやすい。心情表現に重点が置かれているからか。それともドラマティックな展開だからか。ここでもさあ解釈してやろう、などと鼻息荒くしていたら肩透かしを食らい、なんだか空しくなってしまいます。
出来れば映画はあくまで楽しんで観たいもの、ということを忘れがちです。

出てくる3人は、若者らしくその場の感情で行動しています。とても刹那的で散漫な彼らの行動は、その中に一貫した漠然とした思いが存在するようです。それは、その場に足が着いていないような不安定感。何かをしなければ落ち着かない感覚。
例えば自動車を男二人で好き勝手に乗り回すシーン。例えば喫茶店でジュークボックスをかけてダンスに興じるシーン。時に悪ノリとも見えるのが逆にほほえましくもあります。しかし「若者=エイリアン」として観ると、周囲から浮いた異様な光景とも言えますね。

しかも3人ともお互いから「浮いて」いる。フランツはいちゃいちゃする2人の間に入れず孤独を募らせ、オディールはフランツに目もくれず惚れた男にベタベタ。終いにアルチュールは誰にも関心なんか持っちゃいない様子。友情も恋愛もあって無きが如し(少なくともそう見えた)。まさに「はなればなれに」ですね。

また、製作年代が古いのもあってものの考え方が結構違う。女は身持ちが固いし、男はやけにキザっぽい。その一方で彼らの価値観はリベラルでもある。あけっぴろげすぎて不自然なくらい。愛や性関係に関して一種の「文法」が固定してしまった現在には、むしろ新鮮にも思えます。
監督が意図的に描いたのか、その当時の姿を映し出したのか。

初めてだったのが、ナレーションで心情描写を語るときにわざわざ断りを入れるところ。映像だけでは表現しきれないから補足しますね、みたいでユニークです。今では普通に行われることが普通に行われない。もし心情描写のナレーションが今までの作品には無かったとすれば、ゴダールはこのように観客と「対話」する形で、映画の手法を独自に模索していたのかもしれません。

一昔前に描かれた若者像は、現代に生きる者にとっても共通するところはあります。しかもドラマティックで分かりやすいと来たもんだ。「勝手にしやがれ」の次に観たい作品。
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by murkhasya-garva | 2006-01-30 17:25 | 映画