休止中。


by murkhasya-garva
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

小池田マヤから「考える」

b0068787_1805516.jpg今回もちょっとばかり考え方について。

小説や映画、そのほか色々な作品を再度見直したりするとき、その「出会い」はその度に異なった形で現れてくる、といいます。
以前は印象の薄かったあの本が、今読んでみるとすごく考えさせられるとか、主人公の気持ちがすごくよくわかるとか言ったことはないでしょうか。
なんでそうなるのか。何となく分かっているのに、今までうまく言葉にできなかった。
しかし今日マンガを読んでいて少し分かったような気がします。

それが、小池田マヤの「聖☆高校生」(8巻)。以前までモーニングに「バーバーハーバー」を連載していました。
四コマ構成で、一人の高校生の恋を連綿と語ります。
初めて読んだとき正直だるくて、それ以前になんと言うか気に入らなかった。今まで読んできた四コママンガにそぐわない余りにディープな内容。ストーリーをつむぐ一つの手段として四コマを使っているという感じ。必然(笑いの)オチがない。クサい台詞がバンバンでるは、やけに激情的なキャラが多いはでもう読むに耐えん。。。と閉口していたわけです。

けどたまたま手に取った8巻を読んで、予備校の講師をしている女性(もう名前忘れた…)の若い頃の処世に何となく共感できるところがありました。

「女性」として(社会的に?)弱いことを惰性で見せているのは、結局何も考えていないのと同じだ。どうすればいいのかを考えなければ何も始まらない、といった内容だったと思います。
それから彼女は自分に対する意識を変えていきます。「考える」ということを基点にしながら。

僕は最近「考える」ことを考えていました。
その場あたりで物事に対処しても、いずれはボロがでるもの。
これからやることについて、できる限り予測して行動すれば、自分がいったい今何をやっているのかも自ずと見えてくるはずです。
ただし予測は希望的観測のことではなく、必然的なもののことです。
たとえ失敗したとしても対策の立てようもある。しかも極めて現実的な対策を。

そう考えて「聖☆高校生」も読んでみれば、また一味違った見方ができます。
自らの考え方の参考として。より批判的に。

つまり、作品との「出会い」の変化とは、とりもなおさず自分自身の変化、変容なのでしょう。
自分にとっての作品の位置づけが変化するから、理解の仕方も変わる。
前は理解できなかったところも分かるようになる。
たしかに、全然面白くなくなっている、なんてこともあるけど。

新しい「出会い」は案外身近にいるのかもしれません。
[PR]
by murkhasya-garva | 2005-07-27 18:03 | 活字・マンガ